詩投稿欄

詩投稿作品 第15期(2019年10-12月)入選作・佳作・選評発表

日本現代詩人会 詩投稿作品 第15期(2019年10月―12月)
厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定いたしました。

【選考結果】
◆廿楽順治選
【入選】
東浜実乃梨「はれのひ」
新井光「η骨」
中川達矢「しらたま」
石川順一「鍵」
【佳作】
佐野豊「うれしくて」
羊九地「鳶」
たるのとしき「僕が詩を書かなかった頃」
大川原弘樹「やめる」
帆場蔵人「孫兵衛の顔」
小川咲野花「漂流教室」

◆伊藤浩子選
【入選】
小林真代「大霜」
渋澤赤「乱視」
小田凉子「畑」
新井光「η骨」
渡部栄太「みずいろの獣」
【佳作】
新井光「aisatsu」
渡部栄太「茎」
篠井雄一朗「エウロパ」
佐藤幹夫「夏の一日」
帆場蔵人「孫兵衛の顔」

◆光冨郁埜選
【入選】
小篠真琴「ミイラの安堵」
朝眠夜「うつろな目をしていた」
井上千鶴「あいびき肉」
加勢健一「へびのあし」
【佳作】
花「黄和田」
井脇浩之「太った哲学者、朝二郎を思ふ」
本田稔「つんつんさん」
帆場蔵人「孫兵衛の顔」
小田切ジョージ「聖なる盾」

<投稿数315 投稿者188 >


東浜実乃梨――はれのひ

呪いのことばを考えていたら
陽が傾いたのも気付かないやし
祝いのつもりと言い訳も出来ん
最後のメールは打たんでいいね

保栄茂にて何ね 嫁ぎ先ね
何の覚悟ね 激戦地やし
ポエムのつもりね 非公式さ
削除しますか
二度も訊くやし

期待はするさ踊り場に居たさ
螺旋の途切れで時間潰したさ
時代が来たさふたり笑ったさ

いまさら何ね
「せんたくしようね」

こぼれた洗剤 最後のことばよ
替えは幾らも安売りの香り
何が勝ち負けね
何が汚いね
何が囁くね
白く塗りたくれ

削除しますか
雲まで訊くやし

ぷかぷか母子あれがあんたね
空の宿埋める水けむり
すくえないのに象より重いさ
あんたが纏う乳臭い鎧
線香だったら嫌いになれたさ
何でか いまでもいい香り

覚えとけよ 帰る陽よ
今日はこんなにいい天気

新井光――η骨


小鳥は錆びていく
骨であるということ
破壊された檸檬を
半世紀近く、見つめていた少年は
ウォルフ・ライエの、土曜日の教会に行き
太陽の100万倍明るい旗をふって
なにか映画のセリフのようなことを叫んでいた
はくちょう座とよく似た病院で
その檸檬にはじめて触った
アニー・ジャンプ・キャノンが
鳥類の骨を分類しながら
「十字架のような女がならんで図書館を歩いていたんだ」といった
地球の大きさまで
檸檬を膨らませる作業
それは
かれの骨の大きさと 表面温度が
つねに変化しているといことを示している
土曜日に分布する
青色の犬が
やってくる ウォルフ・ライエの
旗は過剰だった 
公園にはもう誰もいない
檸檬が
子どもたちのように
あたりにちらばっているだけだ

中川達矢――しらたま


明治神宮野球場に飛び交う白球が
白玉になって芝生に落ちるから
それを拾い集めて
きみのおへそに乗せる
それはもうサラダボウルだ
小豆が欲しければぼくのをあげる
「ほら、きみが好きな、あの歌の名前はなんだっけ」
「ふらんす語で、あいしてる、だよ」
(断定ではない、疑問形の名前)
たばことコーヒーを
河口湖に沈めたら
青木ヶ原が紅葉していくから
祖父母に車で連れていかれた
「お母さまはいつもきみを呼んでいる」
「それはわたしではなく、愛犬の名前」
(母が産み落としたのは、どっち)
ゲームの主人公にぼくの名前
主人公が飼っている愛犬にかつて飼っていた愛猫の名前
母の趣味は名付けである
「いつだって、指で甦る」
「それより、わたしの名前を憶えている?」
(いつからか、きみの名前を呼べなくなった)
湯沸かした白玉が
温泉街の足湯に浮いていて
足の色に染められて
小豆の湖に沈められていく
「気づけば、樹海にいました」
「それで?」
(でも、ついてきてくれた)
落ち穂ではなく
音を拾いに
ぼくが車を走らせた
「ぜんざいに入れる白玉は何個がいい?」
「わたしは二個がいい」
(もしかしたら、きみの名前を呼べるかもしれない)

