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会員のアンソロジー

会員のアンソロジー11・佐久間隆史氏〜

 佐久間 隆史 サクマ タカシ
①1942(昭和17)1・2②東京③早稲田大文学部国文科卒⑤新・日本現代詩文庫34『新編佐久間隆史詩集』『西脇順三郎論』土曜美術社出版販売、『詩学序説』花神社。

 細道

「ここはどこの細道じゃ」
と言うから
「この世の外への細道じゃ」
と答えておいた


「どうか
通してくだしゃんせ」
と言うから
聞えないふりをして
仕方なく黙っていた


道の彼方に
天神様など
ありはしないのに
どうしたことか
いっペんの童謡にたぶらかされて
今日もまた
眼に見えないその細道を
向こう側へと
消えてゆくひとがいるのだ

 桜井 さざえ サクライ サザエ
①1931(昭和6)7・9②広島③東京音羽洋裁学園卒④「山脈」「海嶺」⑤『海の祀り』書肆とい、『倉橋島』『ひとの樹』『擬宝珠の咲く家』土曜美術社出版販売、『光りあるうちに』山脈文庫。

 島狂い

わたしは眠れない
安芸灘の島々を巡る
倉橋島 横島 黒島 笹子島
まだまだ眼れない
桂島 続き島 情け島 浮島


夜が優しければ
眼りは 死でもいい
島狂いのままでいい
島の名を千回数え
見開いた眼に潮を溢れさせて


足に絡まる藻 魚の群れをかきわけ
わたしは海底に落ちていく
島の根っこに辿りつくまで
限りなく 落ちていく


未来の眼りのために
いまは目覚めていよう
白々夜が明け 生きているものたちの
音と潮鳴りが 耳の奥底で弾けて

 左子 真由美 サコ マユミ
①1948(昭和23)11・13②岡山③大阪市立大学文学部国文学科卒④「PO」「イリヤ」⑤『空と地上の間で』『愛の手帖』竹林館。

 ひとよ

あなたは水
過ぎた日を映す鏡

あなたは風
わたしの胸に触れてゆく手

あなたは灯
いつもどこかで灯る合図

あなたは土
たくさんの種を潜めた謎

あなたはことば
壁に切り刻まれた歴史

あなたは光
あたらしい扉を開けるための力

あなたよ
ひとよ

 佐古 祐二 サコ ユウジ
①1953(昭和28)8・8②和歌山③京都大学法学部卒④「PO」「イリヤ」「詩人会議」「軸」⑤『いのちの万華鏡』『世界を風がふかなければ』『vieの(ほむら)』『ラス・パルマス』、評論『詩人杉山平一論・星と映画と人間愛と』。

 桜幻夢

こぼれんばかりの胸のふくらみを
もてあましてそぞろ歩く
花降る午後の気だるいまばゆさが
わたしを緊縛し
ふぶく桜の木の下に吊るされる
(こうべ)をゆすりふりほどいた髪
おびただしい花びらとともに
白い肌にふりかかり
恥ずかしい一点を
射すくめる世界のまなざしが
わたしを上気させ解き放つ
解き放たれたわたしの深部を流れる川の
意外にも清らなせせらぎの音
その無垢の音に
ほかならぬわたし自身が
(おどろ)きとまどい
めくるめく(かがや)いている
未生の記憶と滅びへの誘惑の
風の愛撫を受けて

 佐合 五十鈴 サゴウ イスズ
①1934(昭和9)5・30②岐阜④「山繭」⑤『懸崖』『仮の場所から』『繭』不動工房、『鳩』山繭舎、『みちゆき』『ゆれる舟』書肆青樹社、画文集『野の花』風濤社。

 ミミズが……

車庫のコンクリートの床に
転がっているのは


数日前にはミミズと分るほど
形はあったのに

いまは黒く曲った一本の古釘
どこから来たのか
近くには這い出す土もない
でこぼこのコンクリートは水分を奪い
乾いていく予感におびえても
進むより手はなかったのか

どこへ行こうとして
力つきたのか
雨が上がって 夕焼けに誘われての
散歩だったか
途上に果てるのは
生きるもの みな同じだね

 佐々木 久春 ササキ ヒサハル
①1934(昭和9)3・6②宮城③東北大学文学部国文学科卒④「地球」⑤『佐々木久春詩集』土曜美術社出版販売、『羽州朔方』思潮社。

 夕日山

山の
夕日影を背負って
ジブリは
いってしまった


夕日隠れの駒ケ岳
のかなた
みずうみは
あおく
くろく

わずかに
茜は
悔いに似た
こころ影

影おし流す
金波と銀波と
どこにいった
ジブリよ

 ささき ひろし ササキ ヒロシ
①1949(昭和24)11・16②北海道③中央大学商学部会計学科卒④「地球」「坂道」⑤『カムイエト岬』柳桃社。

 けあらし

けあらし
それは 冬を見送るあらし
最初に見たのは いつだったろう


海面に 白い霧が立ちあがると
北国の冬が
音もなく とけはじめる

けあらし
それは 春を呼ぶあらし
最後に見たのは いつだったろう

前浜に 純白の波の花が咲くと
北国の春が
光と影をつれて やってくる

ふるさとの
海で命を落した者たちの
晴れることのない
ひとときの蜃気楼

 佐々木 洋一 ササキ ヨウイチ
①1952(昭和27)3・31②宮城④「ササヤンカの村」「方」⑤『キムラ』『アイヤヤッチャア』土曜美術社出版販売。

キムラ

キムラはふるさとの呼び名です
耳をあてるとこーんこーんと響くものがあり
せせらぎにこだまが映るところです
はずれの小さな御堂にはキムラの分身が祭られ
そばには玉茎(はせ)もどきも祭られています
揺れと出産はキムラのみなもと
毎日お参りしては祈るのです
キムラは時々木もれびにあたり
一帯を揺らします
キムラはホッとした時唇から零れる
はるかな吐息です
はるかむかしからあったのですが
しばし忘れ去られていたのです
キムラ
キムラ
キムラ
茸採りに出かけた爺さんが茸下で覚え
孫につたえたのです
キムラはふるさとの隠れた息づきです

