詩投稿欄

詩投稿作品 第21期(2021年4-6月)入選作・佳作・選評発表

詩投稿作品 第21期(2021年4-6月)入選作・佳作・選評発表

 

日本現代詩人会 詩投稿作品 第21期(2021年4-6月)

厳正なる選考の結果、入選作・佳作は以下のように決定いたしました。

【選考結果】

■片岡直子選

【入選】

岡 堯「似ていく」

松原和音「マンボウ」

義若ユウスケ「光と化して」

浅浦 藻「砂」

風 守「骨を拾う」

 

【佳作】

潮江しおり「ことわり」

水城鉄茶「整体」

眞柄史織「生前の約束」

夕花「声」

横山大輝「定まらない唇」

 

■上手宰選

【入選】

雪柳あうこ「蛍」

岡 堯「病棟」

ケイトウ夏子「隊列」

六七「田んぼの空」

 

【佳作】

新島汐里「ループ」

豊田隼人「アクセプタンス」

守屋秋冬「合言葉」

義若ユウスケ「三月の光」

 

■福田拓也選

【入選】

浅浦 藻「砂」

中マキノ「旋楼」

志津田 欣「ウルエ」

ケイトウ夏子「気泡船」

木内ゆか「屹リツ滿ツ森」

 

【佳作】

義若ユウスケ「痣」

真田真子「こぼれて空」

池田伊万里「tistis…」

中山祐子「画家をめざしたかたつむり」

八嶋 篭「氷点下の川辺」

 

 

岡 堯「似ていく」


ぼくがいなくなったら
だれかが代わっ
「は〜い、せんせい」
を挙げるのだろうか

砂浜に打ち寄せられた白い貝殻が
ふいに消えるとき
代わりにピンク色のちいさな貝殻の
ほそい筋を残すのだろうか

奥日光・中禅寺湖につながる急流で
ヒメマスが産卵しいた
流れに逆らっ定位置を保ち
何度も試るうちに
透明なのに黒い渦に
呑み込まれていく

稚魚たちは親の姿を見たことがないのに
容姿を受け継ぎ
日増しに似ていく
生命は死者に生長し
美をもたらすものらしい

消えるぼくに代わり
を挙げる子もきっと
どこか似ているはずだ
日を追うごとに似てゆき
生と死の見分けがつかないほどに
そっくりになる
貝殻だっそうだ

ひとつとし同じものはないのに
ひとつとし同じものがないから
命は 死に向かい 生に向かい
日増しに似ていく

 

 

松原和音「マンボウ」


昨日
水族館に行った

アーチの下を歩いていると
足元が影になった

見上げると
マンボウがいた

美味しそうだと思った

淡白で身がしまっていた

マンボウ
涼しげな顔をして
横切っていった

ふと
罪悪感が湧いた

お腹がすいているのは
私ではなく
マンボウだと思うことにした

 

 

 義若ユウスケ「光と化して」


にんじん色の世界だ
悲しみは光と化して
二月の午後の庭にわだかまる
埃っぽいカーテンをひらく
むかいの家の少女が窓枠に
あごをかけ空をみつめいる
はらはら
火の粉のような雪がふっいる
晴れた日に雪がふるこ
タヌキの婿入りいうのだ
いつだったか姉がいっいた
むかいの家の少女におしえる
タヌキが旦那さんだなん素敵ね
いっ笑った
姉が結婚した人はウニに似いた
無口でいつも不機嫌そうだった
むかいの家の少女はどういうわけか
年々すこしずつ姉に似いくようだ
私のこを姉さん呼んでいいのよ
いっくれるから
さいきんでは姉さん呼んでいる
母はそんな僕らのやりりを
気味悪がっやめなさいいう
陽が照っはらはら
火の粉のような雪がふりつもる
窓ごしに少女目があう
雪の日は
いつもふたりで雪だるまをつくる
表で会おう合図をおくっ
カーテンをしめる
にんじん色の世界へ
長靴をはいてとびだしゆく

 

 

