詩投稿欄

詩投稿作品 第14期 (2019年7-9月)入選作・佳作・選評発表

日本現代詩人会 詩投稿作品 第14期(2019年7-9月)
厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定いたしました。

【選考結果】

◆廿楽順治選
【入選】
中川達矢「かくれんぼ」
小林真代「稔り田のなかで」
菊本虔「やり終えていない宿題」
帆場蔵人「知らない顔のあの人」
石井梢「黄色い声」

【佳作】

吉川千早「おくる」
村口宜史「電極」
柳坪幸佳「雨の王国」

◆伊藤浩子選
【入選】
柳坪幸佳「雨の王国」
渋澤赤「拍」
林黄色「盆」
小林真代「稔り田のなかで」
月白翠香「ダイニング・キッチン」

【佳作】

紫藤みやお「識閾」
杜琴乃「レモンシロップ」
林黄色「空蝉」
小橋出水「夏のおわり」
水城鉄茶「曇り空」

◆光冨郁埜選
【入選】
石井梢「惨敗」
月白 翠香「ダイニング・キッチン」
中川達矢「かくれんぼ」

【佳作】
山咋カワズ「空の終わり」
石井梢「答え」
生駒敦千「草と心」
篠井 雄一朗「骨」
小川咲野花「アネモネ」
羊 九地「キリトリセンが死んだ」

<投稿数 361  投稿者 256>

※第14期で、既発表のため入選を取り消した作品がありました。
本欄への投稿は未発表作品のみ受け付けています。


中川達矢――かくれんぼ

 

電車で座っていたぼくの
首筋に這うゴキブリのうしろすがたが
だんだんと
おんなの髪の毛にかわっていく
(あれはだあれのうしろすがたですか)
「もう、いいかい」
「まあだだよ」

 

「つきます」
(閉口したきみのくちびるのみずみずしさは、その瞳よりはるかに潤っていた。その言葉を隣で聞いていた先輩もまた閉口していたのは、すきです、と聞き間違えたからだと弁明した。それでもよかったのかもしれない。そのくちびるに塗ったクリームを落としたら、どんな色をしたくちびるがそこにあるのかと思っても、きっと見ることはないのだとわかっていた。きみが閉口した理由はわかっていた。休み明けの多忙がくちびるより乾いていたその瞳に見えていたからだ)

 

「きみの髪の毛はゴキブリに似ているね、特にその色が。高校生の時に、生活指導の先生に引っ張られて怒られたというその髪色は、一回も染めたことがない地毛だと言っていたね。ゴキブリもきみの髪の毛も、生まれ持った、いや、生まれ持って育ってしまった色なのだから、やっぱり似ているね」

 

「もう、いいでしょ」
「まあだだよ」
(反芻は消化器で行う行為です。飲み込んだ言葉が消化できません。だから、いつまでも胃液に晒しては、口に戻しています。決して吐き出しません。いつか排泄されることを願って、願って、いや、そもそも、願っているのでしょうか)

 

「そういえば昔、電車に乗っていたら背中に違和感を覚えたことがあった。あれは梅雨明け頃のことで、ムシムシした暑い日で水色のポロシャツを着ていたことをよく覚えている。なんでその色まで覚えているのかって、背中の違和感がいつまでも取れなくて、途中の駅で下車して、トイレに駆け込んで、個室に入ってからそのポロシャツを脱いで、水気をとるかのようにポロシャツを振ったら、その直後に、床を這う虫の音がしたからだ。たぶん、その虫は、僕の背中が心地よかったんだね」

 

「もう、いいだろ」
「まあだ、だよ」
おんなの髪の毛になったゴキブリは、ぼくが電車で着席するたびにぼくの首筋を這っている。そのゴキブリもまた反芻されて、いつまでも消化されず、吐き出されもせず、ただただ心地よく居座っている。
「もう、いいよ」
小林真代――稔り田のなかで

 

バスはほぼ定刻に着き
約束の時間まではまだ間がある
稔り田の間の道を闇雲に歩けば
働く人も車もみな私を追い越して
遠ざかる後ろ姿が景色だ
倒れ伏す稲の一本一本に朝露がいくつも光る
ときどきバッタがびっくりしたように大きく跳ねる
あんなに大きく跳ねるのに彼らは
空を飛ぶことができないなんて

 

