詩投稿欄

詩投稿作品 第19期(2020年10月1日―12月31日)入選作・佳作・選評発表

日本現代詩人会 詩投稿作品 第19期(2020年10月1日―12月31日)

厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定いたしました。

選考結果
■松尾真由美選
【入選】
岡崎よしゆき「永劫回帰」
雪柳あうこ「刻の森」
池田伊万里「出発」
【佳作】
白水荀「降り立つ雪」
シーレ布施「骨」
北岡俊「見えないところで」
東浜実乃梨「今度のレとラ」
柴崎達裕「『鹿ゞ』」

■柴田三吉選
【入選】
岡崎 よしゆき「永劫回帰」
ヨクト「彼は規則正しい生活をおくっていた」
中山 祐子「勝手に帰る足 落とした耳」
雪柳あうこ「履歴書」
【佳作】
加勢健一「みつあみ」
末国正志「白鳥(はくちょう)の歌」
橡片朴「望郷幾里(ぼうきょういくり)」

■浜田優選
【入選】
吉岡幸一(ヨシオカコウイチ)「雨の間」
岡 堯(オカタカシ)「鏡」
高橋蒼太郎(タカハシソウタロウ)「あなのなか」
中 マキノ(ナカマキノ)「瓶躯」
【佳作】
坂元 斉(サカモトノボル)「儀式」
小橋出水(コハシイズミ)「美しい日々」
潮江しおり(シオエシオリ)「喪う」
岡崎よしゆき(オカザキヨシユキ)「しまんとがわ湖畔のまちで」
東浜実乃梨(アミハマミノリ)「今度のレとラ」

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岡崎よしゆき「永劫回帰」


遠雷がかすかにゆれると
水平線のにおいもまたゆれるのだという、
しろいクジラのつぶやきが
きこえたような(気が
して)
ふたうみビーチのすなのうえにすわったまま
くろしおをポケットに入れると
なみ
おとが
あふれだしてきてこまってしまう
「コインケースのなかのくうはくがおぼれているね」
二日酔いのカモメのはばたきが
海図をぬらす風になってそらにそまって(いった)

クジラの吐息からうまれたうたごえが
はるかむこうでおよぎはじめる
どうしてかはしらないし
しろうともおもわないのだけれど
しらじらと
波がしら
みえない海域にきみがくちづけしたあの日
いくつもの日付変更線を
つかまえてはよろこぶ幼児だった
はまべでは
すなのしろ
しろうさ~んとよばれていた羊が
ひるがおにうづもれてこちらをみつめていた
沖あいでは
うたごえがおぼれかけているというのに
だれもなにも
きづいてはくれない

むかし聞いた
あのものがたりをおもいだしてみたかった
このはまべに
水でできたひとたちがすまっていて
顔もひとみも
腕もゆびも
すべてが真水で
みしらぬ樹のかげで
かれらがだきしめあうと
ゆらゆらとしたゆらめきが
こころのなかの
いとしさをあふれさせてやまなかったというあのものがたり

かぜはうたうだろうか
うたってくれるだろうか
ながれゆく雲に
ざしょうする遠雷のゆれはさらに
とおくなって
しろいクジラが
水平線のうらがわで永劫回帰をゆめみながら
ねむりつづけてゆくばかりの海

 

 