浅浦 藻「砂」


 積もる言葉
 ぎしぎしの身体
 そっと閉じた目のうらに
 想うショートケーキの断面
 ねえ
 時間がふるまえにみてよ
 海底のと灰/スポンジとクリームの隙間に
 アンモナイトと私の死骸

 おおげさだね
 あなたが薄闇で白い歯を光らせてわらった
 小さなスクリーンに映る鯨
 行方不明の帆船
 質量のない情報
 床にを踏んだ
 さっきまであなたがいた隣の椅子にも
 ざらりとした感触

 くたびれたクッションにもたれて
 のふる天井をみた
 明日/明後日/……
 わたしは擦り減って
 だれかのになる

 

 

 

 風 守「骨を拾う」


火葬炉のボタン押して三時間
母の火葬番号のアナウンスが流れ
室へ妻や親戚と共に向かう
部屋に入り
斎場の職員からの拾い方等の説明聞く

喪主である私から骨を拾う
火葬前の眠りし母の姿形は全くなく
ただ片と灰があるのみ
私は長い箸で小さなつまむ
強くつまむと崩れてしまう
脆き人間の
生前の母はいつも強気だったのだが

私は丁寧につまみ
壺に入れる
続いて妻や親戚も同じく丁寧につまみ
壷に入れていく
母の足のから始まり

脊椎

肩甲
頸椎
順番に入れていく
母の体が下から順番に
壺に納まっていく
何巡目かした時
職員が最後に頭蓋骨を入れるように言う

頭蓋は何個かの破片に分かれている
いくつかの破片が壺に入れられる
母の思考や感情司っていた脳の入れ物は
ようやくその役割終える

最後に職員から
するように言われる
骨を多く入れすぎたためか
母の抵抗なのか
蓋がなかなか閉まらない
職員が上から蓋で押すように言う
押さえつける
ぐしゃ
という微かな音
母の最期の文句か

持って
我が家に帰る
お帰りなさい
お疲れ様
壷に語りかけると
母の苦笑が聞こえる

 

 

 

雪柳あうこ「蛍」


都会の真ん中で放たれるの群れを
誘われて、見たとがある
ビルの屋上に広がる庭園で

(いつのとやら、夢のようだけれども)

人の都合で育てられ
人の都合で死んでいくたちが
黄色い求愛を披露する
あえかな光の、たしかなアイデンティティ

闇に眩しく輝くネオンほど
美しいとは思えないけれど
交尾を全うするためだけに
尾を引く光はきれいだった

ほ、ほ、ほーたる

朝になればただの虫と間違えられて
打ち捨てられる都会の
生まれ変わる夢を見た、夜

 (それは、小さな願いだったかもしれない)

誰かの都合で生まれ落ちて
貴方の都合で死ぬとしても
飛ぶ理由は明確に知らない
それでも行くべき方向へと

必死に夜闇をもがく姿は
全く美しくなどなくても
ゆぅらりと、欲に正直な軌跡が
少しはきれいに見えると いい

ほ、ほ、ほーたる

目が覚めたら、朝の道端で命尽きた
小さな虫たちの骸を探そう
として生きたはずの命を

 (夢は夢、けれども、夢)

生まれ変われるのならば
あえかで、たしかなものに
愛し欲し生きるとに
ためらわず飛ぶものに

 

 

 

岡 堯「病棟」


13時の病棟は山小屋に似て
森閑としている

すべての窓と扉が開放されると
山々が聳え立つ
其処此処に日向が出来
床も畳もつやつやしてくる
くぐもった空気が吐き出され
そよ風に乗って
人懐っこいカヤクグリまで
ぴょんぴょん跳ねながら入ってくる

女の声がする
山の男たちは運搬や登山道の整備で出払っている

こんな午後
私はひとり取り残されている
仰向けに横たわり
身動きも出来ず
空気の匂いや音や気配から
後ろめたさで沈んでいる気持ちが
光景を想像しているのだ

ここが山小屋だったら
どんなによいだろう
だが、ここは病棟
森閑としているのは
山の爽やかな空気のせいではない
人は出払ってはいない
しろいシーツの上に
色鉛筆のように均等に
魂魄が横並びに寝ている

どこかで掃除機をかける音がしている

 

 

 

