第8期(2018年1-3月)入選作発表!!

日本現代詩人会 詩投稿作品 第8期(2018年1-3月)

厳正なる選考の結果、入選作は以下のように決定致しました。

【選考結果】

第8期詩投稿欄 2018.1-3 入選作

八木幹夫選:
【入選】
まほろば「Panopticon」
小林真代「花の呼吸」
 藤原 游「さくら」

【佳作】
橘麻巳子「ステレオ」
みご なごみ「ぽとるくぅーん」
草間小鳥子「彼岸」

石田瑞穂選:
【入選】
橘麻巳子「供火」
采目つるぎ「Fudge Fuzz」
草間小鳥子「パルクールと狂騒」
福山てるよ「椅子」
宮城野ちなつ「ねえ、私がどうして長袖を着ているかわかりますか。」
うらお「ショックだったこと」
梯子高「炎」
遠野牧露旨「無題」

【佳作】
おい満月「卵」
香村枇杷「訪花」

杉本真維子選:
【入選】
松浦里帆「内命」
まほろば「びい玉」
鎌田尚美「夜にはなす」
石渡あおい「てまりうた」
橘麻巳子「ステレオ」
発条ねりさす「みつばち、そらとはな、かやのそとから」

【佳作】
梅村伖久「運動場」
蔀 県「三人」
石川順一「ストー夫人」
川島「タイトルなし」

投稿作品:371作品、238名(敬称略/順不同)

 

 

Panopticon――まほろば

 

電球の上に鶏が啼く
掃除機の奥に猿が嗤う
活けた薔薇の隙間に金魚がまぎれる
木の影から三毛猫がこっちを見ている
ははは、はははは、はは

飛び出した 一人の南武線
剥き出しの配管の中には豚が眠る
食後の弛みを 接吻の腥さを
卑しい目で揶揄する蛍烏賊のさざめき
ありあけの空に蜘蛛が巣をかける
生きているぞ と鴉が叫ぶ

ははは、はははは、はは

ああ 鉄塔の上に鹿がいる
ぐるりと目のついた碧い頭に
古ぼけた角 生暖かい春の日暮れ
見られている見られている見られている
私の胸に埋め込まれた
蝿 ホログラムの複眼
視線の呪縛
ははは、はははは、はは

花の呼吸――小林真代

 

雪の朝
しずかな息の途中で
すこし深く空気を吸ったら
わたしの小さな喉は
雪の冷たさに驚いて小さな咳をした
ことばになる前のあかるいかけら
いくつも零しながら
息を吸う
息を吐く
やめることができなくて
少し涙が出る

嘔吐するように
しっかり花瓶を傾けて水を捨てた
大切にしたつもりの冬の花は
花粉が強くて服を汚した
大きな花だったが
少しずつ弱って死んだ
腐った水のにおいがして
あながち比喩でもなく
何度か
嘔吐するように
しっかり花瓶を傾けて
水を捨てた
青くて丈夫な茎を力をこめて折った
くしゃくしゃと丸められて花は震えた
花瓶をすすぐと
何度目かで水のにおい

しずかな息をくりかえし
声が喉に詰まらないように
なによりこの体を労わって
春になったら
雪がとけてまた水になるくりかえしの
そのような呼吸で
青いにおいをかすかにふるわせて
会いに行く

さくら――藤原 游

 

首筋にできた金魚の尾びれが
春の風をたたいて赤い筋をつくる
まだ見上げる人のいない樹に
絡みついて染み込んでいく

「春のいぶきですよ、
 狂わされて、ほころび、こぼれて、
 始まりのあいず、あいす色のはじまり、

色づきだした景色の中で
伸びていく影は薄くなっている
野良だった犬はすっかり柔らかくなり
薄汚れた毛布の上で目を細めている

薄茶色の毛がまっている陽だまりで
父の眠る椅子は固く冷えたままでいる
未だ溶けない残雪の奥底で
あの朝の日の記憶はとうに行方知れず

ひたひたと赤い尾びれが首筋を打つ
虚血だった脳内に血がめぐる
光がすぐそこまできていたのに
耳元までにじり寄ってささやいた

「春のめぶきですよ、
 戻されて、すくい、またこぼれて、
 膨らみ出した、あなたの、

あたたかな下腹部に手をやる
宿らない空洞に水がはり
いつの間にか潜った尾びれが跳ねた
まだ見えない蕾が揺れている

供火 ――橘 麻巳子

 

このように地上から消え去ったのと同じく
生まれるのもまた一瞬であっただろう
火は、
かつて 火というものがあった

日々にありつくため使われた役割は
物体の変質であり
実体はわからなくとも
生きものは集って囲い、手をかざした
死んだものも 
運ばれてきた すると
さらに多くの生きるものの列が出来て
億年後、
地の裂け目から吹き出すことも
あった(このように

ひとつの火を焚く任務を負って、炙った骨で占いをして暮らしていました。
最後のほうには、空間を歪ませていた飛翔兵器の爆発に、視線と、視線のほかも奪われていました。吹くからに
       黄味の掛かった煙 
               おぶさり
一帯にはそれまでにも何度か同じことが、しかし、
粒子の成分を知ったとして、生き延びられたわけではありませんでした。

高々焚かれるその上に
大きな果実 太い肉の数々を供え
盛り上げられた白飯が
差し出す子供の前歯に似て
        ごめんなさい、噛む気は起こらない
何飲みますか、
二回は尋ねてくる給仕男が
傾ける瓶の先から注がれる
よりも重たい音が
部屋の奥では落とされている        
飲みますか、
いいえ、

肉の傷みは半径五十メートル四方の絶滅
ひとりが起き出し駆けていったが
倒れ込む
首にかざされた刃先が
細胞の間で鳴って
聞き取るまでに焦点が合わない

少しずつ千切り手中にしのばせていた
口に運ぶたび体内は焼けただれたが
そのことは話さなかった
争いを舌で出し抜き
濡れ衣となった口上が辿り着くころには
相手の流す血を
自分のものと思って見ていた
振りあげた刃物の向いた方向について
証言はない 
「死体を見ると、お腹がすくよ」
と訴えるからだが
許される時、

伝って垂れる滴で張った水はさざめきながら像をほどいて、一部が赤茶けていた。天井についた染みだ。三日間、夕食の血抜きをした飛沫だった。骨は、割って髄も吸う。他人の気味悪がるものを多く摂るようになったのは、一時期の断食のあとのことだ。
僅かな生き物のにおいにも敏感になり、外を歩けば電柱にとまる鳥にまで、どうしようもなく魅せられるようにもなる。足元で、猫がこちらを見上げていた。
動物の血抜きをするということは、生きていた最期の瞬間を見届けることとなる。現われたものは瞬時にして固く変容し、ひとつの〈かたち〉となっていった。
天井の飛沫は頑としてとどまったまま、洗面で顔が失われるごと、鶏冠をおとした指に記憶を還した。夜には、錫が錆びないように磨きつづける。底から側面にかけて撫でさすり、熱を帯びれば流していく。鶏の首を持って血を絞る指は、ワインの瓶を傾ける時に似ている。一羽めの雌鶏は、誰にも取らせまいと毎朝自分の卵を踏み潰したので、絞めてしまった。
口にいれるものの順序は決めている。羽の生えて真っ直ぐ飛ぶ、羽はあるが飛ばない、羽はなくて足の多い、少ない、這っていく。耳裏に密かに卵を産みつけようとして、鍵穴から囮の耳鳴りを吹き込んでくる。音のひとつを両手ではさむと、痺れの形状がよくわかる。捕獲、採取した瓶は百を超えた。ガラス越しにずれていく像は、いまも重なれば急激に温度を上げて瞼の上を動き回るが、両手を合わせる動作をすると、素直にからだを落ちて止まる。