 

石川順一――鍵


分が悪い戦いでは
ストーブの陰に隠れる
姉に電気を消されて
台所に佇んでいると
がら空きの台所には
奸智にたけた神が居て
ドアをノッキングしている
ロックが苦しくてできない
と呻く神
私がカギをかけようとしたら
既にカギはかかっていた

小林真代――大霜


山の天気を尋ねると
大霜だ、と山の男は言うのだった
おとといの晩に降ったという雪が
どれほど積もったかを尋ねたつもりが
今日は大霜だ、と言う
大霜が降りると三日のうちに雨が来る、だから
今日のうちに屋根を直しに来てもらわないと
このままでは年を越せないと山の男は言うのだ

屋根が濡れていては仕事にならない
日が高くなるのを待って作業に取り掛かることにする
とは言っても山の温泉まで一時間はかかるから
9時には出発する
長靴と、新調したばかりのネックウォーマーを積んで
県道をゆけば県道は常に川沿いで
水害から復旧したばかりのスーパーも薬屋も葬儀屋も
水を吸って使い物にならない畳が積まれたままの庭も
空っぽのアパートもようやく解体の始まった物置も
すべて川に沿って並ぶ
川や田にいる冬鳥たちは視界を明るませるが
すぐ山があらわれて視界を閉ざす
川に沿う山道にはところどころ白く乾いた泥が残り
雪はない
大型車の通行はいまだに不可で
泥や石や流木が溜まる下流から
上流へゆくにしたがって川はうつくしくなる

峠をいくつか越えて
自転車のように軽トラに乗る人たちに会う
今このへんは人間より猪のほうが多いんだと。
繁殖力すごいから。
大きい声のよく喋る山の人なのであった
山道に警戒していたような雪はなく
日陰にまだらに残る雪をみつけては
やや大げさに驚いてみる
牛のいない牛舎と牛のいる牛舎があり
猫と烏が冬田を挟んで睨みあう
大きな農家の硝子戸のむこうに長い廊下があり
白菜が端から端までこちらに尻を向けて並んでいる

山と、
山を削ってひらいた冬枯れの芝生の広場が見えて
ここはわたしの暮らす町より寒い
どこかでぱん、と乾いた音がして
猪を撃つ人がいるらしい
今日、山の温泉に客はいない
ぐっしょり濡れた草の斜面には
きれいに中身をくりぬかれた
空っぽのどんぐりがいくつかと
野うさぎのころころした糞の
こんもりとした山が四つ、五つ、
雪か霜かわからないが濡れている
脚立をのばして梯子にして
屋根にのぼればそこには凍った雪が残っていて
半分融けかけているのがうつくしい

渋澤赤――乱視


教室のドアを開けるといっせいに振り返る生徒たち。彼らの醜悪な
視線を避けるように目を閉じた。


鐘が鳴る。


窓が割れて不意にわれに返るわたしを襲う影は数値と黒板と記紀の
なみだに
室は青く燃えあがるそれが合図なのだ視線に切り刻まれた右半身の
創が
復刻する歴史は教科書をタバコに変えてまるで魔術のように旗がた
なびいて空に窓があるあの色は代赭色だねと隣の席の少女の前髪の
ひかり
わたしは徐々に視力をなくしてゆく
校庭の樹々の葉が瞬間ざわめく

わたしに跪拝するすべてのひとびとの記憶が書き換えられてわたし
は眠る、まるで恥知らずだ、わたしはノートを繰る指を愛す、時間
は戻らない、廊下から階段の踊り場へ駆ける脚の華奢な美しさは
(硝子、血が、滲む

「葉ごもりの中の病葉。羽虫の煩い羽音。複眼。教師の甲高い呼び
声。面皰。机の落書き。汗のにおい。首筋、鎖骨、あの、
彼ら(若者たち)の騒擾は誤訳に導かれて橋上に佇立する黒い旗、
彼らが燃やすされる(燃やす)建物も本も、女も、おんなの裸体が、

(ひが、火、が。

すぐ殉死」

黒板に描かれた数式が生徒たちの迷妄する精神を分解するとドアが
開く
鐘が鳴ると壁に亀裂がはいりあらゆる可能性の中で最も避けがたい
黒い未来が口をひらく
髪の長い少女が急に悲鳴をあげる不協和音が


