研究活動・親睦

各地の声・各地のイベント

各地のイベントから(会報173号から)

各地のイベントから
秋田の詩祭 2023
             成田豊人

朗読する秋亜綺羅氏


 10月28日(土)、秋田県現代詩人協会主催の「秋田の詩祭2023」は、秋田市「協働大町ビル」を会場に開催された。コロナ禍の下、規模や内容を縮小して何とか開催して来たが、4年ぶりで本来の形での開催となった。
 メーンの講演の講師には、仙台市で月刊「ココア共和国」を主宰し、特に若い詩人を受け入れ励まし、精力的に活動している秋亜綺羅さんをお迎えした。主催者挨拶で前田勉会長は、講師を誰にするか希望を募ったところ、秋さんの名を挙げた人が圧倒的に多かったと報告。
 詩祭は文芸部に所属する高校生2名と会員3名による自作詩の朗読、会員有志「KOEの会」6名による宮沢賢治の童話「オツベルと象」の群読から始まった。
 いよいよ秋さんの講演「詩ってなんだろう」が始まった。最初の約15分間はロックをBGMに自作詩3篇の朗読。時に絶叫し時に囁くダイナミックな朗読は、多くの高齢の聴衆のみならず、県内から駆け付けた高校生達の度肝を抜いたのではと思われる。
 朗読の後、秋さんは受験誌「高3コース」で出会った、当時詩の頁の選者だった寺山修司との関わりを交えながら、詩について熱く語った。特に印象的な言葉のいくつかを挙げてみたい。
 *朗読で何故叫ぶのか。18歳の時の自分に叫んでいるつもりで叫ぶのだ。
 *自由という言葉を間違って使わないで欲しい。解放と自由とを間違えないで欲しい。ルールがあるからこそ自由がある。
 *30行の詩に逆説1~2、反語1を交える。そうすれば絶対に詩人として認められる。
 *将来AIと対話しながら、自分なりの詩を書いて行く事になるのでは。
 秋さんは、全体的には若い人々を対象にして話したのではと感じられた。講演後の質問コーナーでは高校生、青年、高齢者の五人から熱い質問が寄せられた。
 会員の他に高校生、「ココア共和国」のファン、一般の方々も含め約60名が参加した。心の温まる詩祭となった。


岩手詩祭 2023
 岩手詩人クラブ会長 照井良平

講演する 斎藤彰悟氏


 本年度の岩手詩祭もコロナ禍を意識しつつ2023年10月28日に「新たな自己を求めて詩と共に」をテーマに無事開催することができた。
 詩祭の第1部では岩手県詩人クラブ元会長で日本現代詩人会の会員でもある斎藤彰吾氏の「『ねじ花』を巡って」と題して講演がなされた。
 その内容は、「草莾の語り」(民俗学同人誌)創刊号の巻頭詩として掲載された詩を取り上げ、フムフムとする長老ならではの生きることに対する示唆、想いを「ねじ花」の詩に語らせているところのものであった。その語りの一例としての連を上げれば、2連の〈直線上の葉が 絶えず風を切っている//茎の半ばから自らを呪縛する硬い蔓をぐるぐる巻き〉と詠い、あれありこれありの生きざまの日々を語らせている。そして4連の〈お前は 何で//自らの生態系に螺旋を巻きつけて立つのだろうか〉と、避けることのできない世界の、受けて立つよりほかにない投げかけてくる疑問の符。さらに〈うらみつらみの沙汰で捩れたのではない//天へ梯子をつくる意思の表象装置なのだから〉と、なるほどなるどねと巧みに普遍を詠い上げている。最後の締めは冒頭の一連〈爬虫類が地表の暦を通った 亀裂する時刻の//夏の日に ねじ花が淡い淡い紅を咲かせ〉に示されている。詩はこうあるべきだと、深い味わいを持った内容の講演であった。
 第2部ではアンソロジー詩集「いわての詩2023」版の自作品の朗読会を催し、朗読希望者全員が個性の溢れる聲を上げることができた。その後の時間の許す限りの合評会は、互いに次の詩作に繋がる刺激のある有意義な詩祭であった。