 笹倉 貞夫 ササクラ サダオ
①1941(昭和16)8・30②兵庫③早稲田大学大学院博士課程修了(英文学)⑤『夢の砂漠』国文社、評論集『詩的自己同性』、詩画集『風が吹くたびに』沖積舎。

湖畔のカモメ

足早に行き過ぎるスニーカーの中年女たち 
ジョギングが日課の初老の男 犬を連れた老
人 だれもが一様に同じ方向へ流れていく早
朝の湖畔の薄暗がり うっすらと雪化粧をし
た舟繋りを右手に見ながら通り過ぎようとす
ると 夥しい数のカモメが見据えている気配
男はぎょっとしてその場に棒立ち 折しも 
湾岸の流出した原油がべっとりついた海鳥の
幻 幻影は幻影を生んで増殖し かつては白
い鳥だったが 長年の人間の憎しみが染み着
いて黒い鳥にされてしまったカラス もとは
女神として崇められ 死に際してはミイラと
して埋葬されたが その後人間の身勝手な思
い込みで魔女の化身にされてしまった黒い猫
捕獲されてパリの路上で焼却された同族の仲
間等々…… 男はこれら鳥獣の亡霊に取り囲
まれて慓然として立ち竦み 木偶となって宙
を漂い 雪のなかで身を寄せ合って羽を休め
ていた鳥たちはなにもなかったかのように静
かに飛び立ち 澄んだ空を滑空し ゼロの今
を翔けぬける

 佐相 憲一 サソウ ケンイチ
①1968(昭和43)5・4②神奈川③早稲田大学政経学部卒④「進化論」⑤『愛、ゴマフアザラ詩』『永遠の渡来人』『心臓の星』土曜美術社出版販売。

 風鈴

どこかのまちの八月
裏通りの日記
無国籍の看板
アルコール


チリン チリン
氷と氷
溶けて けむって

化粧の向こうにアパート
テレビでは戦争や生活苦
バス停の指名手配は自分ではないかと
人々は汗をぬぐう

チリン チリン
ネオンの迷路
どこかに上着が置き忘れられる

ぼくのこどもの頃の記憶から
今年の夏の世の中がにじみ出てくる

 貞久 秀紀 サダヒサ ヒデミチ
①1957(昭和32)11・7②東京③大阪外国語大学英語学科卒⑤『ここからここへ』編集工房ノア、『リアル日和』『空気集め』『昼のふくらみ』『石はどこから人であるか』思潮社。

 木橋

きのう来たとき道にあり
目じるしにとひろい上げ
木橋まではもちあるいた石が
ゆくさきにみえる
たとえみえてはおらず
忘れられてあるとしても
いまも木橋である板は
歩みわたれるもののように
簡素に溝にわたされている
ここへ来たのはきのうではなく
十年も幾十年もむかしのように思えるが
それもまたきのうのことのよう
目にうつるものはみな
目じるしとしてありながら
この石をあるところから
べつのところへ
遠巻きに移しかえるのはなぜだろう

 佐藤 恵美子 サトウ エミコ
①1930(昭和5)7・8②東京③聖心女子大学卒④「三田詩人」「南方」「巡」⑤『南方』昭森社、『夏のラクダ色の猫』成巧印刷。

 破壊神はソロマメ色だ

昼だ
ソラマメ色の破壊神がまどろんでいる
青銅色にもかげりながら
ガス橋の対岸の中原街道の向うの街の
古い料理屋で哲学的親子丼を食べた
鳥を食べ卵を食べ
産れて育って去って行く哺乳類を思った


多摩川の蜥蜴はバックスキンだ
カラスはガラスだ
コクリコはカタクリコだ
背中を走る液体はほどなく結晶する
破壊神は目覚める頃であろうか

 佐藤 惠子 サトウ ケイコ
①1935(昭和10)8・3②群馬③東洋鍼灸専門学校卒④「裳」⑤『川の非行』『目薬しみて』青磁社、『母さんと二十世紀を買いに行った』裳の会。

 西安の石榴

濃緑の葉陰で揺れている
紅い微笑みに変わりはないのに
西安の石榴の種子はルビー
ではなく
水晶 いや象牙
いや (しろ)い歯のようだった
明眸(めいぼう)の佳人の


酸味などという
人間界の切なさもなく
ただ うっとりと甘かった
唐の都の天女たちが奏でる
楽の音のように

 佐藤 文夫 サトウ フミオ
①1935(昭和10)11・27②東京④「詩人会議」「炎樹」⑤『昨日と今日のブルース』思潮社、『ブルースマーチ』秋津書店、『つくば紀行』青磁社、『民謡の心とことば』柏書房、『詩と民謡と和太鼓と』筑波書房。

 右手と左手

あるとき しみじみと
右手が左手に語りかけた
きみにはずいぶん世話になった
左手がこたえた ぼくだって
ずいぶんずいぶん 世話になったよ
右手は左手のこぶしをなでて言った
きみもずいぶん苦労したんだね
皮膚(はだ)がこんなになってしまって
左手がこたえた
いやいやきみこそよく頑張ってくれた
右手がいった これからもよろしくね
左手がこたえた
ぼくたち死ぬときは いっしょだね