(生徒たちの一人ひとりの顔が見える。彼らの声は明るく教室に響
き渡り、春風はさわやかに渡り廊下を吹き抜ける。わたしは机の上
で目を覚ます。いまは二〇二〇年。わたしはまだ制服を着ている。
若人たちの存在は国家の希望を反映する、永遠に)


目がわるくなった。

小田凉子――畑


幾筋も 幾筋もの
長い畝
暑い日差しの日も
刺すような冷たい風の日も
やってくる軽トラック
車から降り立つ二人
背中が曲がり 足を引きずった農夫
腰の曲がった農婦
鍬を持ち 土を耕し
消毒の長いホースを持ち
立ち働く農夫
鳥のさえずり
農婦の声も響く
おしゃべりしながら働く手
豆を摘んだり
水をかけたり
きれいに均された畝
列をなす小さな緑
見る間に伸びるその緑
やがて緑は
人参の葉となり
牛蒡 ほうれん草 大根の葉へと

新年になった
が 二人の姿が畑にない
畑は冬枯れの土塊

渡部栄太――みずいろの獣


みずいろの空があるのにみずいろの獣はいない。ちがうところにいるから、うわさにも聞き及ばない。空。一刻ずつ眩くも昏くもなる、か細い連続体。その拡散と浸透をさえぎる、灰色の坂と海鳥の港。背後にそびえる、稜線の若木たちが見下ろす錆びた舗道を、小旗のように腕をひろげ、ひるがえし、ぎしぎし歩いていく。胸元に潮風が吹きこんで、子犬ほどの生き物の毛並みを、体熱を抱きしめている、そういう瞬間があって、そのときあらゆるものの気配は太陽となり、銀色の針となって心臓に刺さる。漏斗のように細かい穴を空けて、光は屈折し、虹を放つ。みずいろの爪が臓器に牙を立てる。綿菓子のように引き裂かれ、天花粉のように舞い上がる。灰色の海は沸騰し、海鳥の糞とおなじ色の清潔な波濤が怒張する。ひとつながりに、ひろびろと横臥し、舗道を白ませ、若木たちを潮気に酔わせる。それらを見下ろす。連続体とおなじところから。野蛮なところは、すこしもない。

 

小篠 真琴――ミイラの安堵

出口を封鎖された、わたしのミイラが
包帯を剥ぎ取ろうとしたのだけれど
ミイラはことばもうまく話せないから
他の出口はどこにあるの?
と聞くことが出来なくなって
しまったよ、今週末は映画に行こう

入り口を探していた、わたしのミイラは
あたらしい出会いが見つかるまでは
包帯にくるまれたままでいようだなんて
安着祝いをする、彼女の想いを
これ以上、ふみにじる必要はないんだよと
こどもミイラに教えてあげて
じゃあ、彼女は
なんのために異国へ行ったの?
と聞いてくるこどもミイラには
安心感を得るためさ。
と答えてあげる

映画館では、ホラー映画が上映されて
サイレント式の喜劇俳優は
いつも通りの靴音鳴らし
馬車の背中を、見送っていた

だから、わたしのミイラは
ミイラ取りには会わないように
外国人墓地を慰霊して
親ミイラの親族を
大切に思う気持ちを捨てなかったんだね

ありがとう、ミイラ
きょうからはピラミッドで
ゆっくり、じっくり、ねむりなよ
安心していくこの心持ちに
だれもが、安堵の息を漏らすのさ

そしたらミイラ、きみにだけ
大切なこと教えてあげる
きみがミイラでいることは
だれもが知ってることだけど
だれも嫌っちゃいないことだよ
だからねミイラ、こんやくらいは
ミイラのままで
ねむりなよ

包帯巻いて、おやすみなさい

 

朝眠夜――うつろな目をしていた

うつろな目をしている
鏡のように磨かれたつま先へ
うつろな目をしているわたしが写る
「笑っていなければいけない」
鏡の向こうでわたしが、わたしをジッと見つめている
「言われたことを忘れてしまったの?」
にんまりと口角を上げて
乾いた人差し指を親指でこする
この指紋ひとつひとつに
今日までを記憶できたなら
いま、わたしの脳に皺はない
蝋の匂いが鼻腔を貫いてじんわりと痛む
上げられた口角は重くて
うつろな目から
ぼたぼたとこぼれ落ちていくものがある