板橋詩人連盟『詩のつどい』盛会裡に終わる
 中原道夫

講演する 山田隆昭氏


 全国各地で、さまざまな詩に関する
催しが開かれているが、行政が地域住民と一体となって詩の底辺を広げる行事を開催している自治体は、そう多くはないだろう。板橋区では、つい先日、文化団体連合会の創立五〇周年を祝った。板橋区詩人の会(後板橋詩人連盟と改称)が文団連に加盟したのは、一九八五年のことである。以来毎年板橋区民詩集『樹林』(今年で三七集)を発行し、現代詩の普及に努めている。「板橋詩人連盟」はかつて長谷川龍生塾の詩人広井三郎が会長をしていた「板橋詩人会」や、中原道夫が講師をしていた「もなかの会」、それに区内在住の詩人鈴切幸子らによって、一つになって生まれたものである。
 板橋区民文化祭の一環として10月29日に開催される『詩のつどい』は、コロナ禍で、外部講師を招いての開催は三年ぶりとなった。
 元現代詩人会理事長で日本文芸家協会常任理事の山田隆昭氏の講演は、高踏な詩論ではなく、区民詩集の応募作品に因んだ話で、多くの参加者の心に残る内容であった。新理事長の塚本敏雄氏がつくば市から駆けつけ、ご挨拶されたのも心に沁みるものであった。現在活躍中の詩人の方々の「詩の朗読」は多くの参加者に大きな感動を与え、またアトラクションとして宗美津子氏らによる二胡演奏も、『詩のつどい』にふさわしくフィナレーを飾ってくれた。
 終了後の懇親会は近隣の中華料理店で行われたが、区民詩集『樹林』への応募者から、一席の区長賞に選ばれたさとうのりお氏を讃える詩人達で、会場は大いに盛り上がった。
 なお、区民詩集から選ぶ三賞の審査員には、予備選に連盟役員が当たり、最終審査は、中村不二夫氏、中井ひさ子氏、下川敬明氏にお願いした。
 応募者数は年々少なくなってはいる
が作品のレベルは、けして低くはない
ものであった。


第44回ちば秋の詩祭―千葉県詩人クラブ
 千葉県共催 報告 村上久江

講演する 佐川亜紀氏


 2023年11月5日(日)午後一時より千葉・県民芸術祭―文化でつなぐ千葉のちから「第44回ちば秋の詩祭」(後援 千葉市・日本現代詩人会・(社)日本詩人クラブ)が開催された。
 第一部は千葉県詩人クラブ秋元炯会長の挨拶で始まった。47名という多くの参加者を得てちば秋の詩祭を開催できることの謝意。また詩の朗読、パフォーマンス、文芸講演、詩画、詩書、県内発行文芸誌等の展示がありますのでお楽しみくださいと挨拶。
 次いで主催者でもある千葉県から、千葉県県民生活・文化課長赤池正好氏より詩祭開催の祝辞と、詩を書くことは素晴しいこと、これからも詩文化の発展のために活動をつづけてくださいとのご挨拶をいただいた。例年は課長代理の方のご挨拶であったが今年は課長自らがお出でくださったことに感謝し詩祭が引き締まったように感じた。中谷順子顧問からは詩祭開催の祝辞と日本現代詩人会前理事長の佐川亜紀氏による講演への期待等が述べられた。
 次いで詩の朗読では五人の会員による詩が披露された。関東大震災に関連する詩が二篇、他の三篇は各々の日常生活に根ざした詩であった。
 第二部のパフォーマンスは、会員の
末原正彦氏脚本「詩劇 立原道造・風
の如く」 各出演者情感をこめて熱演しちば秋の詩祭を盛り上げてくれた。
 第三部の講演は佐川亜紀氏による「茨木のり子と高良留美子のリズムと比喩」 先にした詩の朗読の詩に関連するお話から始まり、七枚のレジュメに添った解説、詩の背景に在るもの等を熱く力強く講演された。感動し心に深くとどめたいことは沢山あったが、「現代詩は、固定し共通したリズムがなく、個人が自分のリズムを創造することが大事な点である。」という言葉が中でも特に印象的であった。
 花束贈呈があり、村上久江理事長の閉会の言葉で会を閉じた。


「いばらき詩祭2023in大洗レポート」
 生駒正朗

講演する 中村不二夫氏


 いばらき詩祭2023in大洗が、十一月十一日(土)、トヨペットスマイルホール大洗にて行われました。詩祭は、年毎に茨城県各地を巡回するようにして開催されています。県内各地の会員と交流し、茨城県詩人協会の活動を県内隈なく周知しようと考えるからです。
 詩祭の内容は、午前の文学散歩、午後は加倉井東氏と、詩人中村不二夫氏の講演、さらには会員等による自作詩の朗読でした。
 文学散歩は、山村暮鳥を顕彰する「暮鳥会」の皆さんが選んでくださった暮鳥の詩碑や旧宅を中心に巡りました。
 午後の講演1。加倉井東氏は「磯節と暮鳥」と題する講演で、山村暮鳥の詩の創作に磯節の影響が見られるということを論じました。暮鳥の詩は童謡のように受け取られがちだが、むしろ磯節に備わる民謡的要素を色濃く受け継いでいるという主張です。
 講演2は、『山村暮鳥論』の中村不二夫氏による「暮鳥と現代詩」という講演です。暮鳥が、前衛的手法による意欲作『聖三稜玻璃』を出版しながら、一年後にはその方法論に見切りを付けて、いわゆる民衆詩派の詩風に転じ、さらにその後、童謡詩的作風に変じたことを取り上げました。
 この転向の裏には、『聖三稜玻璃』の不評、同時代の民衆詩派詩人やその作品である口語詩の影響、さらには白樺派の人道主義の影響があったことを指摘し、転向があったからこそ、現在の暮鳥の評価が定まったと論じました。
 また、暮鳥が現代詩に残した功績として、一つの詩集の中で様々な表記、表現に挑戦し、修辞的効果を試したこと、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」を遡ること九年も前に、シュルレアリスムを想起させる、オリジナルな前衛的手法によって詩を書いたことを挙げ、とりわけ後者に対しての評価が不十分ではないかと主張しました。
 詩の朗読は加倉井東氏、内藤紀久枝氏による暮鳥詩の朗読。磯崎寛也氏、川口千恵子氏、羽島貝氏、臼井三夫氏は自作詩を朗読しました。