 

Fudge Fuzz――采目つるぎ

 

履き潰したローファー、
お互いに軽くなった靴音を聴かせて、
全部拾い集めて拡散した、
空の向こうの、約束された晴れ空。
アルバムのページを埋める知らない顔は、
ようやく手を繋ぎ逢えたあたしたちから
最後の熱を奪って、
存在しない筈の高架線に
質量を与えて還元してゆく。
「---あぁ、これストロングゼロじゃなくて
 ストロング氷結じゃん。
 流行りに乗り損なったな、
「悔しい?
「ハーゲンダッツまだ融けない、用意した2つとも。
 何もできないじゃん、
「じゃあさ、これ付けてよ。イヤーカフ。
「なんで、
「制御装置。
 すぐさよなら世界、しちゃうでしょ?
「むぅ。放してよ。
「だぁめ。ほら、布団に逃げないの、
---そう、たとえ、これから
喉元にナイフ突きつけられたって、
あたしたちは同じ言葉を吐いてみせる。
もし貴女がヘアピンを解いて
あたしと同じ顔で
誰かのために化粧するようになっても。

パルクールと狂騒――草間小鳥子

 

玄関ポーチに立つセイの欠けたひとさし指が
白木の標本箱を抱いている
「おはよう、スイ」
夏休みの自由研究のようにはなやいだ木箱のなかには
忘れてしまった口元と対流する一握の白砂
前線でひたすらに生前の顔を焼き付けていたら
指先はいつしか磨り減り
「だからニコンはとむらってきたよ
 もう誰のことも指さすことはできない」
ヘイのいない卒業写真の傍らに
それは立てかけられでもすぐに音をたてて倒れ
もはや怯えることもなくなった空振、鳴らないアラート
セイの肩越し空を仰ぐスイの睫毛に
ひるがえる比翼の影がこぼれる
「まるで狂った鳥だね!」
コクピットは蕩々と無人
尾翼にはドローンが群がりいたずらに照準を合わせていた
「鳥の心臓を貫くと、特技兵の義手が飛ぶ??
 撃ち合っているのは、ぼくら自身だったんだ」
羽ばたく巨大な鳥はほのめかすように去り
ベランダには燦々とふたたびの陽光
 サイレンのこだまするはなやいだ廃屋
 しめった土と新芽のにおい
 ぬるい愚かさにスイの股はけむっていた
 あぶなっかしく生死に揺らぐ浮かれた狂騒
 「きみを護る」といくつもの唇がささやき
 刹那色に染まった新鮮な若者は
 瞳をはんぶん閉じながら思考を打ち切り
 重い腹を抱え気づけばひとり
 「失われた土地」へ慎ましやかに居をかまえる??
スイは荷解きにいそがしかった

剥き出しの鉄骨とわずかな外壁、染め絵を模したグラフィティ
議事堂跡は復興のシンボル
崩れかけた渡り廊下で
あすの列車で前線へ向かう志願兵らがパルクールに興じている
打ち捨てられた通学鞄が日ざしの下でひび割れてゆく
頬を汚した弟妹は仮り住まいで日銭を稼ぐが
ぴかぴかの保険証を手に入れた
捨て置かれた地割れで跳躍をやめない彼等の顔は
ひとさし指のあたらしい誰かが撮るだろう
 あっちまで跳べたら生きているよ
 あっちまで跳べなかったら死ぬよ
生を慈しみ死を悼む呑気でややこしい神経回路など
断ってしまえば不慮の喪失さえちょっとした歯痛だ
おだやかな日射に骨の付け根がしくしくと泣き
葬送列車はあすの朝発つ

「そういえばさっき巨大な獣を見たよ。
 国道のカーブでジープと衝突して車のほうが吹っ飛んだ。
 あの獣の名前をぼくは知らないけれど、」
ヘイだったような気がするよ
獣はみっしりと神々しい毛並みをふるわせ
尖った鼻で鋭くセイを洞察し
つまらなそうに蹄を鳴らすと
ガード脇の森林保護区へ、ゆうゆうと去った

椅子――福山てるよ

 

小さな裸電球が灯る
通路のような更衣室の
隅に
積み上げられた
十余りの
四角い木の椅子
背凭れと台尻には荒縄が
葛のように絡まっている

調理された品物を
ワゴン車に積み込むと
昼食当番の女の人が
調理台の下の
三和土に並べていく
椅子はずっしりと
水を含み
黴を繁殖させている
何時ものことながら
私達は新聞紙や布切れを
お尻に敷いて
決まった場所に座り込む

休み明け
ドーナツ型の赤い
ビニール張りの椅子が
積み上げられていた
中でも新人に近い
仲間の一人にお金を払い
心から感謝の言葉を臭わせた

仕事が終わり
服を着替えていると

じわじわと
これは私達の力を超えた
関わりのない
世間に
消化不良を起こし
その傷の痛みに
我慢できなくなっただけの
ことではないか

どうして
私達が椅子を
買わねばならないのか
という思いが次第に
頭を
もたげて来たみたいで
小声で話す声も
一段と大きく膨れあがった

 

ねえ、私がどうして長袖を着ているかわかりますか。――宮城野ちなつ

 

愛より安定剤をください。私の中身はふあんてい。
やっぱり愛も下さい。欲張って、醜く。
私よりあの美人さんを選びますか。隠す傷。
皆逃げる。私の元には何も無い。

長袖のあの娘はお姫様ベッドで電気男の夢を見るか?
恋を知らない君は長袖のあの娘の夢を見るか?
長袖のあの娘は金と酒とまぐわいの夢を見るか?
恋に辟易する君は長袖のあの娘の夢を見るか?

全部下さいって欲張ったってこの世に慈悲は無いのさ
長袖を捲くれば蜘蛛の子は散る

長袖のあの娘は男の隣で吟遊詩人の夢を見るか?
から、ころ、から、ころり
深夜の尋ね人。
近くの踏み切り、煤けた鴨居、花咲くバルコニー。

長袖のあの娘はお姫様ベッドで電気男の夢を見るか?