 さとう ますみ サトウ マスミ
①1942(昭和17)1・20②愛媛③武蔵野音楽大学器楽学科ピアノ科卒④「環」「青い花」「阿由多の会」⑤『チョークの彼』不動工房、『海月』書肆青樹社。

 鳥

高く高く飛翔してゆく鳥よ
わたしは 日常の重さを身に負いながら
薄闇の地上から見上げている

そこから
遠く遠く 風が生まれるところが見えるか
さらさら流れる光の波に乗り
青空が「永劫」に流れこむあたりをめざして
風切り羽に風を張るとき
風はおまえの呼吸となって
ひゅるひゅると鳴るだろう
やがて
速さが音を切り裂くように
おまえは そのちいさなからだを
越えるだろう

力尽きて墜ちるとき
そのちいさなからだに
しみこんでくる虚空を
空にみなぎるものとなって
おまえは 見つめているだろう

 佐藤 真里子 サトウ マリコ
①1951(昭和26)4・13②青森③静岡大学法経短期大学部卒④「鰐組」⑤『風のオルフェウス』ワニ・プロダクション。

 さくらんぼ狩り

今年も豊作のさくらんぼ農園
黄や赤の粒つぶがいっぱいで
華やぐ樹から樹へ
気ままに移りながら
実だけプチッと摘んで
そのままプシュプシュと嚙み砕き
プッーと種だけ吹き飛ばす


未だだれも触れていない実の
一文字ひともじの甘酸っぱさが
体のすみずみに広がるのを
次々につなげながら
言葉のレース模様を
編んでゆく


さくらんぼの匂いがする
このできたての詩の一編を
翼のように
風にのせて
空へと放つ

 佐野 千穂子 サノ チホコ
①1927(昭和2)10・29②山梨③成徳学園高女卒④「光芒」「独楽」⑤『ダイビング』『永園』詩学社、『ゆきのよの虹』『消えて候』花神社。

 消えた柿

老妻を亡くした父をつれて
訪れた山奥の湯
長細い湯の里をはさんだ山々は
巡り終えた季節に瞼を閉じていた


年の瀬も近いせいか客はいなかった
ひっそりと 喪のように寂しい浴場
つかりながらふと見上げると
煙突のように くうに直ぐ立つ湯気のぬけ路
高だかいそこに一つ
燈明いろした柿の実が見えた


年を越して再び訪れた
みれば枝先に(へた)だけを残して
円筒の中に その燈明は消えていた

暮の日の湯よりも深くしずかに
身を沈めているこの位置に
墜死したろうかあの柿は
母がわたしの中へ垂直に
死を(おと)したように

 沢 聖子 サワ セイコ
①1948(昭和23)11・11②東京④「地平線」⑤『雪燭』土曜美術社出版販売。

 地霊

かつて都心では東京タワーの近くでさへ
郷愁をそそる場所があった


その場所はたいてい谷になっていて
夕暮れなど 坂の上から見ると
山間の温泉地の佇まいにどこか似ていた

木蓋のとれたゴミ箱 朽ちた回覧板
懐かしさにつられて
映画のセットのような路地に入ってみる
私の好きだった生きもの
たとえばタロウやピピ
屋根の上にはミイの気配さへした

それらは都市開発の名のもと
摩天楼になり
その一角を語り継ぐ人達もいなくなった
あの時 たわわに実っていた
(あか)いピラカンサは
それでも毎年 私の視野のなかに現れ
秋を告げにやってくる

 澤口 信治 サワグチ シンジ
①1946(昭和21)2・1②山形③国学院大学文学部卒④HOTEL⑤『暗い卵』幻視者、『幼年』花神社、『鏡の中の果実』一風堂。

 石片

男は、くる日もくる日も、二つの石を握って
は手のなかでただ黙々と打ちつけ合わしてい
た。


それは、混濁とした頭のなかに浮かび来そう
な、なにものかの姿と、のど元まで込みあげ、
さらに舌をもつれふるえさせる熱の正体を獲
えるためでもあった。

その石は、闇を閉じ込めたような艶を持つも
のであった。
打ちつけるごとに、長円形の石は、ほとんど
同じ部分が同じ形に剝離した。

石のなかに稲妻が仄めき、星が流れ、波の音
を聴くこともあった。
剝離面を輝かす半円形の石片は、黒い石たち
から生まれた夥しい月のようでもあった。

同色、同形の石の同じ部分から、同じかたち
の小石が生まれていたことに気づいたとき、
男は「あッ」と鋭く明瞭に叫んでいた。

 椎野 満代 シイノ ミツヨ
①1948(昭和23)9・26②愛知④ぱぴるす⑤『南の方角』鳥影社、『九月の民話』私家版、『秋刀魚』思潮社。

 白さは量れない

ちいさなお椀でヨーグルトのつめたさをたべ
ている 君がすきだ


舌の上でゆきのようにひろがってくる偽りの
白さは きみの胸のふかさでは量れない


奥歯の痛みは この世の悲しみのシグナルだ


チェルノブイリの石棺の周辺から人が消えて
菜種が放射能を浄化すると もどってきてい
るあの黒ずんだ記憶の視野に あかるい菜の
花畑が広がって願いはそろえられた


気づけば きみのうすい胸のあたりにもシー
ンと射しこむ光かすかにコップのように屈折
して真相はゆがめられていく 歴史の遺跡は
あまりにも悠然として偽りは高められて は
ためいている


光の三原色のように混濁をきわだたせて白さ
をあおる感光したロシアは遥か

 塩原 経央 シオバラ ツネナカ
①1945(昭和20)1・9②埼玉③横浜国立大学教育学部卒⑤『うさぎ』『月』風書房、『「国語」の時代』ぎょうせい、『国語の底力』『幼児の底力』産経新聞出版。