雪柳あうこ「刻の森」

深いへと出かけてゆく
二十年前と同じ曲を耳に流し込みながら
ふとすれ違う人に会釈をして
水筒、少しばかり食料、雨具を背負い
中へ

深い森の奥に踏み込めば
二十年前、わたしたちが歩いている
ふとすれ違う人に挨拶をして
もしかしたら、生まれてくる前にも
あなたと歩いたかも知れない

深いは夢を見ている
わたしたちは、そ中をさまよう
二十年前だと思った
でも、二百年前かもしれない
あるいは、二千年前かもしれない

  草を食む鹿を狙って射掛ける矢
  争いに流れた血を含む生臭い泥
  人目を忍んだ逢瀬形に窪む苔
  足下羊歯は秘密全てを覆い
  団栗は真理に沈黙して永く眠る

深い意思中で交差する
わたしたちは歩き続ける
ふとすれ違う人に手を伸ばして
わたしたち歩みそが
森の見ている夢かもしれない

生まれ変わっても また
あなたを いとしく思うだろうから

深いへと出かけてゆく
何十年、何百年、何千年先でも
ふとすれ違う人を抱擁して
過去と未来を胸に抱き直す
中で

 

池田伊万里「出発」

繕うことなどないよ
果実という名の橋
怯えるだろうと思う
散らばっていく心が砂地のように乾いていく

  小雨  手触  萎びた謂れのための…

            目が醒めるとわたしは肉を失っていた。
            欠けたものは指かそれとも腕か、あるい
            は掘進めるほどにぬるくなっていく血
            のような顛末。誰も来ないよと手渡され
            た鍵で開く扉を探すのか、途方に暮れた
            皮膚のあらゆる地点にめこんでいく粒
            鉄のような怒

いったん止まるのだよ
橋という名の賽
悔しいだろうと思う
なぞ続けるのだろうか
ばかが烟って霧のように立ち込めていく

  風音  静けさ  綻ぶ思惑のための…

            まだ脚はあるのだろうか。それが道であ
            ろうが痕であろうが、走らせた声は震え
            ながら前方を照らしていく。焦げついた
            憐憫で熱されて溶けていく空を担がされ、
            もう進めないとやめた呼吸に集る蟻のよ
            うな悲しみ、

賽という名の数式
数式という名の五線譜
五線譜という名のやめてくれやめてくれやめてくれ、でないと抱え
きれなくなってしまう、

  糸  移ろい  遠い昨日のための…

 結び目 たゆたい 途切れぬ明日のための…

環  揺らめき  廻る命のための…

差し出すつもでいた。それでいいと思っていた。鍵を使わずに蹴倒
した扉、あふれた一匙の比喩で濁る水を飲み下し、自力で澄み渡ら
せた空の荷を下ろしてやっと繋いだ呼吸。果実が熟れる前にこの橋を
渡るのだと、まだ間に合うと賽の目を塗潰して、ほどかれていく数
式が奏でる音をひたすら五線譜に書き留めていく、
差し出すつもでいたのだと、
それでも胸が震えると、
わたしはわたしであったのだと、
そして今始まると、

  夕映え  白砂  まるで旅路のような…

課したものなどないよ
ようやく形になったのだ
嬉しかったんだろうと思う
信じることができるだろう
遠い銃声に命を言祝がれた出発の日に

 

 

ヨクト「彼は規則正しい生活をおくっていた」


彼は規則正しい生活をおくっていた

雨の日も暑い日も風の日も雪の日も
毎朝日の出まえに時計台にとうちゃくし
はしごをのぼり機械室でハンドルをまわし
昼の時を守り日の入り後に家にもどった

彼がハンドルをまわすと東の地平で待つ太陽が顔をだす
おなじ力でまわし続けると六十数えるたびに太陽は十五度すすむ
雲で太陽がみえなくとも太陽は雲のうえにあり
静かにうつろうことを彼は知っている

彼がハンドルをまわすと歯車がうごく
時計針が正時とかさなるたびに
バレルのピンがキーをおしはなちハンマーが鐘をうち
カリヨンのねが街に時をしらせる

その日さいごの一回転をまわしおわり
太陽が西の水平にかくれたことをみとどけ
耳に手をあて、鐘の余韻がきこえなくなると
彼は油をさし歯車止めをかけ
背広のほこりをはらい帽子をなおし帰路につく