長袖のあの娘はアネモネの花を手折った。静かに鍵を閉めて。
「さ、よ、な、ら」

ショックだったこと――うらお

 

私にとって大切なものを軽く扱われたこと。
職場の嫌な人との仕事を頑張って終えた日に。
職場で一人になった時、自殺したくなったり、
嫌な人を職場のカッターで殺したくなっても
それを思い出して
我慢していた
そういう、私の大事なものを勝手に盗られたこと。

警察にかかわる仕事に就いて長いのに、
刑事事件にならないから勝手に部屋に入ったり、
物を勝手に盗ったりする

怒鳴る私を見て
嗤っていること
面白がっている
侮辱している

腐った肉を公務員の皮で隠して生きるゾンビ

私はその娘。

炎――梯子高

 

風向き 炎の反射神経 風景の陰影
光を優先 一過性を睨み 迎える終焉
肌のキメにまで纏う現実をストリップ
(果てしなく膨らますレトリック的な…)

見慣れた光景 価値を醸し出す壁画
縁取りを助長する3D 前ノリで別次元を行く
テイク2にて録り行う

持て余した時間 憧憬にうつつ抜かす
溶ける情熱 頑なな固形物 テンパる饒舌
(手持ち無沙汰な関心ごと寝転んで)

手を伸ばす日付 執着する端くれ 考えたらマジくせぇ
夕から夜 待ち暮れる
成り切り上手に優雅なトーク
悟ったフリすりゃ仏陀が通る

目の間 瞑想 迷い込む精神迷路
思考停止 でも 離れられない現時点を
気掛かり 核に触れる 狼狽するワタクシ
ジャグリング 見つめっ放し 空いた口
思い付きは明滅し崩壊 THE 白紙

記憶 点と線 未開の日付変更線
(望む視界は見るけど)
覗き込む欲求 目と目 レントゲン
(成長せん喉 ベロ 羨望の礼とともに…)

扁桃腺は見通し効かん展望
開けない視界 そして閉口
完成度より転送と言動が掩護
低速で圧迫する成層圏

高みから滅法目を利かすベートーヴェン

天の上飛び出す感性の少年

(炎上を減少…減速)

無題――遠野牧 露旨

 

さみしき月の夜に
見上げた光の鋭さは
冬の闇夜に
白く多重に重なり 強く引力吸い上げる
恋破れの、淋しい心を。

鳴いてやろうか
爪弾いてやろうか
今幸せな夜に熱く重なる二人を思い
妬けるこころのうたを

綺麗事を言っても
することは生々しい。
ネットで交わす言葉を 行為を 反応を
ムサボリアウ二人を

過去になったアナアキは
二人の隠されたメクバセメッセージを
照らし合わせる
白光の下に、晒されよ! 秘密好きめ!

白み始める闇の宵
月の光は地の空気が孕む光の厚みに柔らぐ
こころを強く吸い上げ続けるくせに。
カタワレを諦め切れない恋破れ
明日は幸せだった週末。

 

内命――松浦里帆

 

わたしがデスクに座るとき、
あなたまでの距離は、およそ十メートルだった。
朝礼隊形に集まるとき、およそ八メートルだった。
キャビネットに資料を取りにいくとき、五メートルだった。
コピー機を使っているとき、四メートルだった。
課長に印鑑をもらうとき、三メートルだった。
隣の課に向かうのに、そっと後ろを通るとき、二メートルだった。
電話応対に困って助けを求めにいく
わたしを振り返ったあなたとの距離は、
一メートルもなかった気がする。
あなたの傍は、とてもいい匂いがした。
あなたの瞳は、きれいな琥珀色だった。
背の高いあなたが並んで歩いてくれるとき、
あなたの歩みは優しいゾウのようだった。
わたしのミスを一度も責めなかった。
いつもゆっくり喋ってくれた。
声を聴いていたくて、電話を掛けるあなたの後ろで
わたしは何度も同じ書類の枚数を数えていた。
バレンタインに人づてに渡したチョコのお返しは、
ホワイトデーに「ありがとう」と直接返ってきた。
あなたの指先まで、あと二センチだったのに。

わたしがデスクに座るとき、
あなたまでの距離は、およそ二十キロになる。

おめでとうございます。
 きっとあなたは忘れてしまう。
どうか、お体に気をつけて。
 忘れないでいてくださいますか。
二年なんてすぐですよ。
 ただの、なんでもない、わたしのことを。

エレベーターが下降するときの、一瞬の気味の悪い浮遊感が、
ずっと体の中にあって、心臓が鳴り止まない。
鼓動の速さが寿命の速さだというのなら、
わたしは今、かつてないほど死に急いでいる。

それでも、わたしたちは同じ電車に乗っている。
同じ方向を見つめている。
いつかあなたが結婚してしまう報告なんて聞きたくないから。
けれど、それでも、わたしはわたしが生きていくために、
この電車を降りられない。

あなたはいつもいい匂いがした。
その手はいつも、温かそうだった。

〇〇○さん。ああ、〇〇○先輩。
尊敬しています、心から。
〇〇○先輩。いいえ、○〇〇さん。

わたしはあなたの、なにかになりたかった。

びい玉――まほろば

 

むかし びい玉をのみこんだことがあつたらう
なみのもやうや きんぎよのもやうのない
あおい すきとほつたがらすのつめたいびい玉を……
したにふれるすゝ゛しいまろみや
かちかちとぶつかるかたさがすきだつたらう
なんどとりあげられてもまたとりだして
あきずにねぶつてゐた……

さうだいつだつたか
くちのなかのびい玉をのみこんでしまつたことがあつた
あしたにもはらがさけてしぬのかと
たれにもいえず
しくしくないてゐたことがあつたらう
したにひいやりとしたささやきだけのこして
びい玉はいつてしまつた わたしのなかに
それがかなしかつたのを こはかつたのを おぼえてゐるだらう
わたしのなかにびい玉がゐる……

みがきあげられたとうきのやうな
あおじろく すべすべとした しめやかなむなもとに
つまさきをさしいれ
にくたいにふみいり
やさしく しずかなにしかぜのふく
くらいさかみちをくだつていく
わたしのあたまのうへでねむつてゐる
くづれおちたらむぷにもにた あれはしんぞう
うすくらがりのむかふに
あおくほのあかるく
あのひのびい玉がみえる……

あおくさえざえとしたそれは
わたしのからだのどこにもあいされず
あらゆるところからはじきだされて
かうして からだのすみつこでそつとこごつてゐるのだ
なんねんもなんねんも
ちや あぶらや ねんえきのとどかないばしよで
こどくに うつくしいままに

びい玉のやはらかいまくをぷつりとやぶり
なかにてをいれると
あゝまるで やさしいいきもののなみだのやうではないか
くらいあおにひかるそのしろつぷに
おさなごのよろこびもてみをあづけ
とぷりとあたままでびい玉につかり
みみに めに しろつぷはとろとろとしみいつて
わたしのからだはしづみゆく
うえになびくみづからのかみをひとみのはしにとらへ
まつてゐたよとわたしはいふ
まつてゐたよ まつてゐたよ と……

