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東日本ゼミ, 講演

現代詩ゼミナール&新年会2024開催

現代詩ゼミナール&新年会2024
 去る一月二七日(土)、アルカディア市ヶ谷にて、現代詩ゼミナールが14時より16時30分まで五階穂高の間で、新年会が17時より18時50分まで同場所四階鳳凰の間で開催された。
 現代詩ゼミナールの司会は、伊武トーマ、草間小鳥子の両氏が担当。
 開催に当たり、郷原宏会長より、次の要旨でご挨拶を頂きました。
 「今年は年初から大地震があるなど不安な年明けです。ある評論家は新しい戦前と言うべき段階に入ったという方もおります。我々は大変困難な、危険な時代を迎えつつあり、このような危機の時代にこそ詩人の感受性、詩人であること、詩人の存在意義が試されます。そのようなさなかに現代詩ゼミナールを開けることは、ありがたいことです。本日は詩を書く者が一堂に介して、詩について語り合い、親善を深めるよい機会です。本日は、実りの多い、楽しく、知的で、しかも詩的な会になることを祈念致しまして主催者の挨拶とさせていただきます。」
 次に本日の講演者、中村邦生氏のプロフィール紹介がなされ、登壇された中村邦生氏より、「〈散文〉のポエティクス」の演題で講演がなされました。
 講演終了後は休憩を挟み、会員四名の「スピーチと詩の朗読」が行われた。スピーチには興味深いものがあり、その一部(要旨)をここに記します。
 松井ひろか氏「私が指導を受けた長谷川龍生氏が〝地震が起きてから詩を書くのでは遅い。起きる前の揺れの段階で詩は書かねばならない〟と言っていたのを年初の地震で思い起こし、自分の未熟さを痛感しました。」
 佐峰存氏「私は9歳から大学卒業まで米国居住。渡米時は英語が分からず、心配した教師が短文なら理解しやすいだろうと、手作りの英語詩の教材を手渡され、自然と詩の世界へ入っていきました。今は世界の詩はどうなっているのか等に関心を持っています。」
 滝川ユリア氏「今年は辰年。滝川の文字には竜がいます。水の流れを竜と見る。詩を感じます。視覚的な文字を素材にする日本文芸の豊かさを感じます。中国では文字を簡略化して書きやすさを手に入れたが、代わりに文字のポエジーを失ったのではないか。」
 生駒正朗氏「塚本敏雄氏に誘われ詩誌GATEに参加。詩作十年で第一詩集発刊。今は剣道七段を目指し練習。国語教師ゆえ生徒にも剣道を指導。」
 最後に現代詩ゼミナール担当の春木節子理事の閉会の言葉で終了した。
 次に冒頭で述べたとおり、会場を変えて新年会が開催された。司会は、福田恒昭、鹿又夏実の両氏が担当。
 初めに塚本敏雄理事長から、能登地震への義捐金報告と開催挨拶があり、川中子義勝日本詩人クラブ元会長の祝辞、佐川亜紀前理事長の乾杯の音頭と、賑やかに懇親会の幕が開いた。
 御登壇いただき、スピーチされた方々は、高橋次夫・椿美砂子の両氏及び新入会員の外村京子・岩佐聡の両氏。
 最後に杉本真維子副理事長が登壇し、「講演、朗読共に充実した内容で、詩の朗読では、同じ日本語なのに表現が違い、個人の尊さと結びついて深いところまで心を揺らすことができた。」と所感を述べた後、閉会の言葉で終了。

開会の言葉 郷原宏会長

司会進行 伊武トーマ氏 草間小鳥子氏



現代詩ゼミナール講演〈散文〉のポエティクス 講師 中村邦夫氏

講師 中村邦生氏

 