用水路のほとり
湿った土の上を草踏んで歩く
舗道の上にはザリガニの
固いところだけが残っている
小学校の校庭に子どもたちは
てんでに座りこんで
なんの運動かと思えば
絵を描いているのだった
稔り田のまんなかの小学校の
子どもたちは熱心に校舎をみつめ
校舎の絵を描いている
晴れた空の下

 

学校の敷地をぐるりと回り
郵便局の駐車場を横切り
バス通りに戻れば
元のバス停がもう見えない
歩いても歩いてもまた稔り田のなかを
ただまっすぐの道があり
ただまっすぐに歩けば
大工たちが忙しなく外壁を打ちつけているところがあり
全身で働く人間のいる明るさ
冬までにはあたたかい人の暮らしが新しい家で始まるだろう
ここを過ぎればあなたの家が見えてくる
冬にはあなたを訪ねるためにバスに乗ることは
きっとない

 

訪ねればひかりの乏しい家内にあなたはいる
風の通る玄関にわたしが立つと
小さい体を両腕で支えて立ち上がるあなたの
ぼんやりした笑顔にだんだん力がこもり
ついには満面の笑みで
昼はカレーを作ったのと言う
稔り田のなかに暮らす人のごはんは
なんでもおいしいから
つられてわたしも大きく笑う

菊本虔――やり終えていない宿題

 

10月のある日の午後 真っ青な空に 大きな蜘蛛が浮かんでいる
身じろぎもせず ただ獲物が引っ掛かるのを 待っている

 

やり終えていない宿題がある
断崖絶壁で 足を踏み外しそうになったとき その言葉が頭の中に響く
後ろも見ずに道路を渡ろうとして 車が寸前に迫っているのに気付いたとき その言葉が鳴りわたる
乗っていた飛行機が 突然がたんと急降下したとき その言葉が迫ってくる
暴風雨で 身体が飛ばされそうになったとき その言葉が ぐるぐる頭の中を廻る
医師から不治の病を 告げられたとき その言葉が追いかけてきた

 

突然大地が鳴動し 地上のあらゆるものを破壊する
隅々にまで行き渡った 科学技術の粋を あざ笑うように 無能力にしていく
日常の生活は一変する
やり終えていない宿題が 人々の上にのしかかる

 

蜘蛛を見かけてから 丸一月経ったのに 蜘蛛は全く同じ場所に 同じ格好をして 真っ青の空に浮かんでいた

帆場蔵人――知らない顔のあの人

 

足跡にはる薄氷は
だれの足跡なのか
ひとり静かな朝には
山へとつづいている
記憶のうすい導線

 

知らない顔のあの人の足跡

 

あれは十二月、六畳間で
祖父は私の耳にもういないあの人をそそぐ
顔は母に似て、私に似て、祖父に似た
オジサン あ、つし アツ、し アッシ
顔の無いオジサン、わたしはだれ

 

祖父にひかれ歩いた山道

 

しらない鳥の鳴き声、しらない樹々の葉ずれ
しらない墓に花と菓子を供える

 

すれ違うように死んだ叔父
アツシの顔をわたしはしらない
薄氷で出来た足跡をさらに辿り
祖父の墓にたずねる

 

私がだれかわかりますか

 

墓のそば白木蓮の花弁が朝陽に
薄く融けながら舞い塗り潰していく
薄氷の足跡にさよならを告げ

 

ゆっくりと踏み抜いて私は私になる

石井梢――黄色い声

 

黄色い話し声がする 黄色い話し声はとても早口で急いでいる
それでも黄色い声たちは呼応しあっている
思えばずいぶんと喋りが遅くなったものだ
私は喫茶店に一人でいる
男二人が話している
いつ?どう?そうか、別に
男というのは単語ではなすのかと妙に納得していると
2日後に女友達と会う約束をおもいだす
ふと、そのひとは早口で黄色い声だろうかと不安になる

柳坪幸佳――雨の王国

 