彼はくる日もくる日も家と時計台をおうふくした
家のある丘から野の道をふみ川をわたり
石段をのぼり石畳を何度もまがり
時計台の木の扉を彼だけがもつ鍵であける
そして同じようにもどっていく

ある暮れがた、家のてまえの道ばたにうなだれた少年と
その肩にマントをかけて抱く少女がすわりこんでいた
お星さまがほしいとないているの

彼は香る菩提樹の木にのぼり星空へ手をのばし
隅で青く輝く小さな星を、ひとつはずした
一等星にしようかまよったが、全天に二十一しかなく
旅人や渡り鳥が困るとおもったからだ

やがて彼は結婚し子は独立し孫をもった
幸せな毎日、太陽は季節を順にめぐらせ
雷の日も吹雪の日もカリヨンはうたいつづけた

彼が、遅れてきた妻とともに菩提樹の下でねむり
さらに数えきれない時がながれた

時代がかわり、街は空からふる火で焼かれ捨てられた
いまはときおり、羊飼いが羊をおってやってくるだけだ

それでも太陽はこの地をてらし、カリヨンが時をつげる
あの少年と少女に導かれ、天にのぼった彼が
妻や子に見守られ、ハンドルをまわし続けているからだ

さあ、おしまい
おやすみ
あしたは、夜時計と彼女のお話ししてね

微笑んでうなずきかえすと
子はもう、寝息をたてていた

 

中山 祐子「勝手に帰る足 落とした耳」

は実直だ
歩きなさいと命令されわけでもないの
黙って体を連れ帰る

心はぱらぱら
途中の道端に落として置き去りのまま
構わず
曲がるべき角を曲がり
登るべき坂を登る

寒風はを切るようです
でも本当に耳がもげても
気付かぬほど他の場所が痛い

後ろを歩く人が
落ちている耳に驚いて
遺失物として届けようか
ここの白樺の枝でもかけておこうか
迷っている間
はもう
着いて靴を脱ぐところ

は1人じゃ帰れないので
歪なかつむりのよう
ぶよぶよ内ひきこもり
遠のいてしまっ心音を数えようとする

を失っ体は
無事帰宅しものの
微妙平衡感覚を失い
沈黙の湯船で溺れてしまう

 

雪柳あうこ「履歴書」

「昨日さぁ、京成線の踏切の
遮断機が降りた時にさ、
中に入ろうかなって思ったんだよね。
別に理由とかなくて
ふわって、
呼ばれた気がして」

ファミレスで
新たな道を志す君は
さらさらと履歴書を記しながら
当たり前のように語る
屈託なく
泣く泣くでもなく

君がいてるのは、
何だったっけ
履歴書
あ、詩か
いやいや、君の生き様と
メメント・モリ

手元のそれはすぐにき終わり
君は席を立って
じゃーねー、と笑った
じゃーね
明日の予定を尋ねたら
バイトの掛け持ちだと言った

君、明日
、行くんだろう
そしてそれ
いつ、どへ提出するの
よく考えたら僕は
君のと、あまり知らないけれど

ペンで一発きでも
すぐにき終わったとしても
決まり切った紙一枚に
ききれないはずの君を
かで誰かがきっと、気にいる
(僕みたいに)
それくらいには、の世界を信じている

だから

今日は帰りに
君んちの近くの京成線の踏切を
通ろう
あんまり、君を
呼ばないでくださいって
お願いしておかなくちゃ

 

 