 浅き夢

秋霖 雲居据わつて時を消すに閑、


書に倦みて肘を枕に夢は野に遊ぶ。


月明 美人を映し出せりと目を擦れば、


葵花 立ち枯れて佇むを知る。


六十の歳月 長きや短きや、


鬢上に霜を置いて唯に安佚を貪るのみ。


肌の冷ゆるに嚏して目を覚まし、


棒の如くなりたる腕を撫摩する事頻りなり。

 四釜 正子 シカマ マサコ
①1940(昭和15)1・14②北海道③看護学校卒④「地球」「青芽」⑤『私の樹』『ある旅だち』青い芽文芸社。

 宙を視るひと

宙の一点をじっと見つめている


しばし瞬きも忘れて


何を考えているのか


それとも無意識なのか


いつか聞いてみたいと思いながら
未だ聞きそびれている


触れてはいけない そんな気がして


わたしには到底もてない刻だから


神様が住む場所
ひかりのみち潮
無音のしぶきをあげる


語りきれないまま
時を越えてしまうのか

 直原 弘道 ジキハラ ヒロミチ
①1930(昭和5)3・31②愛知④「現代詩神戸」「新現代詩」⑤『行爲者の思想』構造改良社、『昭和という時代』エディション・カイエ、『驢馬のいななき』浮游社、『断層地帯』編集工房ノア。

 消えた村

その時刻 いつものように 家畜を放牧に連
れ出して その足で村の学校に行って 教室
のなかに座っていた


その時刻 男は斜面に拓いた 貧しい麦畑や
菜園場の手入れに余念がなく 女は家のなか
で 豆殻を送り分けながら 明日の糧を思い
巡らせていた


その時刻 突如激しく揺れた 山が崩れ落ち
た 斜面にあつた 学校も 畑も 点在して
いた農家も みな瞬時に 土砂で埋めつくさ
れた 谷は堆積した岩塊でさえぎられ みる
みる水かさを増して 下流に通う 川沿いの
路をのみこんだ


山奥から 飼い主も 棲家も失った 犛牛(やく)
頭が生き残り 岩肌を伝って よろめきなが
ら 降りてきた

 重永 雅子 シゲナガ マサコ
①1941(昭和16)7・12②東京③成城大学文芸学部卒④「パレット倶楽部」⑤『木と風とわたし』花神社、『アカンサスを探して』詩学社。

一枚の紙に

わたしの一日を
一行の文章と見做して
その日の大事だったことを
一つだけ書く
一か月には 三十行の文章が並ぶ
一枚の紙に
わたしの一か月の景色が見渡せる


文字はわかりやすく 大きいのがいい
いつも書いている字は 力が弱いから
一行と一行の間は
十分にあけておきたい
文字の中を風が通るように
言い足りなかったことが
継ぎ足せるように


紙の余白は ゆったりと開けておこう
心にも 暮らしにも
他の人が ちょっと立ち寄れるように

 茂山 忠茂 シゲヤマ タダシゲ
①1927(昭和2)12・28②鹿児島③教員養成所④「詩人会議」「詩創」「炎樹」⑤『さたぐんま』視点社、『脆い殻』プランニング雄樹社、『蒼い牢獄』『不安定な車輪』南方新社。

 背広

背は広いが
胸元は開いている。
「胸襟を開く」というが
開いて何を語ろうというのか
開いているふりをして
内ポケットは深く暗い。
両手をつっこめる
外ポケットもある。
何が入っているかは
分からない。
前には
ボタン二個しかないので
すぐはずすことができる。
ボタンをはずし
胸元を開いて
紳士は
タテマエを語る。
手は
ズボンのポケットに
つっこんで
拳を握っている。

 舌間 信夫 シタマ ノブオ
①1927(昭和2)9・27②福岡③明治工業専門学校電気科卒④「匈奴の森」⑤『哀しみに満ちた村』花神社、『湖の物語』書肆青樹社。

 人にはどれほどの土地がいるか

ひたすら歩いた
走っていることもあった
その時は無限の土地が欲しいと思っていた


土地には限りがあることが分かってから
時々立ち止まるようになった
いつかは引き返さなければならないことに気
 がついた


立つだけなら僅かな土地で良い
座り込むとしてもそれほどの土地は要らない


横たわるためには
どれほどの土地がいるのだろうか
いまはそれを考えている

 紫野 京子 シノ キョウコ
①1947(昭和22)10・24②大阪③甲南女子大学文学部英文学科卒④「(ユイ)」「季」⑤『夜想曲』『ナルドの香油』花神社、『火の滴』『夢の周辺』月草舎。

 船出

霧が晴れるのを
待たないことにした
重いかたまりを 風船のように
空に放り投げる


絶望 という二文字
世界がまっしぐらに 突き進んでいく破壊

知らない間にどこかにあたって
青黒く色が変わった脛が
何だか世界地図のように見えてくる

不安と 懐疑の塊のように
羅針盤の針が小刻みに震える
二千五百年前に漂着した無人島に向かって
再び 舵を取る

 梓野 陽子 シノ ヨウコ
①1948(昭和23)11・17②福井③ノートルダム女子大学英文科中退④「アリゼ」⑤『スリット』『海の位置』紫陽社。

 八月

サルスベリの花が
白い夏の羽を伸ばして
行く人のうしろ姿を撫でている
僅かな土のくぼみに
網のような影が落ち
――仙人のように生きる
そう言った人の
涼しい声を追いかける
――ひとりぶんの一日があれば