築五十年の軋むアパート
子午線が、ゆっくりと回転しながら引き寄せてくる夏の身じろぎ
雨が降ると、とても大きな鳥がそこに現れ
薄い羽で天蓋を覆う
桃色の羽毛がこぼれる、暗がりが灯される
鳥の腹が差し込んでくるいっぽんの脚は
地面を突こうとしているのだが、ゆらゆらと揺れ(怖い)
広がってゆく和室の黄ばみは
いっしんに、雨
うがいの果てに降らされてゆく声なるしぶきの重なり脈打つ
そのような時、おそらくは
信じられるのは砕け散る鳥の眠りの羽ばたきたちで
 /切り/裂かれたその果てに
気流が寄せる祝祭なのだが
擂り鉢の底、わたしはただ
蒸し暑さばかりを画面に向かって吐き続けている

 

電線の網み目で規則正しく縫い閉じられたわたしの領域
丁寧に守られる、檻(澱)の密集
覗かれる
たくさんの水滴たちの目(と目と目)のぎっしり連なる
怖いよあくまで鳥の持つ、それ、だって鳥の目でしょうから
かたくつぶって

 

地面の底に棄てられている
濾過しそこなった汚泥の屑ならその嘴の格好の餌
本日もバス停はとうに死んでくださいましたか
ぽつんぽつんと、たましいを穿つ
出られないという地図の底に自分を落とす、今日も行けない
くわえられ
排水管のはるか上部を止まり木として
無防備すぎる、ひな鳥のもとに運ばれてゆく

渋澤赤――拍

 

過ぎてゆく。

 

時間はわたしたちを無視して駅前で滞る。指先から自然と発信され
る情報が、無線を介して、さまざまな人々の日常に届けられる。

 

「ここで、転調する

 

何度も繰り返して聴いたせいで、予測可能な旋律。日と週と月の円
環は少しずつ、中心を外れてゆき、
ぐるぐるぐるぐる、と、おなじ場所で似たような人々に出会い、

 

ーーそうして私の愛する冬が訪れる。夕凍みに震える呼吸が白く浮
きあがる。ヘッドフォンを外すと耳慣れた街の喧騒が身に親しい。
外套の襟を立てて、

 

「母さん、もうすぐ二十歳になるわたしたちの弟のために、ここで、

 

部屋を借りた。この部屋は赤い。赤い部屋。誰もいない、
崩れてゆく、崩れてゆく街、崩れてゆく人々、崩れてゆく時間、

 

震える手で指の先を押さえる。

林黄色――盆

 

盆踊りの帰り道
普段人通りの少ない道の街灯は切れかかって、不規則に点滅してる
すこし先に、花の浴衣に狐の面を頭につけた、さっき抽選で一等になった子が笑ってる
わたしは鼻緒に擦れた足の指の間を庇いながら
坂道を小走りに、おとうさんの背を追いかける

 

今日の月は丸くて大きい
おとうさんの持つビールみたいな色と形
早くも溶け出した棒アイスをすくうように舐めながら
迫りくる月から逃げるようにおとうさんを追いかける

 

帰ったらまたアイスかゼリーかサイダーか
おばあちゃんが用意して待ってる
狐の面が角を曲がって、道路にはおとうさんとふたり
遠くのほうからドッと笑い声が聞こえて
おとうさんは振り向いて「ナントカさんが歌ってる」と笑った

 

もうすぐ家に着く
アイスはハズレ、盆踊りの抽選も外れた
勝手口の外、ビビッドピンクのサンダルを引っ掛けて
花柄の割烹着を着たおばあちゃんが手を振っている
おとうさんは一瞬だけ手を上げて家の中に入る
おばあちゃんはやっぱりアイスを手に持って、わたしに盆踊りの感想を聞く

 

中学生は忙しいとおとうさんが言っていた
おばあちゃんの家でしか見たことのない小豆のアイスを
いつまで食べれるのだろうと心の隅に思いながら
食べ終わったハズレの棒をおばあちゃんに手渡して袋を開ける

 

まだ遠くから何人かの声が聞こえる
「また歌ってたぁな」とおばあちゃんが笑う
坂の上から見ると、櫓を照らす提灯が色とりどりの月みたいだ
小豆のアイスは異常に固い
ひとくち齧ると、アタリが見えた

月白翠香――ダイニング・キッチン

 