吉岡幸一「雨の間」


透明なビニール傘に打ち付ける
弾けながらコンクリートで舗装された歩道に落ちていく
落ちたはくぼんだ場所で水たまりになり
水たまりは湖になり海へと成長していく 夢をみる
小学校へ通う子供らはできたばかり水たまりを蹴散らして
水たまり夢を残酷な無邪気さで壊してしまう
交番前に立つ若い警官は傘もささずに合羽を着ている
道路を渡った向かいにあるコンビニ前で
ビニール傘をさす老人を眺めながら頬をに濡らしている
信号があるわけでもなく バス停があるわけでもないが
老人は親しみ籠った眼差しで若い警官を見つめている
見つめ合う目と目の間は降る
ときどき通り過ぎていく車はふたり視線を切り離す
老人が何かを言っているが音で打ち消される
若い警官が何かを答えているが声はに撃ち落とされる
空に蓋をした重そうな黒い雲がゆっくりと流れている
を落としきったら雲は消えてしまうだろうか
消滅するためにを降らせているだろうか
色鮮やかな傘をさした四人若者が横列になって
歩いていく先には予備校と競艇場がある
どちらに向かっているかわからないが
だけはそ答えを知っているように若者肩を濡らす
若者はるか後ろからはサラリーマンがひとり歩いてくる
しきりにお辞儀を繰り返しながら携帯電話を握っている
前を見ているようで見ていなくて目は開いたまま閉じている
が溜った凹みにつまずいたサラリーマンは
膝と両手をついて倒れてしまい握っていた傘を飛ばしてしまうが
携帯電話は落さないように肩と首の間に挟んでいる
どこか腹立たしそうな顔をして立ち上がるが
心配そうに声をかける婦人を無視して飛んだ傘を探す
傘は道路を渡って若い警官前まで飛んでいる
若い警官は無表情で傘を拾い上げると開いていた傘を閉じて
サラリーマンに向かって手を挙げて合図をするが
交番前で立っているだけで傘を持っていこうとはしない
サラリーマンは軽く頭をさげると濡れるも構わず駆けだしていく
若い警官もとに傘を取りに行くこともなく駆けていく
会社に遅刻するとでもいうか 傘がいらないとでもいう
若い警官はサラリーマンを追いかけることもせず
駆けていく方向を黙って見ているだけ
拾った傘を広げてみれば水玉模様青い傘
くるっと回して雨の滴を飛ばしたあとで慌てて閉じる
交番入口横にそ傘を立てかけると
手で顔についたを拭ってまた傘もささずに雨の中に立ち続ける
透明なビニール傘をさした老人はまだそままで
コンビニ前からじっと愛しむように若い警官を見つめている
ズボンはが染みこんでいるか脚に貼りついている
傘を持つ固く握った拳にはがまとわりついている
は止みそうになく空は晴れそうになく時は止まったまま
ようやく老人はビニール傘をさしたまま歩きだす
手にはビニール傘他には何も持っていない
若い警官は目で老人背中を追いながら安堵ため息をつく
はビニール傘をすり抜けて
コンクリートで舗装された歩道に落ちていく
落ちていく

 

 

岡 堯「鏡」

その日もは人を写していた
の前で人は
ニッ、と口を低く左右に開いた
歯並びの点検ではなく
笑顔の演習だった       

は壁紙で白く覆われた壁に
人の背丈を少し上回るほどの高さを持たせ
磔られてあった
人を等身大に写すためだった

人がいなくなるとは窓を写した
窓の奥には隣家の暗赤色の外壁が迫っていた
上部には同じ色合いの屋根の穂先があり
隅っこに辛うじて三角形の空を写した

人が帰らない夜もは窓を写していた
三角の空から月明かりが差し込んでいた
痩せた猫が屋根の穂先にいて
窓から飛び込みそうな素振りをみせた

人が帰ってきた朝もは窓を写していた
洗面室から嘔吐の声がした
の前で人は笑顔の演習をしてから
家を出て行った

その家から荷物を運ひ?出されている間も
は窓を写していた
跼(せぐくま)って掃除機をかける作業員の
頭上遠くの空を写した

すべての家具が運び出されたあとも
は壁に置かれたままだった
引き取り手のない
その日も人を待っていた
碧い風が吹き 馴染の猫が来て
通りすぎていった

夜になり
は全身を
闇の中に投じた
には闇しかないのだった
朝日を見ることもなく
夕日をみることもなく
壁がつくる闇に
とけていったのだった

月のまわりにはいつも
風のように星が流れていた
闇の中にいる
さらに暗い闇を写していた
闇の中の中で
忘れていた思い出や
人と見た同じ景色を

涯しのない
夢を写すのだった

 