知っていたこと 知らなかったこと
私が伝えられることは何もないが

夏草を分けて
道はいつもの傾斜を保ち
もう見えない人の
背中が閉じていったあたり
今日は
白いサルスベリの
八月の空だ

 篠崎 一心 シノザキ イッシン
①1940(昭和15)3・31②東京⑤『螢』文芸社、『第一詩集』バンダイ印刷、『砂浜』大宮詩人叢書。

 空

摩天楼は 崩壊した


象徴がなくなったあとの 空白を
いっとき 灰色の煙が覆い
蒼い空が 埋めた

空は 過去の歴史のことも
未来の夢のことも
一言も語らずに
球体をうす絹の衣でまとい
抱きつづける

砂漠には慈雨を降らせ
湿地へは陽を道づれに風を送る
生きとし生けるものすべてに
必要なことだけを与え 興し

遥かな刻をめぐっては
地球で起こる欠けた破片を
黙って
埋めつづけている

 篠崎 勝己 シノザキ カツミ
①1951(昭和26)11・21②栃木③足利工業高校卒④「龍」「ガニメデ」⑤『悲歌』『寄生』銅林社。

 愛について

愛について知ることのないことを
あなたは語ろうとするのだろうか

それは声としてではなくただ痛みのようなも
のとして
それは言葉としてではなく ただしるしのよ
うなものとして

知ることのないことを生きようとするのだろ
うか
名づけようのないものに触れようとするのだ
ろうか

枯れてゆく花のようなものとして
燃え残る夢のようなものとして

(そして私のいない明日のようなものとし
て)

 篠崎 道子 シノザキ ミチコ
①1940(昭和15)6・3②長野③お茶の水女子大学史学科卒④「花」「林道」「竜骨」⑤『水の記憶』大宮詩人叢書刊行会、『水源』土曜美術社出版販売、『六月のバラ』砂子屋書房。

 蝶日誌

また 褄黒豹紋(つまぐろひょうもん)を見かけた
西国の蝶だ
雑木林の縁の
藪枯(やぶがらし)東根笹(あずまねざさ)の上を悠然と飛んでいる
大和小灰蝶(やまとしじみ)は どこへいった?)

埴色に黒の豹紋
前翅の先端は漆黒 そこに白の斑紋ひしめく
サイケ調の大形蝶だ
(大和小灰蝶の 空色はどこに?)

食草は六〇種もの菫類
藪陰に立坪菫はあおあおと葉をひろげ
(大和小灰蝶の食草は?
 わずかな酢漿草(かたばみ)類)

道端の酢漿草は赤日に灼かれ
しらじらと茎を横たえていて

きょうも 褄黒豹紋は
フォッサ-マグナを越えている

 篠田 康彦 シノダ ヤスヒコ
①1935(昭和10)②岐阜③岐阜大学卒④「さちや」⑤『炎と泥』『空しい物語』さちやの会、『遙かな光景』鳥影社、『巷の季節』日本図書刊行会。

 遠い光景

村の空は どんよりした梅雨曇り。
一時帰省して軍に戻る一人の水兵が 少し脇
道にそれて ボクの家の玄関前の土に跪いた。
額を地面に押しつけて何かを叫びだした。
――先生様……ございます……。
しばらく叫んでいたが やがて静かに立ち
去って行った。
少年のボクには何事なのかわからない。
大人たちにも理解できなかったらしい。
ある戦艦に乗り組んでの訓練で 大砲の音に
頭が変になった という噂が流れた。
大砲の音に驚くような兵士には 嘲笑こそす
れ村人たちも心を寄せず その噂もいつしか
消えた。


白髪になった今も あの光景を鮮明に覚えて
いるのは どういうわけだろう。
戦艦も大砲も持たないはずの列島の 茶色に
熟れた麦畑の上を覆っている梅雨空が 今に
も泣きだしそうだ……。

 柴崎 聰 シバサキ サトシ
①1943(昭和18)8・7②宮城③日本大学大学院博士課程修了④「嶺」⑤『詩の喜び 詩の悲しみ』新教出版社、『不思議な時間だった』土曜美術社出版販売。

ドウダンツツジ 落葉

紅葉(こうよう)の盛りを謳歌してから
からりと染まった葉むらを振り払い
素裸の潔さに身をゆだねると
樹下には()えた葉が散り敷いている

それだけで枯れ野の(すさ)
それだけで決済の覚悟が分かる
貸借は年ごとにやってくる
葉数の収支は釣り合っているのか

 

周囲には風も吹かず
雨も降らず
まして槍も降らず


粉飾という汚名をすべて返上して
身ひとつで寒気のただ中に立ち尽くすと
厳冬に向かっておのずと疼く羞恥がある

 柴田 恭子 シバタ キョウコ
①1940(昭和15)7・19②富山③東洋大学大学院文学研究科修了④「歴程」⑤『他人とあたし』『花冠』『おわりのとき』『毋不敬』思潮社。

レクイエム

呼ぶ声がする 心が騒ぐ 騒ぐ
参ります もうすぐ
やさしい大きなものが 私を包む
ずっと待っていたのです
おふたりのもとに行ける日を
白い頂上に行ける日を


幼い私を残して 突然
おふたりで逝ってしまわれた日を
憶えておいでですか
この長い歳月 どんなにか慕い
声を殺して泣いたでしょう
今 濃紺の風に乗って参ります 父上 母上


私を待っているひとが
確実にそこにいて下さるから
待たれている幸せを?みしめながら
残してきたものたちに ここから
最高の微笑を振り撤いているのです

 

柴田 三吉 シバタ サンキチ
①1952(昭和27)7・9②東京③蔵前工業高校卒④「ジャンクション」⑤『さかさの木』『わたしを調律する』『遅刻する時間』ジャンクション・ハーベスト。