書き留めたいことがやまほどあるのについつい放ってしまうので、翌朝めざめたとき綴りはゆきのように溶けて蒸発。
うすい布団のなかで冷えたゆびさきを折り曲げると、頭のてっぺんからぬるりと文字列が顔をだす、たいそれた思想でも思考でもないのだけれど、少女趣味やら怒りや少量のかなしみをふくらませ、浅いねむりに就く。
真鍮の無意識という鉱物めいたやわさを映写機で反映し、トラウマが追いかけてくる四月のゆううつに浸りながらも、さいきんは、ようやくふかくふかく沈むことができるようになった。
紅茶は欠かせない精神安定剤へと変容し、唐草模様を添えられたティーカップを落下させては、破片を掻きあつめる。幾たび割れば気が済むのだろう。
おびただしい矢車草は圧巻で、遮光カーテンのむこうには胡蜂が警告を放ち、安堵をいだく。
それでも馬鈴薯は頑なに、冷蔵庫から飛びだしかくれんぼ、ひかえめな小花をむしゃむしゃ頬張り、米糠なるものをはじめて凝視、ひと掴みという数値化されていない文言に戸惑いながらも、おそらく必要以上の量を鍋に投入し、いつまでも煮つめる。
それから、遠いせかいに存命するドイツ民話の紙面に溺れ、挿絵に耳をすませ、つぎに、ひんやりと混濁した円柱の連なる都会におもいを馳せ、色彩や高価な記号をぶら下げるひとびとを目で追いかける、女ゴコロを灯すためにはモッテコイの集合体。
あめゆじゅしても鳥肌の立たぬよう気を配りたい、がという助詞を厭う、がらんどうの犬小屋、そんなことよりも癇癪は相変わらずなので、怒り is 6秒間の持続 であることを毎夜うたう、ようにしたい、重要なことを差し置いて賢治に気を遣うだなんて。

石井梢――惨敗

 

だれかれかまわず自室に入ってくる 腹が減っただの お母さんだの
ノックもなしに 首をかしげて考え事をしては だれかれかまわず入ってくるのだ
時を忘れてものを考えていると 腹が減っただの お母さんだの
やかましいのである
時間というものがめんどくさいのか、はたまた考え事がめんどくさいのか
またまた夫というものがまたまためんどくさい
ノックもなしに入ってきては 疲れているのかと 私をなでてきたりする
またまたやかましい
辛抱負けて立ち上がるのはいつもわたしのほうだ だれかれかまわず
負けをみとめて夕飯をつくるのだ

◆廿楽順治評

 今回の投稿作品約三七〇篇ほどで、前回より多かった。その中で最初に絞り込んだのは一七篇ほど。絞り込んだ数は投稿数に反して少なかった。多くの作品はいかにも詩、というイメージにそったものだった気がする。言い換えると、誰が書いても詩になりそうな発想や言葉を使ったものが多かった、ということ。詩には驚きが必要だと思う。これは詩的ではないだろう、と思うものが不思議なことに詩になっていく驚き。あるいは、ありふれた「愛」という言葉が、どういうわけか新鮮な響きになっていく詩。そうした作品はその語自体に魔法がかけられているわけではなく、その語が置かれた文脈に魔法がかけられている。油絵や化粧で地塗りをするように、その語が鮮明に映えるために背景に入念な配慮がなされている。言いたい語にただ夢中になるだけでなく、どうしたらその語や発想が映えるのか、そうした観点からも自作を見直してほしいと思う。詩語を書くことに熱くなると同時に、果たしてこういう言葉でいいのか、と自分の言葉自体と深く闘うことも重要だろう。

【入選】

中川達矢「かくれんぼ」

 黒髪の色からゴキブリを呼び込む、という詩にはなりそうもない発想を口語的な文体で最後まで持ちこたえている点に、作者の力量を感じる。この発想に、消化できない「飲み込んだ言葉」という観点を交差させて、一種の詩論としても読ませるところが、この詩を思いつきに終わらせていない。

小林真代「稔り田のなかで」

 この詩は中川詩とは真逆で、目前の光景を突飛な連想を呼び込むことなく静かに語る。後半になって、語り手が親とおぼしき人を訪ねるところだと分かる。「冬にはあなたを訪ねるためにバスに乗ることは/きっとない」という詩行が、親の来たるべき死を思わせる。前半の何気ない光景が、ここに来て違った意味を帯びてくる。平凡な風景をていねいに語る前半が、逆に後半の印象を鮮明にしている。