高橋蒼太郎「あなのなか」

もう夜だという
愛すると誓った
前で
欠伸をしたりする

泣きべそかいてる
子供よこで
つぎ尿意をかんじてみたり

許してくださいと
ひざをついたが、
本当は、
立ち疲れただけなだ。

学者は
せかいに
ぽっかりと空いた
みつめてはいるが
さらに、
落ちてみようとは
おもわないわけで

わたしとて、
落ちたくて
そうしたわけでなくとも
いまや
学者がみつめる先に
わたしような
社会切れ端が
午後まで寝ている。

そういえば、
今年、
知人が結婚しました。

ふたり犇めきあった
静寂。
たゆたう
下で、
眠っている
かれに
やさしく語りかけただろう。

「これから先は、ふたりね。」

せかいにひとつ
が、
埋まったようです。

 

 

中 マキノ「瓶躯」

排泄を祝う、トイレタンクにシャンパンの瓶を沈めて、船が浮か
んでいるは絵画海だ
幼い頃に見た絵画海はどこまでも続いていて小さな額のなかであ
まりにも巨大で私は海お腹の中に飲み込まれた
お腹の中には絵画海があっていつもお腹が痛い
母に連れられていった実際海はすぐに空と接していて近くて浅か
った、曇り空ような色をした絵画海では船は遠ざかっていく
ではなく飲み込まれて沈んでいく
遠い昔に沈んだ船が私お腹から排泄される、きれいな緑色や乳白
色で、母が子ども頃に海で拾ったという貝殻、胎児形をしたも
に似ていた
子ども母は胎児を拾ってずっとお腹の中に入れており、ある日便
の中に私が生まれた
母はお祝いにシャンパンを開けようとしたけれどまだ子どもだから
開けられなくて仕方なくトイレタンクの中にしまっておいたまま
忘れてしまった
便器の中に溜まった水は小さな額の中のほんとう海で、母がレバ
ーを引くと私は流れていった、そこは巨大な海でほんとう船が泳
いでいた
私は船を真似て泳いだ、船は船尾から何か糸ようなもを出して
いて、少しずつ海を排泄しているだった
排泄物のなかで息をして、腕を動かして、私ために沈められ
たシャンパンを探した、曇り空色をしたほんとうの瓶がどこかに
あると思った
泳いでいると思ったが私は船になっていてお腹が痛かった、少しず
つ海を排泄していて、を見つけた
は空っぽだった、母が飲み干したかもしれないしそれは私
んとうからだかもしれないで私は空っぽの瓶に海を入れて蓋を
したらトイレタンクから引き上げて、便器の中身を開けた
大きく波打つ灰色海が便器の中で荒れ狂っていた、その中に母
小さな背が見えたで私は手を突っ込んで引き上げた、母形を
した貝殻だった
シャンパンの瓶に貝殻を入れ、私排泄物を入れ、便器の中に押し
込んでレバーを引いた
は流れていかないで海真んにとどまって、瓶の中ではとても
小さな母が新しい船になろうとしていた


松尾真由美選評
【入選】
岡崎よしゆき「永劫回帰」
本当に海を見つづけている気がします。そのことでロマンチックな作品に説得力が生まれている。「水平線のにおい」「クジラの吐息」など、こうした表象も作者の発見ですし、はまべにみずでできたひとたちがすまっているというものがたりも素敵に心地よい。風景から得るものを大きさが永劫回帰を可能にしていて、豊かな抒情性を感じさせます。