ケイトウ夏子「隊列」


立ち上がろうとする椅子から
脱げた靴まで
冷たいメジャーをあてる
やわらかい肉は
ただやわらかいと
金属に響く

白紙状態のノートに
ほおを寄せても
同じ気持ちはするだろうか

揃う前の言葉の足並み
聞こえてくるかい
すぐそこの角まで
靴を拾おうとして
足だけが歩いている
その足取りを見ている

 

 

 

六七「田んぼの空」


小さい頃
新しく水がはられた田んぼ
を見ていた
畦道を裸足で走ると
を飛んでいるようだった
手が届きそうなほど近いから
見上げたにも
簡単に飛んでいけそうな気がしていた

時が過ぎて
頭を垂れる稲穂が
水面を隠すところだけを見るようになって
はずっと遠いところになった
いつ間にか
見上げることもしなくなって
を飛びたいと
願うこともなくなっていた

また幾らか時が流れて
新しい水が
田んぼにはられたことに気づく頃
またを見上げた
頃と変わらない青い
今でもずっと遠いけど
今はそれでいいんだと知っている
高く飛ぶとこが
全てじゃないと知ったから
見上げた先に
変わらない景色があることが
幸せなことだと知ったから

小さい頃
新しく水がはられた田んぼ
を見ていた
今はあの空に手が届かないことを
知っているけれど
飛んでいくことはできないと
知っているけれど
田んぼに囲まれた道を車で走るとき
を飛んでいるような感覚を楽しんで
先を見つめている
真っ直ぐに続く
先を

 

 

中マキノ「旋楼」


内部は裏返し屋外で生物が循環している、投げ出された屋内が散乱する地面で人々営みが解かれて形式的な動作だけが繰り返されている振り上げる腕と何かが飛び散る軌道が描かれて植物弯曲になる、塔の中には太陽が照り明るく夜が同時に暗くあって生まれる、孵るもは消える、個体ごとに異なる運動がありすぐ途絶えて、明滅、泉が湧いて枯れる、塔内部と外部は頻繁に入れ替わり、そ度に失われる動作がある、人々は極小動作だけを繰り返しぼんやりとして塔壁を見ているが壁も何かを隔てている場所というだけで物質としてはほぼ失われており人々視力もごく弱いで、見る、という動作化石だけが宙に浮いているという名前生物が生まれ形を変えては消える、風が吹いていたと思うとない、私、が塔頂上にいたという形式が残されている、何かを撫でた感触が植物種子揺れ方として残されている、眠りは停滞と速度として塔内外を行き来しながらすべてを夢にして忘れさせる、目覚めは地に潜りながら見えないで見る太陽光、振り上げられた腕がもう落ちてこない部屋を願った夜が凝固して塔が造られ、庭で跳ねていた雨粒が不完全な窓になって風景が歪み音を立て歩き回っている真昼に、私、が風景を削り取りながらその中を歩くあなたを彫刻していた朝は反転して風景が失われた塔外部に落ちて砕かれ続けている、裏返されては元に戻るようで何度も伸縮を繰り返した身体は徐々に形を変えて千切れ欠片が塔外壁に吸い込まれ吐き出される夕方が瞬時に朝へと吸収されていく途中の夜が一本管になって草原に横たわっている、を取り上げる手動作、振り下ろす一瞬に反動、強烈な真昼がとてつもなく暗く飛び散るそ軌道上に少し私が現れ、ひとつ生物種になって繁栄し絶滅し記録され削除され塔が建つ、逆さに

 

志津田 欣「ウルエ」


凪いだ水溜りの底の肉黍潰す、いい?
あとのこりなきよう めいめいしてから
見えないいきもののいなくなった針で
返事より先に穴があいた 育ちきらない
でっぱり 月のハローのように滲む、
ぽたりこぼれた露が耳に落ち七兄爪を焼く
燃えながら いい、いい、と言う
いい、いい、全てが
いい、にうらがえっていくたび
それが恋だった凸凹がさらさらとくちる
はなれ ばなれ 夜を篩にかけ
ときじくの点点を繫ぐ人臭い靭帯
ずれたいたいこの愛が割いた頁を
せなかあわせに白い影で綴じた楽譜に
みしようの卵の旋律が書かれる
赤い漏斗を遡行する
サーモンの群れが喉笛を吹く
いい!いい!サビめいていく
ふるえながら針がレコードの
上をまっすぐに歩く
肌理のあらい空の中で祈るように
かなでられた休符 耳鳴に溶けて
名前をなくした響きだけが
球のように膨らんでいく