九州詩人祭に過去最多の72人が参加
 佐賀県連絡会代表 桑田 窓

講演する 白根恵子氏


 2023年11月18日(土)、佐賀県佐賀市の千代田館において、第53回九州詩人祭佐賀大会を開催した。大会には九州内外から72人が参加、正式な記録が残る「佐賀県で開催した大会」と比較し過去最多の規模となった。
 九州詩人祭は、第1回大会を1971(昭和46)年8月7日に熊本県で開催して以来、コロナ禍による中断を経て、昨年の福岡大会から通常の参加型の大会を再開し現在に至っている。
 この詩人祭はこれまで、九州7県の詩人はもちろん、沖縄県や九州外の参加者もあり、名称に「祭」と冠するように、詩を創作する人たちの交流と親睦の場として恒例の年間行事となっている。
 今大会の第1部の講演では、白根惠子佐賀女子短期大学名誉教授から「絵は言葉 絵本から感じる詩の世界」と題して、絵本の紹介や朗読を通じて「絵は言葉であり、言葉は絵である」こと、詩から生まれた絵本も多くあることなどを詳しくお話しいただいた。
 第2部では、九州各県のこの一年間の詩活動の報告を、それぞれの県代表から報告いただいた後、日本現代詩人会会員で、多くの詩集・評論集の著者である古賀博文氏から「詩の現状について」と題し、中央と地域の詩界の現状と歴史観、個人の活動における課題や各世代の詩活動の発表の場などの変遷について御講義いただき、盛況のうちに大会を終了した。
 交流会では、こちらも過去最多の52人の参加をいただき、交流の輪が広がり深まる場となった。また、交流会では各県参加者の御紹介を行い、最後に登壇した次年度開催県の熊本県から、来年の再会を期する御挨拶をいただき、年に一度のイベントは、参集いただいた方々のおかげをもって成功裡に閉じた。
 歴史ある大会にあって、今回の特筆すべきこととして、実に参加者半数以上の42人が初参加であったことがある。コロナ渦の中断を経て、新しい詩人祭の姿がそこにあった。


関西詩人協会総会 徳弘康代氏講演 
「叙情を形容詞に頼らないこと」    島 秀生

講演する 徳弘康代氏


 二〇二三年十一月二十三日、第30回関西詩人協会総会が、出席49名、委任状84名(事前申込数名はZOOM視聴)で開催され、議事のあと、講演、新入会員の紹介、会員が本年度出版した詩書紹介などが行われた。今回の講演は、名古屋大学特任教授・徳弘康代さんによる「叙情を形容詞に頼らないこと」。内容要約は以下のとおり。
 徳弘さんの父の15歳の時の引揚げ孤児となった壮絶な体験談と、日本軍の従軍医師だった方の人体実験の話を聞いたことの衝撃がきっかけとなり、国語教師から日本語教師へ転職。中国政府から招聘され、瀋陽の中国医科大学(旧満州医科大学)に赴任。在職中に中国で戦争の跡が残る地を訪ね、元兵士や残留婦人に会いに行き、そのことを詩にして現代詩ラ・メールや詩誌に投稿。また瀋陽在職時、天安門事件を経験。一時帰国した時、日本の人たちから質問されることが皆同じで、さらに、同じ答えを期待されていることに驚いた。報道されることは事実だろうが、それがすべてではない。どこをどのように切り取るかというところに発信者の意図が必ず存在する。言論弾圧されているわけでもないのに皆同じことしか言わないことが異様に思えた。事件後、自分で直接見聞きしたことのみを発信し、それだけを詩にするようにしている。瀋陽の後、→上海→オーストラリアと移動し、帰国後、日本語教師をしながら、神奈川県中国帰国者自立支援通訳をし、その頃のこともいくつか詩にした。また、「翻訳に耐え得る詩を書くこと」と題して、核となる部分に翻訳に耐え得るものがあるかどうかが問われるということを語られた。
 最後に言葉の教育で気づかされた日本語の特徴として、形容詞について話された。「大きい」という語は「小さい」がないと教えられない。形容詞は基準や比較対象がないと教えらない。その基準は誰が決めているのか、どんな情報を基に形成されたのか、考えてみる必要がある。そのため、悲惨な事実を記すとき、自分の基準で感情形容詞を使うことを躊躇する。極力事実のみを提示する。それが私の詩であると。

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