夜にはなす――鎌田尚美

 

環状線沿いをあるいていた
月のない街灯もまばらな

沈丁花の香りがした
雨の降るまえには
つよく香るという
実を結ばない花が
闇のなかで芳香を
はなっていた

カラカラと音のする
なにかを踏み
平衡をうしなった
育毛のスプレー缶だった
こんなものにも
躓くのかと
ふーっと長いため息を吐いた
息とともになにかがでていった
からだが軽くなった

通りすぎるのは貨物トラックだけだった
目に入るものを五十音で
順番に、一文字ずつ、口にした

落ちている軍手の片方に あ を
栄養ドリンクの空きびんに い を
目薬のから箱に う を
歩道橋に え を
コインパーキングに お を
自動精米機に か を

名づけるように
呼びかけるように
責めたてるように
声にした
愉しい遊戯をみつけた気がした

二十七番目の ひ をはなったのは
無人のガソリンスタンドだった
血の気が引き
この場からすぐに立ちさりたいと
足をはやめた
心臓が高鳴っていた

一台のトラックが前方の赤信号でとまると
運転手の男が窓をあけた
聴きおぼえのある曲が大音量でながれだした

  ハレルヤ 花が散っても
  ハレルヤ 風のせいじゃない

男が窓から身をのりだし
わたしの顔を見てなにかいった
鼓動はますます大きくなった
信号は青にかわりトラックははしりだした
むかいから自転車にのった二人づれが
わたしの後方を指さしあの煙はなんだろうと
はなすのが聞こえた

雨はまだ降りださない

てまりうた――石渡あおい

 

いちりっとらいらい らっとりっとせ
しんからほけきょうの ぱらいそよ
だるまのめ

角ばった顎と短い鼻 挑むようなどんぐり眼
鏡の向うの顔が 母にそっくり と思ったときから
頭を離れない 意味のわからない言葉

女学校までの一番幸せだった時期を
長崎で暮らした母が
繰り返し聞かせてくれた てまりうた

いさかいの絶えなかった父と母
あなたの顔はお父さんそっくりね と言われるたびに
嫌われているようで悲しかった

だるまのめ といって 赤いゴムまりを
エプロンの下にかくして おどけて見せた母を
素直に喜べなくて 横を向いていた

一里渡来来 来(迎)っと利(益)っとせ
秦から法華経の パライソよ
達磨の眼

仏の教えを歌ったものなのか それとも
仏教を隠れ蓑にしたキリシタンの歌なのか

ゴムまりになって
大きなエプロンの下に
隠れてみればよかったと思ってみたりする

ステレオ――橘 麻巳子

 

三日空いたら死ぬと言う婆さまに
母さまは
母さまの姉さまと話し合い
一日おきには会いにいく

飼った猫にオーデコロンを振りかけ
鍋を空焚きするあいだ
芝居で観てきたステップで踊るからひと月のガス代はものすごく、

気づかなかったと言える距離では
ないよね 車で一〇分

被ったものをはがすようにして
背中をさする のち
拭き掃除をする
のち
ひとりで向かう机で
請求書をめくり
ラジオのお悩み相談で(「近くに住むははの事で、
コメンテーターが三人(「いわゆる、
輪唱のように(「共依存になるんですかね、
していると
化粧にけちつけたがる婆さまや
嫁いでもなお すき焼きを届けてくれる婆さまの
重なる像が
あたらしい響きのもとで煮込まれる

戦争の時
おイモをたくさん弟にあげたんだって
すこしの美味しいおイモと
交換で
こうやってしか生きられないの
もっといいものがある どこかには
婆さまは
いつもすこしの美味しいおイモを握りしめ

おイモを先にやったのか
先におイモを 取り上げたのか
どちらにしたって、
東西東西 浮世平成
こちらのイモは甘いけど

口から口へと引き渡される
ひとつの理由は
あちこちおりた記憶の霜を
ひとすじの氷柱に
こわばらせ
踊る婆さまの足を傷つける
だから 

寝てばかりとなり 

オーデコロンをかけた猫が
のちに
ステレオにおしっこした話は
おしっこの分
脇道をつくった

みつばち、そらとはな、かやのそとから――発条ねりさす

 

アラビア語で出来たアップルパイだ。
生地にはメソポタミアの文明が練り込んであって、
それを親友のサリーはよく食べるそうだ。
はやおきなくせに。
クリーニングにも出していない、
土の中から起き出したリクルートスーツは。
あいと、あいと、かなしみと、
きぼうと、ゆめが、ひとにぎり。
大きな栞を挟んだのだと、ペットのサリーは言った。
ゆめみのなかで。
シルバーのあめ細工が、窓ガラスにしんしんと降る。
すべって、ころぶ。
したたかな雨垂れのようだ。

「こおろぎの
「あさぼらけと
「はなやかな
「にわとりたち
すべてうそか?

シュウクリイムの中には、たくさんの
たくさんの、サリー、すてきな言葉たちが
みにくく押し付けあいながら、
クリームの綿にくるまれている。
かわいげに、はかなげに、
そう見える。サリーには。おまえたちも。
「びしゅう
紡ぐ先に、それをあらわすものが
ないとしたら?
まっさらな潮風と
むせかえる空気に
サリーは震えていた
だれも知らない、こころのうちを
しりたいばかりに
ひっそりと伸ばしている、
折り目のついたスカート。
あまいにおいがする。

「はしる、とうばと、
「きゃしゃな、うでと、
「ひとめぼれした、
「あめいろの、
ゆめみのなかより。

針がねが欲しいと、サリーは言った。
はちみつを舐めたいがために、
サリーは妹のふりをした。
せいぜいと、太陽がふる。
こんこんと、てらされる。
あつくて、いたい、あまい流れを
這いつくばる卑屈さを
おまえたちは覚えている。
とんとんと、
垢の詰まった、手のひらが、
サリーをすてきに着飾った。
押し込まれる流れのさきに、
びしゅうをうかがいながら
うたがっていながら
はばたいていった。

 

***

 

選評

八木幹夫選

入選

「Panopticon」
一種の妄念ともいうべき世界を正確にとらえ、描写している。これだけ言葉に重心をかけられるということは、現状の自らの肉体と精神のバランスを保つのは大変なことだろう。言葉は今現在の、あなた自身を救い得ないかもしれないが、書き続けることでこの危機を抜け出てほしい。詩とはそういうものでもある。パノプティコンとは「全展望監視システム」のこと。異能の表現者がここにいる。

Panopticon――まほろば

電球の上に鶏が啼く
掃除機の奥に猿が嗤う
活けた薔薇の隙間に金魚がまぎれる
木の影から三毛猫がこっちを見ている
ははは、はははは、はは

飛び出した 一人の南武線
剥き出しの配管の中には豚が眠る
食後の弛みを 接吻の腥さを
卑しい目で揶揄する蛍烏賊のさざめき
ありあけの空に蜘蛛が巣をかける
生きているぞ と鴉が叫ぶ
ははは、はははは、はは