 雪柳あうこ「刻の森」
鬱蒼とした森の中ではたしかに時空が変容していく。その感覚を歩行感覚の記述とともに表わすことで、二〇年、二〇〇年、二〇〇〇年という年月が唐突ではなく、むしろ森の時空(深さ)が人とともにいたことに気づかされます。時空の変転は夢のようなもの。森は人を受け入れ、主体も人を受け入れている。そんな優しさを感じられる作品でした。

 池田伊万里「出発」
詩の形の工夫によって一作品の中でも発話の仕方を変えており、それは成功していると思います。肉体の欠落などが描かれていても(下段落部分)主体の前向きさで無いことも昇華される。それが「出発」ですね。力作ですが「怯えるだろうと思う」「悔しいだろうと思う」「嬉しかったんだろうと思う」この三行は取る。作者の感想はない方がすっきりします。それと「廻る命のための」の「命」は他の言葉に変える。その方が最終行の「命」にもっと重みが出ます。

 【佳作】
白水荀「降り立つ雪」
「ちら、ちら、ちら、ちら」の擬音が、雪が降るというよりも、弱々しく雪が落ちる感じを出しています。この雪の薄さが儚げで、消えた雪が時間として現れてくるところがとても良いです。三行目「冬の初め」四行目「まだ厚く」は取ります。「冬の初め」は重複させる意味は感じられず、四行目は形容のやりすぎです。整理してみて下さい。

シーレ布施「骨」
不条理性が作品の柱になっているように感じます。不思議な作品ですが連ごとのイメージはぎりぎり破綻していない。「私はもういらないと言った」の反復は拒絶を表しますが、その悪は穴に見られていることで自覚的なものとなっている。中間部、もう少し展開があってもいいと思いました。

 北岡俊「見えないところで」
とても抽象的な作品ですが、動作に具体性があることで作品に説得力をもたらしています。ただ「果てしなくどこまでも/弱く細い指」は指のイメージとしては逸脱しすぎている。「果てしなくどこまでも」は取り、弱く細い指が何かを作り出し、そして次に繋げていくとかの工夫をしてみて下さい。

 東浜実乃梨「今度のレとラ」
発想の面白さとそれに見合った言葉の動きが軽やかですが、作品の内実に沖縄の厳しい現実が隠されているところに詩の奥行きを感じます。詩の磁場を自分が住んでいる場にしていることがこの作者の強みでしょう。大切にして下さい。

 柴崎達裕「『鹿ゞ』」
物語っているようで飛蝗も鹿も私も存在感が淡く、そこに詩情を感じます。ひかりに満たされながらの寂寥感に独特なものがあり、最終連の舟がその身をほどくという擬人化も印象に残りました。

 柴田三吉選評
2020年の一年間、1600編あまりの作品を読ませていただきました。多くの優れた作品に出会えたことは私にとって得難い経験、喜びでした。詩はいまも活発に書かれていて(投稿者の年齢層も幅広く)、入選・佳作の水準はとても高いものでした。残念ながら選に入らなかった作品も紙一重のものが多かったです。そこにわずかな差があるとすれば、詩が作者自身を超え出ているかどうかだったと思います。文学・芸術は他者に届けるもの。個の思考、感情を見えるものにし、共感と感銘を生み出すものでしょう。そのためには言葉の選択と丁寧な推敲が必要になります。持続と研鑽を願っています。

【入選】
岡崎 よしゆき「永劫回帰」
抒情と映像的なイメージがきれいに溶け合った作品です。1連目の導入、「水平線のにおいもまたゆれる」「くろしおをポケットに入れると」などで、すぐさま作者の世界に引き込まれます。そこから幼い日の回想に進みますが、それはたんなる郷愁ではなく、繰り返される波のような永劫回帰です。とりわけ3連目の飛躍に魅了されました。「このはまべに/水でできたひとたちがすまっていて/顔もひとみも/腕もゆびも/すべてが真水で/みしらぬ樹のかげで/かれらがだきしめあうと/ゆらゆらとしたゆらめきが…」は、たいへん幻想的です。