 畸形

小さな博物館で見た蝶は 胴のまんなかから
左が雄で 右が雌だった 完璧な まれに見
る畸形とあった


そのように生まれたものは 畸形であるが 
それでも蝶は飛び 光にみちた野から採集さ
れ 暗いガラスケースの中 鋭い針でとめら
れた 雄と雌の一対として


そのように生き 死んでいくわたしたちも畸
形である いつか だれかが網を手に 採集
にやってくるだろう 時の針を持って 永遠
の影にとどめようと


わたしたちはけれど よろこびに満ちて標本
箱の底にとどまるだろう 愛が完璧な まれ
に見る畸形であることを 一本の針によって
証すために

柴田 千晶 シバタ チアキ
①1960(昭和35)8・14②神奈川④「hote l第2章」「街」⑤『空室』ミッドナイト・プレス、『セラフィタ氏』思潮社。

 

春の闇(三)

  殺人犯の家まだ在りぬ豆の花



その家は、私の生家から近い崖の上に建って
いた。私の生家はすでに跡形もないが、〈強
盗殺人・一家離散〉という凄絶な物語を持つ
朽ち果てた木造の家は、数十年を経た今も、
取り壊されることなく、懲罰のように崖の上
に建ち続けている。


春になると
主無きその家を
取り囲むように
白い豌豆の花が咲く
春の闇に
私は夢想する
湿った家の内部に屹立する
巨大な男根が
赤銅色に輝き
白く可憐な花々を
噴き上げているのを

 
 

島 秀生 シマ ヒデオ
①1955(昭和30)1・18②大阪③甲南大学経営学部卒④「MYDEAR」⑤『ネットの中の詩人たち』1〜5集土曜美術社出版販売。

 枕返し

心に大きな傷があるきみ
傷があっても前を向いて
知らないふりで生きているきみ
そんなけなげな姿がとても好きだ
きみは遠くに住んでいて
一緒には暮らせないけれど
妖怪枕返しになって
空間をねじ曲げて
夜だけきみの様子を
見に行きたい
夜ちゃんと眠れているかどうか
ふさいだ傷がぱっくりあいて
涙を流していないかどうか
きみの傷を知るぼくだけが
きみの寝顔を守ってあげたい
眠れていればそれでいい
ぼくはいつもそばにいるよ
きみと一緒に暮らせないけれど
いつもそばにいる証拠に
時々
枕を裏返していくよ

 嶋 博美 シマ ヒロミ
①1950(昭和25)10・12②佐賀③大阪工業大学短期大学卒⑤『芋焼酎を売る母』詩学社、『浮標』『化粧』行路社。

百日紅

表を掃いてくる

それは予期せぬことではなかった
夜中に起こされる数回のトイレも限界の一つ


この頃のお父さまは認知症の入口
境界線あたりを行ったり来たり


思い余って介護施設へ入っていただきました
男ふたりの暮らし向きは何とも殺風景でした
寡黙が更なる寡黙を呼んで日常を紡げなくな
 りました


夢で会う
お母さまの眼差しに背中押されて
施設へは週末に必ず行きます
白内障に侵されたお父さまの食事のお手伝い
 をして帰ります


房状に実をつけて夏の終りを告げる百日紅
遠くでお寺の鐘が鳴る

島崎 雅夫 シマザキ マサオ
①1927(昭和2)8・20②長野③長野青年師範卒④「日本未来派」「しある」⑤『時と影と村と』日本未来派社、『背景の倫理』国文社。

受け止め方の相違について

隣家で
良くわからなかった
玉音放送を かしこまって聴いた
昭和二十年八月十五日
時代に叱咤された俺の戦争は
満十八歳に 五日を残して
赤紙を手中にすることもなく
終わった


ああ
以来 何十年たっても
同じ季節 同じ月を迎えると
躍動と静止を覚えさせる
複雑な姿勢を強いられるのだ


ここでだ
笑いたくなった人たちが おいでなら
遠慮なく
心ゆくまで笑え

    

島田 万里子 シマダ マリコ
①1945(昭和20)4・22②岡山④「流」「潮流詩派」⑤『ほんとうに怖いこと』、『緋の器』ダン・クリエイト。

柘榴

はじけた実は蜜に寄り添いながら
艶やかに濡れて


親指でポロッと剝がす
硬いたねを隠すには薄すぎる血の色
かすかな酸味
舌で絡めてポイッとたねを吐く
このたねはあの言葉
このたねはあの時間
ポイッ
ポイッ
あなたの手のひらにポロッ


あなたに食べて欲しい
たった一つ透けて隠しきれないわたし
たねまで酸味でしょ


――たねまでかりり


口をすぼめてるけど
吐く かしら

 島田 陽子 シマダ ヨウコ
①1929(昭和4)6・7②東京③豊中高女卒④「叢生」「地球」⑤『帯に恨みは』『金子みすゞへの旅』編集工房ノア、『新・日本現代詩文庫13新編島田陽子詩集』土曜美術社出版販売、『方言詩の世界』詩画工房。

さくら貝

あの日から一年
あの日から一年四ヵ月……
すべてはあの日から始まり
ゆっくりとつみかさなってゆく月日
ひとひら また ひとひらと

透明なまるいちいさなうつわをあける
うすくひいた白いわたの上に
さくらの花びらが三枚
贈られた時のままひっそりと眠っている
潮の香りは遠く
大切に愛しんでくれた(ひと)
の手をはなれて
天からの花びらのように
祈りを伝える無垢なものたち