ああ 鉄塔の上に鹿がいる
ぐるりと目のついた碧い頭に
古ぼけた角 生暖かい春の日暮れ
見られている見られている見られている
私の胸に埋め込まれた
蝿 ホログラムの複眼
視線の呪縛
ははは、はははは、はは

入選
「花の呼吸」
あえかな花と自身とが不分離の状態で描かれた貴重な時間を生きている。詩が生成する爽やかな現場を感じる。「ことばになる前のあかるいかけら/いくつも零しながら/息を吸う/息を吐く」詩をとらえた瞬間の表現。さらに最終二行は素晴らしい。

花の呼吸――小林真代

雪の朝
しずかな息の途中で
すこし深く空気を吸ったら
わたしの小さな喉は
雪の冷たさに驚いて小さな咳をした
ことばになる前のあかるいかけら
いくつも零しながら
息を吸う
息を吐く
やめることができなくて
少し涙が出る

嘔吐するように
しっかり花瓶を傾けて水を捨てた
大切にしたつもりの冬の花は
花粉が強くて服を汚した
大きな花だったが
少しずつ弱って死んだ
腐った水のにおいがして
あながち比喩でもなく
何度か
嘔吐するように
しっかり花瓶を傾けて
水を捨てた
青くて丈夫な茎を力をこめて折った
くしゃくしゃと丸められて花は震えた
花瓶をすすぐと
何度目かで水のにおい

しずかな息をくりかえし
声が喉に詰まらないように
なによりこの体を労わって
春になったら
雪がとけてまた水になるくりかえしの
そのような呼吸で
青いにおいをかすかにふるわせて
会いに行く

入選
「さくら」
ここにもかすかな春のいぶきに感応する感性がある。「狂わされて、ほころび、こぼれて、
始まりのあいず、」とは見事な表現だ。至るところに表現力の豊かさを感じる。父と私との微妙な生活感が「さくら」色に色づく。それも遠い記憶の一光景なのだろうか。

 さくら――藤原 游

首筋にできた金魚の尾びれが
春の風をたたいて赤い筋をつくる
まだ見上げる人のいない樹に
絡みついて染み込んでいく

「春のいぶきですよ、
 狂わされて、ほころび、こぼれて、
 始まりのあいず、あいす色のはじまり、

色づきだした景色の中で
伸びていく影は薄くなっている
野良だった犬はすっかり柔らかくなり
薄汚れた毛布の上で目を細めている

薄茶色の毛がまっている陽だまりで
父の眠る椅子は固く冷えたままでいる
未だ溶けない残雪の奥底で
あの朝の日の記憶はとうに行方知れず

ひたひたと赤い尾びれが首筋を打つ
虚血だった脳内に血がめぐる
光がすぐそこまできていたのに
耳元までにじり寄ってささやいた

「春のめぶきですよ、
 戻されて、すくい、またこぼれて、
 膨らみ出した、あなたの、

あたたかな下腹部に手をやる
宿らない空洞に水がはり
いつの間にか潜った尾びれが跳ねた
まだ見えない蕾が揺れている

佳作
「ステレオ」
やや内容が散漫になりすぎて焦点が定まらない。ただ展開の切れ味の良さがこの作品を魅力あるものにしている。何を書くか、一点に絞る必要はないが、自らの中ではきちんと定めること、「おしっこの分/脇道をつくった」やや独りよがりな表現ではないか。
 
ステレオ――橘 麻巳子

三日空いたら死ぬと言う婆さまに
母さまは
母さまの姉さまと話し合い
一日おきには会いにいく

飼った猫にオーデコロンを振りかけ
鍋を空焚きするあいだ
芝居で観てきたステップで踊るからひと月のガス代はものすごく、

気づかなかったと言える距離では
ないよね 車で一〇分

被ったものをはがすようにして
背中をさする のち
拭き掃除をする
のち
ひとりで向かう机で
請求書をめくり
ラジオのお悩み相談で(「近くに住むははの事で、
コメンテーターが三人(「いわゆる、
輪唱のように(「共依存になるんですかね、
していると
化粧にけちつけたがる婆さまや
嫁いでもなお すき焼きを届けてくれる婆さまの
重なる像が
あたらしい響きのもとで煮込まれる

戦争の時
おイモをたくさん弟にあげたんだって
すこしの美味しいおイモと
交換で
こうやってしか生きられないの
もっといいものがある どこかには
婆さまは
いつもすこしの美味しいおイモを握りしめ

おイモを先にやったのか
先におイモを 取り上げたのか
どちらにしたって、
東西東西 浮世平成
こちらのイモは甘いけど

口から口へと引き渡される
ひとつの理由は
あちこちおりた記憶の霜を
ひとすじの氷柱に
こわばらせ
踊る婆さまの足を傷つける
だから 

寝てばかりとなり 

オーデコロンをかけた猫が
のちに
ステレオにおしっこした話は
おしっこの分
脇道をつくった

佳作
「ぽとるくぅーん」
奇妙な存在感のある作品。姥鮫さんと私とはスイミングプールで出会って、その後、姥鮫さんがミイラのように口を開けている姿を見る。(それは姥鮫さんの病か死?)タイトルのネーミングも茫洋としていて、最後までよく解らないのだが、こういう作品も捨てがたい魅力がある。生と死が水の感触のように伝わってくる。ポトルクゥーン、ポトルクゥーン、何?「そう、ぬれぬれと、ゆっくりと じかんをかけて、捨てるの」象徴的なフレーズだ。

ぽとるくぅーん――みご なごみ

ぽとるくぅーん
ぽとるくぅーん

姥鮫さん、あなたは もう、めったに泳がないけれど
わたし、しゅうに にかい そして ときどき さんかい
すいみんぐ・ぷーるに いくの
げつようびと、もくようびと、あとは、かようびに。
ぴったりのゴム製のくろのぼうしを
しっかり はりつけるようにかぶって およぐの
およいで疲れをいやすんじゃなくて、捨てるの

ぽとるくぅーん
ぽとるくぅーん

姥鮫さん、あのね
アクア・ウォークしてる おじぃーさんや おばぁーさんが
ああやって、みずに つかって 皺の
ひだ から
ろうはいを、ぷーるのなかに捨てていっているように
そう、ぬれぬれと、ゆっくりと じかんをかけて、捨てるの

ぽとるくぅーん
ぽとるくぅーん

くろーるの みずかきをして
ぬらぬらぬらと 捨てて いくの
みぃぎぃー、ひだぁーり、みぃぎぃー、ひだぁーり
ひとかき ひとかきで
つかまっている つながってるものを、捨てるの、捨てていっているの

ぽとるくぅーん
ぽとるくぅーん

げつようびと もくようびは、もえるごみの
ひだ から。
それから かようびは ふねんぶつの
ひだ から。
ふぃっとねすの えくささいず なんかじゃ、こんなふうに捨てられないのよ、姥鮫さん