 

井上千鶴――あいびき肉

ひき肉をこね終えて
指にまとわりつく油を
石鹸で一本ずつ
丁寧に洗い落としていく

邪魔だと外した指輪を拾い上げ
もう一度薬指にはめると
案外入りやすくなっていて
その気まぐれな伸縮に少し苛立っていた

 プラチナの結婚指輪は
 上下が分かりにくいから
 どちらが上になるのが正解か
 時々分からくなる

初潮の時に感じた不条理な屈辱が
幸福の為の小さな犠牲だったのだと
今の私ですら言い切ることができないのに

透明なラップに包まれて
焼き殺してほしそうに泣いている私が
冷蔵庫の中で
今日もあなたを待っています

加勢健一――へびのあし

鎮めのやしろの屋敷森
へびが両あしさがして這いずりまわる
裂けた舌先さし向けて
むかでにあかんべしながら
縁がわの三毛猫はもくもくと蜜柑むき
千手観音にさし出しささげるしぐさ
お堂の裏手じゃハツカネズミがぽろぽろ子っこ産む
が早いかとんぼにあかんぼ盗られて
炉の火のあかねに放りこまれる
それら眺めながめて燗酒なめる神主
赤ら顔に怒りいかれる親ネズミ
とび出た出歯でたちまち魂かじり
炉にいぶらせ尻小玉火まつりに上げれば
地獄の八間まっ逆さまにまろげて
たまさかにも留まる昔のともがらのもと
ひともけものもゆめな殺しそ
告げるやえのころ草もたげて鼻をくすくす
はなはだくさめのはしたないはっくさめ
よもや夢かとまざまざ目ざめれば
子ネズミがへびのあしかりりとくわえて逃げてった

 

 

 



◆廿楽順治選評
 今回の投稿作品で、最初に絞り込んだのは二二篇。前回よりやや多い数字だが、全体を通して前回より多彩だった、という印象はあまりない。ふと思いついた、詩や歌詞のような言葉を投げ出した体のものが多い、という気がする。
 少し前に『あたりまえポエム』という本が話題になったが、これは「心が震えそうで、震えない」というやり方で、ポエムをパロディ化するものだった。「僕はもう君と君以外のことしか考えられない」。こんな風に、ちょっと読むと感動しそうだが、冷静に読むとおかしくて笑ってしまう書き方。ふと思いついた、言葉の運用の仕方が、この「心が震えそうで、震えない」あたりまえポエム式の口調になっていないか、注意したいところ。
【入選作】
東浜実乃梨「はれのひ」
母語の方言と詩の書き言葉が混交した詩で、具体的な情景が今ひとつ浮かんでこないが、にもかかわらず不思議な現実感を伴っている。この母語と標準語の交差は清水あすかを思わせる。もう一つの投稿作品「にんげんに寄る」もいいが、これは題も清水あすか風。口あたりのいい歌詞のようなポエムの群れの中では、こうした異語の詩は目立つ。自分のなかにある言葉への向かい方が真摯だと思う。

新井光「η骨」
この人は他に「aisatsu」「半島」という詩も投稿していて、どれもおもしろい。ここでは比較的まとまりのある「η骨」を採った。この人の詩法は、発想の根本にある語に別のものを代入することで、世界の見え方を変革していく。「aisatsu」では、「例えば、少女25℃の窓では/1㎡あたり/11.4gの椅子が死んでいる」という風に、「少女」「窓」「椅子」が代入されることにより、異世界を展開していく。この「η骨」では、「檸檬」がその代入の項にあたる。現代詩風といえば現代詩風だが、とても成功していると思う。

中川達矢「しらたま」
読みやすい口語がまるで「あたりまえポエム」みたいだが、一筋縄ではいかない。「白球」が「しらまた」へずれていくように、対話もまた「心が重なるようで、重ならない」不思議な方向へ進んでいく。ここでの対話は、日常的な「あたりまえ」の発言が、「青木ヶ原」とか「樹海」とか不穏なものを多層的に含みながらずれていく。

石川順一「鍵」
この人は先の新井光にやや似ている。世界への関わり方の始まりのところで、何か感性の変換作業が行われている感じがする。この詩では世間のポエムにあるような、希望も絶望も愛も歌も出てこない。そういうものとは全く一線を画した、この人の世界が叙述される。でもその承認を求めて叫んでいるわけではない。そこがおもしろい。以下に引用するの二つの短い詩もよかった。「プシュケーが現れた/下痢の天使が現れた/豆腐を食べながら現れた/太陽に酢を混ぜながら現れた」(「現れた」)、「ザクを打ち落とせない/平社員だからではない/ドーパミンが少ないからでもない/ドアのノブに/気を取られていたからです」(「ザク」)。