 ヨクト「彼は規則正しい生活をおくっていた」
時計台を守る「彼」の規則正しい仕事ぶり、その物語は上質なメルヘンのようです。時計の仕組み、操作する手順を読みつつ、わくわくしてきます。「その日さいごの一回転をまわしおわり/太陽が西の水平にかくれたことをみとどけ/耳に手をあて、鐘の余韻がきこえなくなると/彼は油をさし歯車止めをかけ/背広のほこりをはらい帽子をなおし帰路につく」。時と日はそのように運行されているのだと信じたくなります。ラストで、これが子どもたちに語り聞かせるお話だったと分かりますが、夜時計の話もぜひ聞いてみたいと思いました。

中山 祐子「勝手に帰る足 落とした耳」
人には帰巣本能があり、泥酔していても知らず家に帰り着くといいますが、それを作者は「足は実直だ」と書きます。惹かれたのは3連目からの展開で、寒風によって千切れた耳という発想に、詩ならではの面白味があります。「耳は1人じゃ帰れないので/歪なかたつむりのように/ぶよぶよ内にひきこもり/遠のいてしまった心音を数えようとする」。置き去りにされた耳のイメージは、ずっと心に残り続けるでしょう。タイトルはもう少し簡潔にした方がいいかと。

雪柳あうこ「履歴書」
若者が、自死へと誘われた一瞬の出来事を漏らす。それは「屈託なく/泣く泣くでもなく」とあり、ふっと心に兆した迷いかもしれませんが、作者はその言葉に立ち止まります。誰もが生きにくい時代ですが、とりわけ現在の若者たちの内面を浸している、生の希薄さのようなものを感じ取ったからでしょう。生と死の閾の低さを描いていますが、この若者を見つける者が、どこかにいるのではないかと信じる(信じたい)作者がいます。最後の連の願い、「あんまり、君を/呼ばないでくださいって」は、胸に迫りました。

【佳作】
加勢健一「みつあみ」
コロナ禍を描いた作品はいくつもありましたが、この発想は独自でした。「みつあみ」を「密編」としたところに、人が社会的距離のみでは生きられないことを示しています。「三つの髪束を順繰りに結ぶ/三つ編みは密編みだもの/体を寄せなければ/心も通わないのよ/気持ちを重ねなければ/優しさも伝わらないよ」は、人の暮らしの基本でしょう。さらに、「その豊かな御ぐしを今こそ/みつあみして予祝せよ」の予祝には、人間の未来への希望が込められています。

 末国正志「白鳥(はくちょう)の歌」
老いて死を間近にするとき、人はこの世に何を残そうとするのでしょうか。来し方に思いを馳せて生の決算をするのか、潔くこの世に別れを告げるのか。芭蕉の辞世の句は前者でしょう。作者はまだ、そのどちらともつかない思いに捉われているようで「私はと言えば/忠度の切実さも持たず賢治の悟りも得ず」と書きます。それでも言葉を通して生の意味を探ろうとしているところに、この作品への共感が生まれます。

橡片朴「望郷幾里(ぼうきょういくり)」
訪うことの叶わぬ故郷がある。在日朝鮮人の作者にとって、それは祖父が生まれた北朝鮮です。地図では見ることができるが、足を下ろすことはできない。そこは人づてに聞く場所であり、憶測によって像を結ぶ場所です。「内情を知ろうにも/そこには濃い霧がかかり/手紙を出そうにも/配達人が迷うのだ」。実現しない想像力に深い悲しみが込められています。切実な思いを素朴な筆致で記していますが、それゆえ強く胸に迫ってきます。