 

ケイトウ夏子「気泡船」


螺旋階段を遠泳するように降りていくのは
持ちきれなかった過去の溜まる
スープを掬うためで
木片と
足音を拾い集めると
もう飲めない もう抱けないと
割れた夜への理解を深めた
エビの姿勢で私は固まる

植物の目になって見つける貯水池
そこでは根を張るさだめが
滴る水の中に忘れられていく

わたしたち、眠らないとね
頬杖をつく時間が
約束として放たれた

 

 

木内ゆか「屹リツ滿ツ森」


の小径は 細くて長い
ミライへ続く卵管なのに かの女の中の
腐葉土は 詩篇がほぐれて〈創世記〉の匂いがした
ひと雨ごとに深くしずんで 祈りの形でまるまって
(もう一度…)

リリスの香水くゆらせて
鏡の中からあるいてきたのは
もう一人の(詩人の僕だ…
なつに羽化する(二卵双生…
サナギの記憶をたぐり寄せると
複眼系の脈がひかった
(あのとき君は

しあわせでは なかったの?
せりあがる かの女の水位!
あぁ又なのか!)逃げおくれて 逆巻いて
押し流された 沼のほとりは
ドクダミが原・・・
黄色い乳首の 屹リツ滿ツ森
感じやすくて 垂直で

コモレビだけで 揮発してくる
〈かの女〉のアセトアルデヒドが
僕の詩層をチリチリ燃やして
もうこれ以上はコトバをうめない
鏡の君へ あるいてゆけない

辛うじて
痣にまみれたスペード葉と
白い十字で 沼に浮いてる
君の茎 僕の血管(べセル)…

 

 

片岡直子選評 

7月に入って3週間、すでに72作品が寄せられていて、この投稿欄の存在意義を考えています。私は人生の真ん中辺りの頃に投稿を始めましたが、延べ10名ほどの詩人の方々に選んでいただいたり、選評をいただいたりした詩を集めて、最初の本を作ったので、皆様の詩を読むときも、心楽しく、けれど慎重に、丁寧に……と、心がけていたら、それまで以上に、味わって読むようになった気がします。

九割の方が、すでに心得ていらっしゃることですが、残りの一割弱の方の詩に関して、少し書いてみます。前回は、何となく書いてしまったラストを省く話をしたのですが、今回は、消しても詩が成り立つ、接続詞や副詞や助詞他を、省いたらどうなるか、試してもらえたら……ということです。散文の場合は、親切さが求められますが、詩はもう少し読者を信頼して、読みをあずける、またはもっと無責任に投げ出す……ということにより、輝くことがあるように思います。受け取るこちらは丁寧に読みますが、描く側は、慎重に、不必要な丁寧さを省く…という感じでしょうか。

また、脱字や衍字、行数オーバーのあるもので、選びたいと思った詩は無く、(当たり前のことですが)描いた方本人によって、何回も読み返されることにより、詩は、一層優れたものになっていく……と、改めて感じているところです。

入選】 

岡 堯「似ていく」 

心に残る詩を送って来られる方で、この詩が一番、無理なく流れてくるように思っています。読み終えて、更新された瞳で世界を眺めるような状態になりました。「透明なのに黒い渦」、印象に残ります。

 

松原和音「マンボウ」 

他二編も無駄がなく佳いですが、連ごとに時が止まるようで、さりげなく懐へ誘い込む魅力のある本作に、しばしほっとして、寛いだ気持ちになりました。

 

義若ユウスケ「光と化して」 

すっといく嘘のような詩の、明るさに好感を持ちました。

 

浅浦 藻「砂」 

詩の生まれる素地のようなものに、敬意を表したくなりました。「だれかの砂になる」も佳いですが、「ざらりとした感触」に、初読で立ち止まったことを覚えています。

 