【佳作】
佐野豊「うれしくて」
題や冒頭の三連が読ませる。これからどういう展開になるのだろうと期待を持たせるが、後半が「あたりまえ」の感じになっていく。冒頭の発想のよさを、適度なところで詩の中に収めようとしていないだろうか。むしろ、詩はこの冒頭の三連の次から始まるものだと思う。

羊九地「鳶」
この詩は河川敷の風景から始まるが、冒頭の語り手のものの見方が変わっている。「河川敷の石畳を/一枚の落葉が/のぼろうとしていた/曲がり角を/見つけにいくのだろうか」。この不思議な視点は「風の子が/なにかを拾っていた/まっすぐを/見せにいくのだろうか」という最後に対応している。見ているのは「あたりまえ」の風景なのに、見ている目がその風景を変形させている。詩はたぶんこういう変形からはじまっていく。 
       
たるのとしき「僕が詩を書かなかった頃」
語り方はポエム風だが、「詩を書かなかった」というところが読み手をつかむ。最後まで「詩を書かなかった」で一貫した方が印象に残ると思う。最後に詩を書くようになった、という結末ではありがちな更生話みたいになる。そういうお話から外れていくところに詩は生まれると思うのだが。

大川原弘樹「やめる」
普通は何かを成し遂げる、という点が評価されるが、それとは逆に「やめる」場面に焦点を当てたところは、この詩の手柄。ただ、詩が「やめる」という発想に引きずられて、その中で失速している感じがする。「やめる」という発想に何かもう少し展開があってもよい。

帆場蔵人「孫兵衛の顔」
「孫兵衛顔」だと祖父の顔を押しつけられる、という冒頭の章がおもしろい。しかし、次の「二」章は祖父ではない画家が登場したために焦点がぼやけ、全体的に冗長な感じがした。冒頭のモチーフで全体を絞り込めば鮮明な詩になると思う。

小川咲野花「漂流教室」
ごく普通の語り口だが、これを「詩」という器の中でやるのは意外と難しいかもしれない。つい気取ってみたくなるのが人の習性。てらいのない文体は好感が持てるが、「漂流教室」にもう少し視点を絞って展開した方がよいかもしれない。冒頭の会話、スクランブル交差点の街、タバコのおじさんといった要素が羅列されていて、教室との関係が今ひとつ鮮明に見えてこない。

◆伊藤浩子評
【入選】
小林真代「大霜」
素直で無理のない描写と豊かな言葉とが作品をとても美しいものに仕上げている。作品中に比喩らしきものは見当たらないが、描き出された風景に読者がなんらかの心象を重ね、味わうのに不都合はない。「うつくしくなる」「うつくしい」と重複しているのが、気になった。

渋澤赤「乱視」
少々難解だが、とても興味深い作品で繰り返し読んだ。作品中の話者は「教師」なのだろうか、その「わたし」がいまだに「制服を着ている。」との件が、批判をも含んでいるようで快い。

小田凉子「畑」
二連目の三行、その最後の一行が秀逸で驚いた。農夫婦も、野菜も、どこへ行ってしまったのだろう。疑問が余韻となっていつまでも心に残る。

新井光「η骨」
サイエンス・フィクションを読んでいるような作品だと思った。「小鳥は錆びていく/骨」「土曜日に分布する/青い犬」など、独自の言葉がみずみずしいだけに、「触った」「といった」「公園」という語句に粗雑な印象が拭えない。

渡部栄太「みずいろの獣」
「ちがうところにいる」「みずいろの獣」という不在がなぜか実体を伴って迫りくる。痛々しいまでの眩い描写が心地よい。個人的な好みもあるだろうが、とても優れた作品だと思った。

【佳作】
新井光「aisatsu」
とても面白い作品だと感心して読んだ。数値の妙もあるだろうが、二連目の四、五行目、「微小な水滴を形成する。」「これが雲である。」はどうしても理科の授業をイメージしてしまう。これはこの作品にとっては否定的に働くだろう。再考を促したい。