ぽとるくぅーん
ぽとるくぅーん

アア、ソウイエバ、コノ間、ソラノ ヒダ カラ、飛行機ヲ見ニイッタ。 姥鮫サンモ イタ。 満足ガ 夕暮レニナルト、コウ、聞イテミタク ナッタ。 姥鮫サン、姥鮫サン、アナタハ、アソコヲ、くゞルノ カシラ。 ワタシ、アソコヲ、くゞッタホウガ イイノカシラ。 ネエ、ポソリト コタエテ、クレナイカシラ。 姥鮫サンハ、「ソウヨ」ト、ポソリ。 ソシテ、泳イデ イッタ。 くゞ くゞ。 くゞ くゞ。 ワタシハ 頷イテ、「ソレデハ」ヲ、イッテ、ヒトリ フニヤリ、帰ッタ。

あのひの、つぎの、つぎのひは、ほんとうに雲がうごいていたわね
姥鮫さんは、口を大きくあけたまま、じっとしていたわ
まるで、剥製のようだった
わたしは、きょうは また、ぷーるに戻っているの

ぽとるくぅーん
ぽとるくぅーん

佳作
「彼岸」
達者な書き手ではあるが、この作品の前提になっている世界を知らなければ読者は初めて出会う場面に戸惑うばかり。ヘイとセイとスイの関係性が見えてこない。こうした未成熟さが詩を混乱に陥れる。とはいえ「緩慢な滅びの証人でありたい/見届けることだけが/自在で唯一のぼくの武器」等の表現には惹かれる。

 草間小鳥子――彼岸

量子ステルスを纏った夜戦は羽ばたきをひそめ
六等星の明度を模したキラー衛星には
あらたな星座の名が冠された
うすっぺらい新都の空に
削れば剥がれそうなアンタレスが燃えている
大三角をうまく結べないまま
歩道橋の欄干にきしきしと片手をあそばせ
(ひとさし指の先っぽは
 星々を燃やす元素のひとつになれただろうか?)
指先くらい培養でたやすく補えるが
セイには使い途がわからなかった
いっそ眠ったまま、頭から腐るのを待てばよかった??

背を丸めひとの流れにさからいながら
あてもなく対岸を目指す
欄干にヘイが片足立ち
セイの残像を見送っていた
身をひるがえし跳躍すれば
はためくプリーツスカートが夜空をあばく
ヘイはセイの手をおもむろにとり
ひとさし指を咥え突き放した
ふり向きざま最後にまなざしを投げると
空を背負うように欄干の向こう側へ倒れてゆく

片手を結びそれからひらいて
指先の還ったことを確かめセイは
歩道橋の真ん中に突っ立ち
「あ、は、は、は!」
慟哭するよう笑い出したが
ソニックブームがそれをかき消し
狂った鳥たちの群翔はやまない

 たとえどんなに残酷でばかばかしくて無謀でも
 目覚めていたい
 よどみない水晶体でありたい
 美しすぎる夜空を引き裂きたい
 緩慢な滅びの証人でありたい
 見届けることだけが
 自在で唯一のぼくの武器

みじかい夏が果て秋が更け冬が閉じかける頃
夜をわたるように降りおえたぬるい雨のなごりは
ふるえながらひさしにつらなり
だんだんに明るむ議事堂跡の地割れから
名札のない男児が
苔むしたニコンを掘り出す
頬を紅らめ
飛散した硝子片が濡れながら朝日にきらめく道を
いっさんに駆けてゆく
並走する列車をひと飛びで抜き去り
素焼きの鉢へ水をやる母親の膝へ取りつくと
おぼつかない口語で
子どもはたずねた

「おはよう、スイ。これはなんていう兵器?」

 

***

ポエジー、あるいは変奏の翼 石田 瑞穂

 昨春書いた映画評にプラグインして、
利便性を理由に、人間の思考と身体に接続しつつそれらをのっとり、無思考・無身体に堕としてしまう外部テクノロジーは、ドゥルーズ/ガタリの概念「器官なき身体」を翻せば、「身体なき器官」ともいうべき最悪の専制体制に転じてしまう。そうした「身体なき器官」こそ、国家と企業テクノクラートが結託してもとめる有能な被消費人材だ。アニメ映画化された伊藤計劃の未完の小説『虐殺器官』は〈最新の映像テクノロジー〉を追究し、圧倒的な画像で未来の軍事的虐殺をえがく。観客の大半は平和を望みつつ、思考と神経回路を切断し、ゲーム感覚でサディスティックに処理された虐殺シーンの4D映像に酔い痴れたことだろう。
この映像体験の渦中では、凡庸な感想でお恥ずかしいが、なにが現実でなにが非現実かがわからなくなる。映画館をでればものの十五分で忘れてしまう高度な映像音響クオリティーのことではない。映画版『虐殺器官』はそこのところが巧みに企画されていて、進化しすぎた軍事マシンが虐殺を補助する目的で人間の思考と身体とを限りなくぎりぎりのところまで代替し、マシンと人間のどちらに意思決定能力−魂−があるのかわからなくなる、そして映画はまさにその情況が寓意であることをこえて、映像体験そのものである、という構築になっている。操り人形が人形を操る、けれども、主体は不在のまま、より堅牢な甲殻に鎧われてゆく。
 希望か絶望かはさておき、人間にさらなる開発をうながす自己保存本能は歴史上たちどまったことがない。それでも、いまはだれにとっても進化の神話に限界がきている。現代は、生産力が発展すればするほど、生を自己目的としてゆく自明性を喪失してゆく時代にさしかかった。「文明国」において自由と平等と理性が徹底化され、生産力が高まり物心ともにゆたかになればなるほど、社会的文明生活を維持する強迫が人間を毀してゆく。地球に生きる他の環境諸生命をまきぞえにして。そこからの安易な脱出としていま欲望されているのが、民族中心主義をもとにしたファシズム神話の再帰であり、反グローバリズムであることは言うを俟たない。
 いっぽう、どんどん硬く狭まる世界に不在のまま鎧われて、主体はエコーする。その反響するゆき先は、リアルとメタレベルが演じる差異の戯れのさらなる先、リアルとメタが浸透しあう、メタリアルの生だ。もうだれもナポレオンもマルクスも信奉しない。専制も自由も、天国も地獄も希まない。人間たちがあらゆるものを犠牲にしてえらぶのは、自動化する生だ。グーグルマップ、二次元キャラは俺の嫁、どころではなく、人間はVRと三次元世界が水銀のように融渾するメタリアルの深海に現実をもとめて漂流するだろう。そして検索エンジンと人工知能とロボットを奴隷に、オートメーション化された生存本能の工場で幸福追求を生産してゆく。
 ファシズムとメタリアルに共通するポピュリズム的欲望は、他者を欠落したまま他者を希求する文盲の欲望である。
だが、欲望のオートマチスムにこそポエジーの爆弾が仕掛けられている。詩は必然的に、世界と言葉という自我を構築するマテリアルにみずからの思考と身体をひらきゆだねることで、もっとも個別化された言語世界へたどりつこうとする創作行為だ。詩はなにも表現できない。現実を表現したり表象するのは散文の仕事である。詩は現実から孵化しても、ただただ、その自己同一性から遠く羽搏いて変換してしまう字義通りの変奏言語、創作だ。翻訳ともいえよう。だから、ファシズムやメタリアルを構築する社会と欲望の生産関係を内在的にとらえ、とらまえられていながら、自己を変奏するための翼に気づかせてしまう。
 詩人田村隆一は戦後のカオスのなかで詩篇「日没の瞬間」(詩集『緑の思想』)を書く。そこには、「ちいさな欲望」から生まれた「小鳥」の「するどい嘴と冬の光りにきらめくちいさな眼は/分解するだけだ」というフレーズが刻まれる。「おお どうしよう ぼくは心を分解するだけだ」とも。戦争と戦後復興の巨大な欲望のうねりに傷つくちいさな欲望は、詩化されることで同時に、システムの瑕疵へ羽搏こうとする欲望として変奏される。詩は必然的に、世界と人間と言語が絡みあい折畳んだ精神世界の微細な襞のかさなりを隈なく探索し、丹念に発掘し、緻密に地図をえがき、採取した微細な感覚質を抒情へ折りひろげて光のもとにつれだす。
詩人とは魂を分解する時計職人である。そして、その者が造る不可思議な秒針は、「ここ、いま」に囚われつづける世界と自我の時字をけっしてゆびささない。