風 守「骨を拾う」 

自分の心に確認し、尋ねながら詩を紡いでいる。お別れのシーンなのに、こちらにも思い当たる節があり、自分の家のことを思い出して、微笑んだりすることがありました。「徹底的に個を突き詰めると、普遍性を獲得する」という一つの例なのかもしれません。

 

【佳作】

潮江しおり「ことわり」 

この若い方に何があったのだろう。生の真実への詩人の思考に付き添って、降りてゆく。今という時代、または季節を想いました。

 

水城鉄茶「整体」 

何が書かれているかではなく、どう書かれているかを読むのが愉しい。「通帳も渡してしまおう」なんて、とんでもない言葉も詩ならあり。読み終えて、言葉の弾みと、軽快感、爽快感が残っていれば、それで〇にしたくなる。何かのギアを変えると、果てしなく佳くなる予感がします。

 

眞柄史織「生前の約束」 

20期の詩からの飛躍に驚きました。本作の、内容は言うこと無し……でしたが、最後に「詩としてどうか」というところで、入選の手前に置いた、という感じです。

 

夕花「声」 

読み返すたびに、詩が深まる印象を受けました。煮た繭からさなぎを取り出すシーンが、詩に重なって鮮明です。

 

横山大輝「定まらない唇」 

最初、「曲体」を選んでいましたが、こちらの具体性の方がより迫ってくるように感じ、本作を推すことにしました。歌詞にもなりそうですが、特に最終二行、詩句として美しい。

 

【選外佳作】

有沢瑞穂「境界に臨む」

涼夕璃「風薫る」

柊 央仁「おやつ」

秋葉政之「仮象」

漓李「錦木」

絶ツツツツ句「真紅」

石内良季「孔牛と娘」

真田真子「チョコレートリップスティック」

森部英生「霊園にて」

沙さ崎ゆがみ「自分だけの幸せ」

 

◆上手宰選評

【入選】

雪柳あうこ「蛍」

ヒト類が〈夏の風物詩〉的感覚で見世物としている蛍の明かりは、実は生殖を目指す求愛の光であることに注目している点がユニークです。「人の都合で育てられ/人の都合で死んでいく蛍たちが/黄色い求愛を披露する」。そしてそのかすかな光のショーは美しいのか、という点でも一般的な感情に流されないリアルな視点を持ち続け、また「朝の道端で命尽きた/小さな虫たちの骸を探そう」と、その光が見られない昼間には他の虫と区別のつかない存在であることを強調し悼んでいます。「交尾を全うするためだけに/尾を引く光はきれいだった」ことに引き込まれていく作者は、最終部分ではその光を〈鑑賞する〉ヒト類を抜け出て「生まれ変われるのならば/あえかで、たしかなものに/愛し欲し生きることに/ためらわず飛ぶものに」と自らの生命観を重ねていきます。同じ作者の「枝」も生の深みを描く感動作で迷いましたが、モチーフの明瞭さによりこちらを採りました。

 

岡 堯「病棟」

第二連で描かれた山の景色が、牧歌的で、冒頭に「13時の病棟」と明示されているにもかかわらず、山の風景に読者を誘いこんでしまいます。この不思議な引力が最後まで続いていくのがこの詩の魅力です。「女の声がする/山の男たちは運搬や登山道の整備で出払っている」といった描写は、これは一人の患者の思い出です、とかイメージですとか説明されても読者は二つの世界に境界線を簡単に引けなくなる。後にこの部分は「森閑としているのは/山の爽やかな空気のせいではない/人は出払ってはいない」と逆照射されますがそれは種明かしのように現実に戻ってくるのではなく、これから病棟という新しい世界に入っていくかのようです。どちらかが主でどちらかが従という関係ではない叙述の妙が詩となっています。最終の「どこかで掃除機をかける音がしている」も何気ない描写ですが静けさを際立たせる一行で、落としどころの妙も心得た書き手と感じました。

 