渡部栄太「茎」
大仰にも感じたが、総じて楽しく読めた。丁寧な語句の選び方に、維管束などを想起する読者も多いはず。その豊かさも自然に伝わってくる。緊張感に満ちた作品だが、「じりじりと挟み上げる/爪を」という剥き出しの二行とラスト二行がやや緩慢か。

篠井雄一朗「エウロパ」
これもまた楽しい作品だと感心して読んだ。ただし、一連目と最終連、必要かどうか。他の連が新鮮なだけに、日常の延長上にあるような陳腐さが目立つ。それにしても、「水面に広がる波紋のように、浮かび上がる言葉。その言葉をそっと掬いとる作業」はいいですね。

佐藤幹夫「夏の一日」
無駄な語句の一切を省いた、これも優れた作品だと思った。無理のない言葉に、読むのに抵抗がない。一方で、「宇宙の星の欠片」や「僕の喜びに/世界は柔らかく/結ばれていく」など、やや華美か。

帆場蔵人「孫兵衛の顔」
とても面白い要素を含んだ作品だと思った。優れている、面白い、と手放しで評価できないのは、「二」の四連目、五連目だろう。作中、語り手と画家であるおじさんの関係も不明瞭で、やや弛緩しているかもしれない。

選外佳作として、美宮才「父と子」、小川咲野花「漂流教室」、北村厘「化粧」を挙げておく。九か月間、拙い選評にお付き合い頂き、感謝しております。名前を覚えた作者も多く、次第に拝読するのが楽しくなっていったのは事実です。現代詩は、文芸と呼ばれる行為のうちで、もっとも崇高で、もっとも洗練された表現形式、内容を常に要求している(また要求されてもいる)ジャンルだと考えています。その担保のないその極限を念頭に、これからも書き続けて下さい……と自戒を込めて。どうもありがとうございました。

◆光冨郁埜評
【入選】
小篠真琴「ミイラの安堵」
ストーリー(物語)性もあり、楽しめた。ラストの1行にもう一工夫必要かこれで良いかなど気にもなったが、「ミイラの安堵」はやはり永遠の眠りにつくことなのだろう。(ラスト1行で片付けてしまった感もあるが)

朝眠夜「うつろな目をしていた」
「わたし」という貼り付いた仮面(他者から求められた・あるいは求められていると思わされた)で、働いていく、生きていく、生活していく、その下の素顔の悲しみがよく伝わる。

井上千鶴「あいびき肉」
1連目をはじめとして、リアルな皮膚感覚の描写に秀でている。日々の生活のなかで押し殺していた自分の本当の姿、その悲しみ、辛みが、特にラストの連で実感できる。

加勢健一「へびのあし」
独特の語り口。へびが足をさがし回る途中で様々な虫、動物、仏と出会う。夢かと目覚めれば、ラストの一文へと結ぶその語りはうまい。


【佳作】
花「黄和田」
ノスタルジーに共感できるが、ラストにオチ等、意外な展開などもう一工夫を求めたい。ストレートで良いという見方もあるかもしれないが。

井脇浩之「太った哲学者、朝二郎を思ふ」
しつこいまでの粘着質的な描写(まさに題材の油量のあるラーメンと同じく)と、ラーメンのぎっとり感があって詩にもうま味があるが、少々長く感じるか、どうかで、評価に違いがありそうな気はする。「ラーメン二郎」から神の存在と非存在まで至っている。

本田稔「つんつんさん」
それぞれの連の1行目の繰り返しがシンプルでかつユニークだが、長く続くので単調にも思える。形式が目立つと内容まで入っていけないこともある。

帆場蔵人「孫兵衛の顔」
語りがうまく味わいある作風だが、やや長く感じられるのが残念か。行分けしているが、散文的な作品。

小田切ジョージ「聖なる盾」
普通(散文としては)に面白い話で楽しい。ただ思い出話(逸話)のようなエッセイ・ショートストーリー風なもので、詩作品としては推しきれない部分があるのがすこし残念でもある。

* 3期を通して。今回はイベントの関係で通常より短い3期・9ヶ月の選考となりました。ご投稿・閲覧ありがとうございました。
今期及び3期に渡り思ったことが2つあります。1つは継続的に質の良い作品、面白い作品を投稿するというのはなかなか難しいということ。2つ目は、詩の長さについて考えました。長い物を書ける力は美点ですが、最後まで読み手を離さない・飽きさせないということも大事かなと。ということで、今後も詩人会の投稿欄へのご参加お待ちしています。それでは、また。

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