あの日から五年
とりあえずの目標
誰もそれ以上は追ってこないだろう
たぐり寄せたい思いをしずめて
ひとひら ひとひら つみかさねる日々

 清水 榮一 シミズ エイイチ
①1932(昭和7)10・7②埼玉③日本大学附属工業高校中退④「地球」⑤『きしみ』『凡俗の歌』『きしみ(改訂版)』本多企画。

秋色

団地を横切る街路にそって
植えられた銀杏の並木
そのそそり立つ上半身が
紅い欅の繁みのあいだから
顔を見せている
見るとその一本一本が
金色に輝き
恰も険絶なこのよを
精一杯生き抜いてきた丈夫のように
誇らしげに立っている
その悠揚たる佇まいのなかには
かつてのあの重苦しい欲望、――俗情に塗れ
 た心肝の欠片など
微塵も残されていない
あるのは底知れぬ蒼空のもと
ようやく摑んだ味到の時を
満喫しようとしている謙屈な樹々の
静邃な影のみ……
ああ その気負いなき凛然たる小枝
葉末を漏れくる
喜悦の歌よ!!

 清水 恵子 シミズ ケイコ
①1951(昭和26)9・26②香川⑤『あびてあびて』『ぎざぎざ』『あっぷあっぷ』思潮社、『不つりあいの美』『自我』第一出版。

 林檎のソネット

これほどみごとに内から
割れたと言うのだから
刃などなかったと
あいかわらず嘘つきね


熟するのは枝を離れてから
酸も糖も均一にと
坂でもないのにころがる
この硬さはたんこぶかもしれない


味?
美味だったのだけれど美味だったのだけれど
あの()れ言を聞くまでは


不味いに決まってる
嘘のペナルティーは
秋に実る

 清水 茂 シミズ シゲル
①1932(昭和7)11・11②東京③早稲田大学大学院文研博士課程修了④「同時代」⑤『影の夢』書肆山田、『愛と名づけるもの』、『昨日の雲』『新しい朝の潮騒』舷燈社。

 ことばの凹みに

ことばの凹みには幾つもの
木の実や水が溜り 日ごとに
小鳥が影を落していった。
ことばの凹みに空が映り
風がその水をかすかに波立てもした。
あれはいつのことだったか。


いま ことばは荒れて 罅割れ
空からも風からも忘れられ
地均しの機械の音だけを響かせている。
ことばにはもう凹みはなく
ひととき そこに建てられた高層ビルが
崩れ落ちて 瓦礫を散乱させている。


夕陽が赤く染めている廃墟のはずれに
かすかに小さな芽生えがあり
蝶がとまっている。誰かがそれを見つけた。
大人よりはずっと蹲ることの好きな
よちよち歩きの子どもの 小さな手が
すこしずつことばの上の瓦礫を外しにかかる。

 清水 正吾 シミズ ショウゴ
①1928(昭和3)8・24②東京③早稲田大学哲学科社会学卒④「零度」「彼方」「幻竜」⑤『群像』現代詩評論社、『わが戒律』彼方詩社、『中世の秋』国文社、『清水正吾詩集』芸風書院。

 朱肉

わたしにとって 朱いろは
淡い母とは 異なるいろあい
わたしを育てた姉の帯 鼻緒のいろ
胸に黄身おびた液晶が流れ


いまも鼻腔の奥に 匂う姉の遺体を
腐敗しない水銀と硫黄の昇華した
高価な朱肉の器に
秘封している


てのひらで指紋を押しつける
姉は美妙な弾力で押しかえす
指が朱肉にくいこみ


わたしは烈しく私著をしたため
姉の中枢ふかく捺印する
決別の証しとして

 志村 喜代子 シムラ キヨコ
①1940(昭和15)8・17②群馬③玉川大学文学部教育学科卒④「裳」⑤『日の遣い』詩学社、『明度』煥乎堂。

 ひと七日

あしたになったら と
かぞえているのは
焼かれたひとです


冴え冴えと
写真に居て
歴然のあすはあるのです


冷えかえる頭蓋に
刺しこむ 手負いの悼みを
どうすることもできはしない


だが たとえ
六日の間 没したとして
明日からは
まあたらしい滅却に映え


(すがた)
ありありと
あらわしもする

 下村 和子 シモムラ カズコ
①1932(昭和7)3・5②兵庫③神戸市外国語大学英米学科卒④「叢生」「地球」「原石」⑤『弱さという特性』土曜美術社出版販売、『手妻』コールサック社、『縄文の森へ』土曜美術社出版販売、『風の声』思潮社。

 

弱さという特性

女は
ほとけを自分の腹に宿す
十月十日かけて 彫りあげた
初顔のやわらかさ


無垢で柔軟
弱さの極という形で
赤ん坊は女に 愛を教える


弱者が強者を導くとき
海はゆったりと満ちてきて
地球に 光の朝がひろがる


仏は本来何の力も持たない
その弱さの故にやさしく 不動である
仏像に銃を向けると
微笑したまま 倒れて こわれる

 下山 嘉一郎 シモヤマ カイチロウ
①1930(昭和5)8・30②群馬③早稲田大学第一文学部卒④「龍」⑤『うしろの声』思潮社、『はにわの歌』国文社、『少年幻想曲』無限。

 肖像画

ふと立ち寄った画廊で
一枚の肖像画に吸い込まれた
澄んだ瞳のひとだった


一瞬にして 心の底まで
見透かされてしまった俺は
そのひとの瞳を見詰めかえしていると
そこにワイエスの絵のような世界が
浮かび上った


どこまでも深く静寂であることが
そのひととの距離を近付けた
部屋にもテラスにも人影はなく
窓越しに見える波間だけが静寂を縁どった


こんな時には言葉だけでもほしい
一枚の肖像画の中に見た幻想に
生きていることのあつい感動をおぼえて
画廊から人気のたえた晩秋の街に出る
*ワイエス(アメリカン リアリズムの画家)