ケイトウ夏子「隊列」

「立ち上がろうとする椅子から/脱げた靴まで/冷たいメジャーをあてる」のは距離を測るためなのに、突然「やわらかい肉は/ただやわらかいと/金属に響く」というように次元の違うものに転換されてしまいます。次に選ばれた「白紙状態のノート」と「ほお」との対比もなぜか実感的で切実です。そしてそれは「揃う前の言葉の足並み」であるのだと言われると、私たちが日常的に隊列として整列し終わっている言葉ばかりを見ていることに思い至ります。この世界全体と直接触れた時の不思議さを今一度思い出してみたくなる詩です。椅子から少し離れた靴までのもどかしい距離の中にそれらは潜んでいるのでしょう。「言葉の足並み」が揃うまでの音が聞こえると感じるか感じないかで評価が分かれそうですが、私にはとてもだいじな響きとして感じとれるように思いました。意味となって安定してしまう前の何かの響きは、詩の源泉かもしれません。

 

六七「田んぼの空」

「畦道を裸足で走ると/空を飛んでいるようだった」と感じられるような、水を張った田んぼのイメージに引き込まれました。それはさらに「手が届きそうなほど近いから/見上げた空にも/簡単に飛んでいけそうな気がしていた」というのです。それは稲が育った時には違った景色になりますが、それ以上に自分が大人になることによって空は遠ざかったという心の変化が丁寧に描かれていて、好感を持ちました。奇をてらったり才気走った表現はありませんが、無駄な言葉もなく現在に寄り添う道のりが見えてきます。そしてその根源にあるのが小さい頃感じた、道から空に落ちてしまいそうな近さと自由さの感覚です。最後は車を運転しながらそれを見るわけですが、これは裸足で走ることと対句をなしているだけでなく、幼少期と成人後の対句ともなっています。どちらがよいと決めつけるのではなく過去・現在を貫いて進む自分の時間と道を肯定する安らぎに満ちています。

 

【佳作】

新島汐里「ループ」

自然な言葉遣いの中に、知的な比喩を散りばめた魅力的な作品です。好きな人への想いも伝わってきます。例えば「述語は主語を殺してしまう」にはドキッとさせられます。述語(カテゴリー)は主語の属性や様態を示すものですが、現代では逆転しカテゴリーに人が分類され始めました。しかし作者は好きな相手の香りと音楽が残っていることを知っているのです。それこそが主語なのでしょう。一行一行が味わいのある愛の詩でした。

 

豊田隼人「アクセプタンス」

短くて単純な語りの中に、真なるものが芽生えるのを見るようです。「無関心」という言葉そのものが否定的な意味合いを帯びる現今ですが、この作品では同じ言葉が、ある受け入れ方、優しさとなっています。意味や概念に汚れた言葉ではなく、大きくて皮膚も硬いであろう象とそこにちょこんととまっている蝶という絵の伸びやかさ美しさから来ています。タイトルも魅力的です。16歳の高校生の作。無駄のないしまった文体ながらうねる波も作り出しているところにも驚かされます。これからもぜひ詩を書き続けてください。

 

守屋秋冬 「合言葉」

子ども時代の遊びが大人の世界に紛れ込んでいく時、「合言葉」は「パスワード」に変質してしまったようです。「パスワードが違っています」と言われた時の絶望感は現代人ならみな知っていることでしょう。個々の人の差異や互いを認めあうキーのようなものが人と人をつなぐ「合言葉」だったのに、セキュリティの名のもとに、分断されたパスワード時代が現出、立ちふさがる壁の感覚が最終連の虚しい検索風景によく描出されています。

 

義若ユウスケ「三月の光」

「慇懃ぶった春の小鳥が/片っ端から目覚める朝だ」から血に染まる海へと視線を誘導され、その「大捕物」に釘付けになります。日常ではあまり出会うことのない光景なので読者はややハイになって見入ってしまいます。鯨は千年も生きたっけ?などの疑問も、叙述の元気さに押されてみごとな「誇張表現」へと昇格します。祭りの興奮のような調子や勢いを最後まで持続させ、非日常へと読者を投げ込む語りの巧みさを評価しました。

 

【選外佳作】

有明 ショウ「あなぼこ」

凰木 さな「囚人」

沢口リリキ「風のうた」

すぐみちゃん「ネイル」

南田偵一「奏でる十二葉は緑黄」

 