 橘麻巳子さんの「供火」は、刺激的な作品だった。「火」は太古から現代までひとしく生命を養ってきた。ぼくらがすぐさま思いおこすのは、あの石垣りんの名詩だろう。橘さんの作品も、一見、「火」の初源を有史以前に遡行しつつさぐるかのよう。

ひとつの火を焚く任務を負って、炙った骨で占いをして暮らしていました。
最後のほうには、空間を歪ませていた飛翔兵器の爆発に、視線と、視線のほかも奪われていました。吹くからに
       黄味の掛かった煙 
               おぶさり
一帯にはそれまでにも何度か同じことが、しかし、
粒子の成分を知ったとして、生き延びられたわけではありませんでした。

日本における火炎崇拝は太陽神と山岳神信仰から発生したといわれ、神道そして仏教にとりいれられてきた。さらには、松脂火薬から近現代兵器に永い時をかけて発展した「火」の歴史が、いよいよきな臭い世界情勢とともに詩に揺籃している。
とまれ、この詩の面白さは、現代と太古の時間が、遡行ではなく、並列もしくは衝突する時間線として表出される視座にある。そのことにより、主体も、それをなりたたせている現代という物語も、統辞法をきしませ、ゆらぎをあらわにしてゆく。橘さんの詩のこころみは、現代詩のみならず、ぼくらの生活史をささえて縛る文法、「火」の解放にあるのかもしれない。
采目つるぎさんの「Fudge Fuzz」は、作風に自由度と軽みがひらけてきた。ある意味、書き慣れてきているのだろう。「ストロングゼロじゃなくて/ストロング氷結じゃん」なんて、上手いなあ。愛や約束はもう壊れて、ゆえに人はとうに解放されてしまい、なのに、なんにもない「ゼロ」はクリシェにすぎずつまらない。あくまで冷徹にポップをおしとおす擬似ラブソングのさきで、采目さんの詩が希むのは、「熱」として感知されうる生と言葉の「質量」だ。

最後の熱を奪って、
存在しない筈の高架線に
質量を与えて還元してゆく。
「---あぁ、これストロングゼロじゃなくて
 ストロング氷結じゃん。
 流行りに乗り損なったな、
「悔しい?
「ハーゲンダッツまだ融けない、用意した2つとも。
 何もできないじゃん、
「じゃあさ、これ付けてよ。イヤーカフ。
「なんで、
「制御装置。
 すぐさよなら世界、しちゃうでしょ?

じぶんのアバターと恋愛するのもアリな、この世界。采目さんの詩は、そんなふうにメタレベルとリアルが皮から肉までくっついて永劫回帰する世界を直視している。采目さんの詩は、毎回、動き、動かす。しなやかな知的センスをもった詩人だ。
 草間小鳥子さんは、今回の「パルクールと狂騒」が初投稿。すでに、商業誌にも発表作のある詩人だが、いま、書き継いでいる連作詩篇中の三篇を投稿してくれた。「セイ」や「スイ」といったキャラクターが登場する物語詩は、歴史を忘却し、反民主主義、軍備への欲望が昂まる現代の「狂騒」の寓意でもあるようだ。

あすの列車で前線へ向かう志願兵らがパルクールに興じている
打ち捨てられた通学鞄が日ざしの下でひび割れてゆく
頬を汚した弟妹は仮り住まいで日銭を稼ぐが
ぴかぴかの保険証を手に入れた
捨て置かれた地割れで跳躍をやめない彼等の顔は
ひとさし指のあたらしい誰かが撮るだろう
 あっちまで跳べたら生きているよ
 あっちまで跳べなかったら死ぬよ
生を慈しみ死を悼む呑気でややこしい神経回路など
断ってしまえば不慮の喪失さえちょっとした歯痛だ
おだやかな日射に骨の付け根がしくしくと泣き
葬送列車はあすの朝発つ

 まだ全体像の見えない連作のうち一篇だが、その言葉のポテンシャルはうかがえよう。パルクールという、究極の肉体遊戯の身体性を装備しつつ、詩には「思考を打ち切り」、「神経回路など/断ってしまえば」というフレーズが刺青されている。
 さて、いま紹介したスマートな詩たちの対岸にいて、じつに印象深い詩たちも登場しつつある。
 福山てるよさんの「椅子」は、流砂のように心許ない世界とそこに生きる人間の現実を、固有の言葉で詩う。七十代の女性詩人が働いて口を糊してゆくしかない時代。その職場では、更衣室の椅子さえ支給されず、じぶんたちで賄わなくてはならない。

仕事が終わり
服を着替えていると

じわじわと
これは私達の力を超えた
関わりのない
世間に
消化不良を起こし
その傷の痛みに
我慢できなくなっただけの
ことではないか

「どうして/私達が椅子を/買わねばならないのか/という思いが次第に/頭を/もたげて来たみたいで」と、詩は想いを吐露する。いま、日本のいたるところに、こんな容赦のない光景が散見される。福山さんの、物としての詩、固有の詩は、時代を巧みにとらえながら、非情な世界を突破して生きぬくための問いかけを発信してゆく。その信号は、福山さんの同世代人のみならず若い世代にもきっと届くと思う。
 宮城野ちなつさんの人生初投稿だという詩作品も、自身の生の基底から否応無く発現した、固有の詩だ。

ねえ、私がどうして長袖を着ているかわかりますか。

愛より安定剤をください。私の中身はふあんてい。
やっぱり愛も下さい。欲張って、醜く。
私よりあの美人さんを選びますか。隠す傷。
皆逃げる。私の元には何も無い。

長袖のあの娘はお姫様ベッドで電気男の夢を見るか?
恋を知らない君は長袖のあの娘の夢を見るか?
長袖のあの娘は金と酒とまぐわいの夢を見るか?
恋に辟易する君は長袖のあの娘の夢を見るか?