 初めに十代から二十代前半に、私が文学の手ほどきを受けた詩人の話をまじえながら話していきます。

1レトリックとフィクションの軋み
 小学生時代、我が家の隣にあった木工所へよく遊びに行き、そこの工員が詩に詳しい人でした。私と同年代の子が十歳で詩集「父の口笛」を出したと紹介され、詩集を貸してくれたので熟読し、詩を書いては指導を受けました。詩集の著者は岩田有史氏。借用した詩集は工員へ返却後、題名「ラジオ」にある「ニューヨークのおにぎり」の文言が曖昧なまま、うろ覚えで脳裏に残り、時が経過した二十歳過ぎ、偶然、都内の某書店で詩集『父の口笛』に遭遇。購入してうろ覚えの文言を探すと、どんな詩だったのか記憶の確認をしました。岩田氏はニューヨークを渡航経験がないのに想像で書き、詩では想像したことが現実と同じくらい価値があることを学びました。フィクションと現実の軋みは何時もあり、これは大きな文学的問題のアポリアです。
2 レトリック感覚の残影
 次にうろ覚えと明視の関係について。うろ覚えというのは正体がわからないもの。自分のものであるような、他人のものであるような、あわいで揺らいでいられる快楽です。しかし、うろ覚えの存在が判明したとき、その揺らいでいたものは他者のものになる。
 岩田氏の詩は「ラジオ」「ニューヨーク」「おにぎり」の並べ方にレトリック感覚の残影があり、シュールレアリスムにも結びつくような言葉の配置がよい。又、文脈の違うものが同じステージにあるのは文学的テクニックの基本で、ここにはそれがありました。
 「五本の指をひらくと/そこに小人の国がある/山も谷も川もあって/ほそいせんのたくさんあるところは/うみかもしれない」(「小人のくに」抜粋)小さいものを大きく、大きいものを小さく書く。これを私はガリバー効果と称しますが、これも私が、大事にしてきたレトリックです。
 このように岩田有史氏の詩には、後々、私が文学に関わる基本形があったことに驚きとショックがありました。
 そして武満徹がニューヨークで演奏会を開催したとき、ホールが乾燥しており楽器が損傷するので、急遽、レタスの葉と濡らしたガーゼを琵琶と尺八に巻いたというエピソード。
 尾崎一雄氏が自宅で、明け方トイレで窓ガラスに蜘蛛を閉じこめると窓から見える富士山を蜘蛛が踏みつけているように見えたというエピソードを紹介してレトリックに言及した。
3 瞬間の君臨
 次は、何に心惹かれるのかという問題です。それは細部の輝きというか、散文のディテールに出現する詩的瞬間の出現に、とても心惹かれます。さりげない細部が起立する読みの愉楽があって、自分はその散文の中にポエティクスを感じます。
 ストーリーが横へ横へと水平的な動きを作っていくときに、継続的な動線に割り込んで、垂直的に起ちあがる一瞬をポエティクスと呼びたい。その垂直的な詩的瞬間の君臨こそが、散文的な物語を中断させる。しかし、それよって物語を先に進める言葉のエネルギーを内在させている。滞っているのだが流れている、すなわち滞留=流動の重なりあうパラドックスこそがポエティクスの機能ではないか。これは読者が見いだすものと考える。
 ここで谷崎潤一郎の「細雪」、ヘミングウェイの「老人と海」を例に挙げ、さらにポエティクスを論述された。鳥尾敏雄の「死の棘」では、浮気問題で子供が発する「カテイノジジョウワヤメロ」という垂直に起ちあがるカタカナ言葉の威力に言及。意味わからず発した子供の言葉が、物語のエネルギーを反転させてしまう力がある。これこそがポエティクスだという。
 このように垂直的に起ちあがる言葉のポエティクスを感じる所は随所にあり、その発見は読み手のもの。
 作者は勘に頼って創作をしています。それを意識的にやると失敗するものです。こちらから仕掛ける場合もありますが、勘に頼った方が起ち上がるものが何かあるものです。読者はこれを見いだしてほしい。時間となりました。
〈以上要旨〉



会員の朗読

生駒正朗氏

滝川ユリア氏

佐峰存氏

松井ひろか氏

閉会の言葉 春木節子理事


◆現代詩ゼミナール出席者

(二〇二四年一月二七日・敬称略)
相原京子、青木由弥子、秋亜綺羅、秋山洋一、池田康、生駒正朗、石川厚志、伊藤芳博、伊武トーマ、岩佐聡、植木信子、岡島弘子、岡本勝人、尾世川正明、小山田弘子、金井雄二、鹿又夏美、上手宰、川中子義勝、草間小鳥子、郷原宏、小林登茂子、佐川亜紀、佐峰存、沢村俊輔、杉本真維子、鈴木正樹、関中子、関口隆雄、高木佑子、高島りみこ、高橋次夫、滝川ユリア、竹内美智代、田村雅之、塚本敏雄、常木みやこ、椿美砂子、中井ひさ子、中田紀子、布川鴇、根本明、根本正午、野村喜和夫、服部剛、浜田優、春木節子、春木文子、広瀬大志、福田恒昭、藤井優子、外村京子、堀内みちこ、松井ひろか、松尾真由美、光冨幾耶、宮田直哉、宮地智子、山田隆昭、結城文、吉田隶平、柳春玉、渡辺めぐみ、渡ひろこ(六四名)
        (記録・沢村俊輔)

会場風景

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