菊本虔「やり終えていない宿題」

 「やり終えていない宿題」とは、人生の中での課題を指すのだろう。この言葉自体はそれほど新鮮な喩ではない。語り手は不治の病を宣告され、そのことでこの言葉に「追いかけ」られる。この詩の「やり終えていない宿題」が生き生きとするのは、冒頭と最後で繰り返される「大きな蜘蛛」の映像による。ここでの詩の主人公は人生の「宿題」ではなく、むしろ「蜘蛛」のイメージなのである。

帆場蔵人「知らない顔のあの人」

 名前しか知らないような死者とも私たちはつながっている。親族というものの不思議さを誰でも感じることはあるが、そうした観念的なものを、ここではその意味ではなく具体的な情景として語っている。そこに詩の驚きが発生している。

石井梢「黄色い声」

 「黄色い声」というのは誰でも使う慣用表現である。だが、ここではその言葉をあえて呼び込み、強引に詩の対象へと引きずり込んでいる。男は単語で話すという発見には虚を突かれた。最後に女友達が「そのひとは早口で黄色い声だろうかと不安になる」と語られるが、ここでは慣用表現の「黄色い声」が独特のものに転化されている。この作者の「惨敗」や「シャングリラ」という詩も、日常的な光景をまるで異星人が見るように語られていておもしろかった。

【佳作】

吉川千早「おくる」

 この詩は、生の揺らぎを繊毛の運動として描いているところが独特。朔太郎を連想させる。

村口宜史「電極」

 落雷という現象を「私」に重ねて鮮明に語る手際の良さを感じた。しかし、詩はその発想の先を書くことであるように思う。

柳坪幸佳「雨の王国」

 雨の日、古いアパートの部屋に籠もる、という情景を感傷的な言葉を極力排しながら語るところが好ましい。ただ、詩はそこから次の展開を望んでいるだろう。

 

◆伊藤浩子評

【入選】

柳坪幸佳「雨の王国」

 日常と非日常とを行き来できるような作品。問題らしい箇所は見当たらないが、タイトルは再考の必要があるかと思う。

渋澤赤「拍」

 「行為する、夕景。その後」にも惹かれたが、こちらのほうが優れている。細かい点だが「――そうして私の愛する冬」の「私の」はないほうが作品がより先鋭化したのではないか。

林黄色「盆」

 「わたし」の影のような「狐の面を頭につけた子」は、古いアレゴリーだとも感じたが、一方で、母親の不在を補うような、二本目のアイスを差し出す祖母の過剰さなどに伺える不完全なファミリーロマンスを際立たせてもいる。

小林真代「稔り田のなかで」

 日常を描いたかと思えば、三連目から転じ、幻想性に満ちている。あるいは、震災詩とも読める。さまざまな解釈を可能にしている作品の持つ豊かさに惹かれる。

月白翠香「ダイニング・キッチン」

 デッサンを集めたような作品(作中、「集合体」とあるように)。筆力は確かなのだろうが、夢なのか現実なのか、とっかかりが不十分なのが残念だった。作品が八文目の宮沢賢治に収束しているかどうか、作者に問いたい。

【佳作】

紫藤みやお「識閾」

 「マンダラ」「予定調和」「生の営み」など、使い古された言葉の使用が目立ったが、まずまず緊密に破綻なく書かれた作品。細かい個所の推敲を重ねれば、更に良くなったのでは。

杜琴乃「レモンシロップ」

 二連目の5~7行目にかけて「蜻蛉と/キスを交わした夏の終わりに/はじめてのレモンシロップ」が比喩としても(そうでなくても)やや緩い。短い作品なので、同じ言葉の安易な繰り返し等に気をつけたい。

林黄色「空蝉」

 日常のひとこまを小説のように切り取った作品。語り口に好感を持った。大学生とその彼女、僕と彼女、死骸と蝉の鳴き声の布置とコントラストが印象的だった。

小橋出水「夏のおわり」

 「老婆」のアレゴリーに苦笑しながらも、この作品に目が留まったのは、二連目以降の「(殴られた)わたし」と「(殴った)自分自身」との関係が、一連目の「(殴られた)老婆」と「(殴った)わたし」に対比されるからだろう。

水城鉄茶「曇り空」

 淡々とした語り口と、「落ち着いて息をする」「僕」が、「きみ」にとってなんだったのか(敗者なのか、どうなのか)、機微、謎に満ちている点に好感が持てた。二連目がとくに秀逸だろう。安易なリフレインは避けたい。