◆福田拓也選評

  今回の入選作の詩語のレベルには非常に高度なものがあります。この詩投稿欄全体のレベルアップも期待されて頼もしい限りです。

 佳作については、たとえ2、3行でも光る詩行のある詩を主に選びました。たとえ2、3行であってもそのような詩行が書かれるというのは凄いことであると思います。なぜなら、そこに詩が到来しているということですから。

 1行のあるいはたった一言の光る言葉が来るか来ないかということが詩を書くことにおいて賭けられているのではないでしょうか。詩は頭で考えてやって来るものではなく書いて行くうちに来るかどうか…詩を書く者の誰もがそこに苦しみ、詩を書くことの強烈な快楽もそこにあるのではないでしょうか。

 

【入選】

浅浦 藻「砂」

砂の質感、言葉の質感、そして身体のちょっと乾いた物質感を感じます。言葉の手触りを感じさせるようなこのような才能は天賦のものかもしれません。「時間がふるまえにみてよ/ 海底の砂と灰/スポンジとクリームの隙間に/アンモナイトと私の死」。この詩行、素晴らしいです!大きな才能を感じます。まだ高校生で詩歴なしとのことですから、これからが本当に楽しみです。

 

中マキノ旋楼」

詩語のレベルの高さと詩的空間を開いて行く幻視力が際立っています。詩的エクリチュールの展開のままに対立物が絶えず入れ替わるいわばヘーゲル的迷路が開かれて行くところがとても魅力的です。最後の「逆さに」というところも決まっていると思います。例えば「見る、という動作の化石だけが宙に浮いているという名前の生物が生まれ形を変えては消える」というあたり、意味生成が妨害されながら言葉の連なる感じが素晴らしいです。このような散文詩をどんどん書いて行って、詩によってしか可能とならない空間を幻視しつつ開いて行ってほしいです。

 

志津田 欣「ウルエ」

言葉の何か痛みを伴うような生々しい身体感覚といったものを感じます。極めて繊細な言葉たちが連なる展開もいいし、最後の終わり方にも説得力があります。「凪いだ水溜りの底の肉黍潰す、いい?」、「ぽたりこぼれた露が耳に落ち七兄爪を焼く」というような詩行の意味の捉え難さはかえって言葉の身体性のようなものを浮き上がらせています。詩語のレベルは極めて高く、この詩人の大きな才能を感じさせます。

 

ケイトウ夏子「気泡船」

この詩の詩語の水準にも並外れたものがあります。とりわけ次の4行が素晴らしいです。「木片と/足音を拾い集めると/もう飲めない もう抱けないと/割れた夜への理解を深めた」。

木内ゆか「屹リツ滿ツ森」

この詩もまた現代詩として高い水準に達しています。特に「森の小径は 細くて長い/ミライへ続く卵管なのに かの女の中/腐葉土は 詩篇がほぐれて〈創世記〉の匂いがした」という素晴らしい詩行には、言葉のまさに匂うような物質感が感じられます。

 

【佳作】

義若ユウスケ「痣」

詩語のレベルが高く、展開も心地よく、作品としてもまとまっています。とりわけ次の2行が光ります。「すべての鳥が燃え尽きる頃/海を抱いて眠る」。

 

真田真子「こぼれて空」

「溶けた青い空に癒されたあと/部屋でこの世が割れることを願ってる」という冒頭の2行がとにかく素晴らしい!

 

池田伊万里「tistis…」

全体的に詩語のレベルの高さを感じます。とりわけ次の3行が秀逸。「すきまの崖と羽毛のかろやかな/たった数センチの命いいえそれは/島という島にならべられてゆく歯の台風により」。

 

中山祐子「画家をめざしたかたつむり」

「かたつむりが笑えば/世界をさかさに映しこんだ/何百もの目が笑いかえしてくる」という3行に詩の到来を感じます。

 

八嶋 篭「氷点下の川辺」

「私の処に私はいなかったし/彼らの処にも私はいなかった/私は死なないと生きられない」という最後の3行に切実なものがあります。

 

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