 白井 明大 シライ アケヒロ
①1970(昭和45)5・16②東京④「無名小説」「repure 」⑤『心を縫う』詩学社、『くさまくら』花神社。

 心を縫う

やさしい言葉が心を縫う
ほんとうの想いが心を縫う
あなたがぼくの心を縫う
ぼくがあなたの心を縫う
ようやく息をそっとつける
ほっと息をついてその息は体からもれていく
心にあなが開いてたあいだは
息をしたくても胸からぬけでて
うまく息ができなかった
ぼくのあなたの心の穴
あなたがぼくが縫っていく
穴から息がぬけていかないように
ちゃんとほっと息をつけるように
ふかくふかく息をすいこめるように
ながくながく息をはきだせるように
縫い痕がまた開くからと
ゆっくり息をすってゆっくり息をはいて
心の縫いめがだんだんに心になじんでくる
縫われながら心はあたらしく呼吸していく

 白井 知子 シライ トモコ
①1949(昭和24)8・16②東京③早稲田大学文学部仏文科卒④「火牛」⑤『血族』小林出版、『あやうい微笑』『秘の陸にて』思潮社。

 黄色い花
 1金属の蕊

シャモール
シャモール
吹きわたる風 一夜にして
金属の蕊をひそませ地上に
渓流のほとり
根をもたず 茎をもたず
血の予感にきらめく花弁
黄色い花が咲いた
黄色い花がヒンズークシ山脈の麓に咲いた


インド洋上
空母キティホークの艦載機に
ロックオンされた目標地点だった
クラスター爆弾の標的にされた村
なだらかな丘の斜面 隣村へぬける道
破壊された泥の家 うまった竈
瓦礫をとりまき
黄色い花が咲いた
黄色い花がアムダリヤ南岸に咲いた

 白河 左江子 シラカワ サエコ
①1935(昭和10)②岡山③岡山大学卒④「黄薔薇」⑤『もしかして あなたもたぬき』手帖社、『もういいか〜い まあだだよ』スタジオ・クレイ。

 土の上に

さらさらさわ さらさら さら
聞こえるのは門扉の外の道の下から
右は市道 左はお寺の裏参道
我家の前だけ舗装がない
すっぽりと土の中へ 懐しさのにおう水上へ
ちらちらもれてくる光
石組を登り井戸から地上へ


石うすでもちつきをする父と兄たち
きなど(注1)役の母
納屋から出したもろぶ(注2)を拭く綿入れの少女


今年も芽吹くと思っていた梅の木
私より若く白い花を咲かせた
地下を縦横に走る水道管で
水の流れが変わったのか


舗装のない土の上に立ってみる

注1 もちつきのとき、うすから米が出ないように、手で中心に押すこと
注2 もちを並べる木製で長方形の浅い入れ物

 白川 淑 シラカワ ヨシ
①1934(昭和9)7・18②京都③桜塚高校卒・大阪文学学校研究科卒④「地球」「RAVINE」⑤『祇園ばやし』文童社、『女紋の井戸』地球社、『お火焚き』『白川淑詩集』土曜美術社出版販売、『花のえまい』花神社。

 八という日は

二〇〇八年八月八日
末広がりで縁起がいいらしい
北京オリンピック 開催の日


八月 広島 長崎 原爆投下
八月十五日 敗戦
「二度と過ちは繰り返しません」と
――平和の祈り――を捧げる日


八月十六日 京都 大文字
「ほな また来年まで いといでやす」と
精霊(しょらい)さんの御霊を送る日


八月十八日 世界新記録
女子棒高跳びのエレーナ・イシンバエワ
天女が(そら)に舞った日


毎月二十八日 父の命日
八の形をした東山の黒い影に
「あやまちはもうせえへんさかい」と
何度も何度も誓い直す日

 新川 和江 シンカワ カズエ
①1929(昭4)4・22②茨城③結城高女卒④「地球」⑤『土へのオード13』サンリオ出版、『火へのオード18』紫陽社、『水へのオード16』花神社、『記憶する水』思潮社、エッセー集『わたしは、此処』花神社。

 草に坐って

まだ幼くて
正しく音階に乗せられない
男の子の たどたどしいうたを
草に坐って
きいていると


百の自分
千の自己と思いなしていた
万象(ものみな)から 半音はずれ
世間からも 半音はずれて
ほんとうの自分
ただひとりの自己に
なれた気分


  ……タンポポ ワタゲ
  ハジケテ ハジケテ……


どこかへとんで行くのもいいし
とんで行かずに
ここで こうして
風に吹かれているのも いいな

 新藤 凉子 シンドウ リョウコ
①1932(昭和7年)3・23②宮崎③共立女子大学在学中に東宝舞台衣裳に就職その後独立と同時に中退。④「氾」「歴程」⑤『薔薇ふみ』『薔薇色のカモメ』『新藤凉子詩集』連詩『地球一周航海ものがたり』(高橋順子と共著)思潮社。

 蟬が……

わたしが死んだら あの世から
涼しい風を送りましょう
新川和江さんは受話機のむこうで
楽しそうにおっしゃった でも
わたしは 暑い風を送ります


答えたそのとき 蟬が鳴きだしたのだ
目の前の林の梢は ざわざわとゆれ
そのむこう 海がかすかに
ひらくところ 霧が流れ
遠いところに滑車が 見えかくれする


東京と 大室高原を繋いだ
この日の会話は そのうち
忘れるだろう けれど
思いもかけない日に
どちらかが 小さく叫ぶだろう


まあ この風があなたなのね!

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