 

◆光冨郁埜評

【入選】

 はじめに。詩祭の後の懇親会で投稿欄新人賞・新人の表彰式が予定されており、今期だけ3期9ヶ月で、選考が行われ、新人賞・新人が決定される。1回目と2回目に選ばれた方は、次の3回目もぜひ投稿してほしい。単発だけの入選よりも複数のほうが、新人賞・新人に選ばれる確率が上がることもある。また、惜しくも選ばれていない方は、次回、奮起して気合いで投稿していただけると、単発でもインパクトがあれば、新人賞・新人の選考に食い込めるチャンスもあるかと思う。入選すると、どうなるかというと、投稿者の励みになるし、作品や名前を知ってもらえるので、新人のスタートとしてはよいのではないだろうか。それゆえに各選者を作品の強度でノックアウトしてしまうくらいの勢いも望ましい。個人的には今回の入選作は「インパクト」のあるものが目立った。

 

石井梢「惨敗」

 母親の役割・立場という奉仕に近い家庭内労働の理不尽さに対する憤りと、ラストの「辛抱負けて立ち上がるのはいつもわたしのほうだ だれかれかまわず/負けをみとめて夕飯をつくるのだ」という誠にあっぱれな結びの一文に、一月平均百篇を越す投稿作品の選考と会社の仕事と日常の雑事に忙殺される不肖このわたくしも「負けをみとめて」この作品を入選とすることにした。

月白 翠香「ダイニング・キッチン」

 とにかく書きたいという意志が「書き留めたいことがやまほどあるのについつい放ってしまうので、翌朝めざめたとき綴りはゆきのように溶けて蒸発。」の冒頭に痛いほど伝わるのでこの作品を選ばせていただいた。詩の初めとラストの一行、一連は重要である。

中川達矢「かくれんぼ」

 ここまでキモイ、ゴキブリ談話は個人的には厭であるが、その選者をノックダウン(押し切って)してしまうほどの作品全体のインパクトがある。想像したくないことを創造してしまったらしい。

 

【佳作】

山咋カワズ「空の終わり」

 個人的には好きな作風なのだが、入選にまではいかなかったのは、もうすこし推敲して文章をすっきりしていただきたいという気持ちがあった。良い作品だと思う。あと、すこし。

石井梢「答え」

 掃除婦のこれまた女・主婦としての世間への憤りが感じられてよいが、ひねりがすこし足らない分、作品としては佳作となった。

生駒敦千「草と心」

 「庭の地面を覆った草をむしる/むしるむしる背を丸めて」の一連から始まり、「むしるむしる」が繰り返される。そして最後の一行への着地はお見事。ただもう少し推敲の余地があるか、ないか。(雑草が生えているのだから、多少はよいのだ、かどうか)

篠井 雄一朗「骨」

 「放て。真ん中めがけ躊躇わず、ビル群を転げ/落ちる突風から太陽は見えない。」実に鮮烈な一行。ほかにもインパクトのある詩句もある。ただもうすこし書き込んでいただいて、内容も濃くなるとよいかもしれない、と考えた。

小川咲野花「アネモネ」

 「光であふれた空港の中を、人がどんどん過ぎてゆく、流れ星みたい。」の一行で始まる美しい散文詩。こちらももうすこし書き込んで作品世界を豊かにしていただくと、よいと思う。あと少し。

羊 九地「キリトリセンが死んだ」

 「キリトリセンが死んだ」この意味不明な出だしの一行は意表を突いてよいのだが、最後まで「不明」なままで、それをどう評価するかが上か下かの一線だろうか。(死ぬか、生きるかほどの一線ではないが)

 

 ここにあげた以外では、大川原弘樹の作品「夜警」も印象に残った。佳作にもうすこし・僅差。

 

 最後に余計なひとことだけ。選考していて時折思うことなのだが、詩でメッセージを伝えることを第一にしないほうがよい場合もある。メッセージを伝えるのはたとえばエッセイとか散文のほうが適していて、詩はどちらかというと詩にしか書けないことを書くことが望ましい。ただ散文と詩の狭間の散文詩(越境とかボーダーラインとか)もあるのだが、それもまた難易度は上がってしまうかもしれない。それでは、次回の作品の投稿をお待ちしている。

 

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