うらおさんの「ショックだったこと」は、投稿フォームのコメント欄に「誰かに見てほしいと思いました。箇条書きを誰かに見てほしいと思って書きなおしていたら自分としては詩になったと思いました。これを文学と呼べるのかは分かりませんが、気づいたらできていました」という言葉が付されている。

我慢していた
そういう、私の大事なものを勝手に盗られたこと。

警察にかかわる仕事に就いて長いのに、
刑事事件にならないから勝手に部屋に入ったり、
物を勝手に盗ったりする

怒鳴る私を見て
嗤っていること
面白がっている
侮辱している

腐った肉を公務員の皮で隠して生きるゾンビ

私はその娘。

悲鳴を改行するように、初めての詩は生まれた。
宮城野さんの詩も、うらおさんの詩も、たしかに文学のモティーフとしてはシンプルすぎ、技巧も未熟かもしれない。だが、身勝手でおしつけがましい感情の吐露ではなく、他者を意識した表現ではある。そして、その言葉は、文彩や技巧をおぎなってあまりある、生の奥底から兆した固有の光を宿している。
スマートな詩と、固有の詩。アントナン・アルトーだったらどちらの言葉をもとに踊るだろうか。ぼくは、どうも、後者の詩のような気がする。アルトーの言葉と思考は、つねづね「私の生が盗まれている」ことに反撃する、生の強度にみちびかれているから。
梯子高さんのラップと現代詩をループさせてゆく言葉のビートは、じつに斬新な地平をかいまみせてくれた。ちなみに、これまでの投稿作にも、ラップから影響をうけた現代詩があったが、ここまでの完成度には到らなかった。

風向き 炎の反射神経 風景の陰影
光を優先 一過性を睨み 迎える終焉
肌のキメにまで纏う現実をストリップ
(果てしなく膨らますレトリック的な…)

見慣れた光景 価値を醸し出す壁画
縁取りを助長する3D 前ノリで別次元を行く
テイク2にて録り行う

持て余した時間 憧憬にうつつ抜かす
溶ける情熱 頑なな固形物 テンパる饒舌
(手持ち無沙汰な関心ごと寝転んで)

 遠野牧露旨さんの詩(無題)は、ペンネームもしろしめすがごとく、大正昭和初期の近代詩の抒情と話法を現代の実景に接続してゆくような言葉だ。

鳴いてやろうか
爪弾いてやろうか
今幸せな夜に熱く重なる二人を思い
妬けるこころのうたを

綺麗事を言っても
することは生々しい。
ネットで交わす言葉を 行為を 反応を
ムサボリアウ二人を

過去になったアナアキは
二人の隠されたメクバセメッセージを
照らし合わせる
白光の下に、晒されよ! 秘密好きめ!

ほかにも、あおい満月さんの「卵」、香村枇杷さんの「訪花」があり、近代詩の透明感ある言葉と幻想的な世界観が、いま、二十代の若い詩人に新鮮に映るようだ。若者のあいだでは、『文豪ストレイドッグス』や『月に吠えらんねえ』といったマンガ/アニメが大正・昭和初期文豪のリバイバルブームをひきおこしている。サブカルチャーが純文学の言葉に密かに影響をあたえているのかもしれなくて、そこからどんな新たな詩が生まれてくるのか興味は尽きない。

 

***

選評 杉本真維子

 今期の入選作品は、名前が本名か、あるいは、きちんと考えられた筆名が並んだ。私たちが他者の作品を読むとき、その名前に、作品に対する責任が負われている、と信じられることが前提だ。けれども、投稿作品のなかには、ふざけているように受け取られかねない軽い筆名も結構あって、さらにはその筆名を隠れ蓑のようにして、これは私の作品ではありません、本当の私ではありません、とばかりに逃げる準備を始めているような作品も、正直ある。
 言いにくいけれど、そういう作品を、誰が本気で読もうとするだろうか、と疑問に思う。作品を読むということは、限り或るいのちの時間の一部をあなたの作品に充てる、ということだ。だから、前回の筆名は忘れてしまった、など論外で、そのようなコメントが書いてある作品を、あるいは、そのようなポーズで自分を守っているような作品を、他人が読んで当然、と思っていることがふしぎでたまらない。書くことで傷つくことがあるように、読むことで傷つくこともあるのだから、読者も作者と同じようにリスクを抱え、それでも詩に向かっているんだ、ということを意識に留めておくべきだと思う。
 それから、コメント欄に長々と自分の思いを綴るのは、作品に対する言い訳ではないかどうか、一度考えてみるべきではないか、とも思う。出来はどうであれ、全力を出し切ったと思うほど懸命に書いたなら、もうほとんど言葉は出てこないはずなのだ。作品だけで勝負しようと思うのなら、むしろ作品以外の言葉を書くことを恐れるはずなのだ。
 恥ずかしい、逃げたい。たしかにそんな気持ちも、詩を書く行為には混じるものかもしれない。けれども、書いたとたん、大急ぎで逃げる準備を始めなければならないくらい恥ずかしいならば、その作品はやっぱり「恥ずかしい作品」なのではないだろうか。そのことを自分で感じているから、逃げたいのではないか。もしも思い当たるところがあるなら、覚悟がかたまるまで、他人の詩集を読んだり、書いたり、読んだり、書いたりして、自分の一篇の詩を書きつくす時間にあてたほうがずっと自分のためになる。
 今期、もっとも心を動かされた作品は、松浦里帆「内命」。恋とはじつはこれくらい死に関わる心の状態をいうのかもしれないが、恋をテーマにそこまで書けるひとは稀である。とくに4連目、激しい動揺とエレベーターの体感を重ね、恋から一気に死の問題に触れる傾き方で詩全体を動かしていくところなど見事だと思った。最終行の「なにかになりたかった」の「なにか」という表現が示すように、言葉にできること、できないことの自問が深く、その分別が正確になされている、と感じられる。「わたしは今、かつてないほど死に急いでいる」という一行のキメ方、2連目で急に大きくひらく距離で異動を示唆するところなどもうまいと思う。「二十キロ」は実際はそれほど遠くないとあとから気づき、語感で書いているのかな、と思った。そこがまたセンスのよさを感じさせた。
 それでは、今期で私の選者の任期は終了となります。この投稿欄は、詩を読むよりも先に書き始めたかたが多いのではないでしょうか。どちらが先でも構わないと思いますが、書くことと読むことは表裏一体なので、書くことに行き詰ったときは、読書量の足りなさが原因だとまずは疑って、詩集と、詩と関係のない本の両方をたくさん読むと、きっとその先の道が開けます。開けると信じれば大丈夫です。
 皆様、これからもお互いにがんばって書いていきましょう。1年間ありがとうございました。

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