【選外佳作】
吉岡幸一「皿」
山羊アキミチ「帰巣」
岡 堯「鏡」
東浜実乃梨「「鳥類の羊」、艶やかな毛並み」

 浜田優選評
【入選】
吉岡幸一「雨の間」
雨の降る街道の情景と、そこを行き過ぎる人、立っている人を、ヴィデオカメラが捉えるように描写する。視点はゆっくりと移動し、ズームとパンをくり返し、行から行へと進むたび時間はしめやかに推移する。見つめ合う老人と若い警官。つまずいて傘を飛ばしたサラリーマン。なにか一瞬ひどい惨劇が起こりかけてやめたような、非現実的な感触を残して終わる。不思議と印象的な一篇。

岡 堯「鏡」
鏡を主語にして語るアイディアがまず秀逸だ。そしてこの鏡(つまり詩)が写し出す空間が、とてもリアルに浮かび上がる。うす暗くて寒々しい室内、鏡の向かいの窓、窓の外に隣家の外壁と三角形の狭い空が。住人が去り、闇の中で「涯てしのない夢」を写す鏡にどことなく哀しみを感じるのは、鏡がさりげなく擬人化されているからだ。巧みな詩だと思う。

高橋蒼太郎「あなのなか」
「社会の切れ端」なんて卑下しながら開き直っているユーモアがいい。改行のリズムが心地よくて、この無為がいっそのこと清々しくさえある。結婚した知人を祝福するのに、「このせかいにひとつ/穴が、/埋まった」とは、これもまたユーモラスでありながら、どこかせつない。

中 マキノ「瓶躯」
排泄と便器。海と船。お腹と胎児(貝殻)。シャンパンの瓶とトイレのタンク。これだけの語彙が執拗に反復される母子相姦劇。この激烈なドラマを前にして、私の乏しい知見は「アブジェクシオン(おぞましさ、母性棄却)」という言葉くらいしか思いつかないが、この偏執的にくり返される言葉の強度からは、むしろ不浄を祓うカタルシスさえ感じられた。

【佳作】
坂元 斉「儀式」
人気の絶えたどこかの地方都市で、話す言葉もなく帰途につく子どもたち。「遊具のない公園」、「黒いマイクロバス」、「チェーン店は発光」、「収穫が終わったこの町」――殺伐とした雰囲気は伝わるものの、ぼんやりしている。そう、「名付けようのない景色」に「あてのない夜」なのだ。もっとくっきりとした情景が見たい。

小橋出水「美しい日々」
「ホームに電車が止まる/葬列のように/人々が歩いてくる」のが現実の日々。「屋根の上に干した布団に寝転んで/二人は空を見ていた」のが郷愁の日々。ここまではいいのだが、その後がよくわからない。「これは愁然」、「これは戯れ言なんかじゃない」という言い方も、なにか取って付けたように感じられる。

潮江しおり「喪う」
何かを(命を?)、喪った(損ねた)痛み。その悲しみと悔恨の深さは、「ざんざん ざんざんと/頭の芯が鈍ってゆく」とか、「むきだしの魂に/なってよいだろうか」といった言い方に表れてはいる。ただ、何を喪ったのか、それを明言するのを避けているので、こうした言い方がどこか芝居がかって聞こえてしまう。

岡崎よしゆき「しまんとがわ湖畔のまちで」
時間は流れるのではなくただくり返す、そのことをクスノキの木漏れ日のもとで夢想する。岡崎さんには他に「永劫回帰」という詩があって、そのタイトルはむしろこちらの詩にふさわしいような気がするのだが、「永劫回帰」ならばそれは夢想というよりも啓示的ヴィジョンだろう。どうも言葉がうっとりと流れすぎるのが物足りない、というかもどかしい。

東浜実乃梨「今度のレとラ」
琉球音階(5音階)にはレとラがないと言われるけれど、もともとドレミの音階では表せない豊かなニュアンスが琉球民謡にはある。「それらしいレとラ」で「この島の余白」を埋めてしまったら、このニュアンスが失われてしまう。意味不明な行もあるが、謡うように読むと楽しい詩。

 

 

 

 

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