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会員のアンソロジー

会員のアンソロジー24・三井 葉子 ~

資料・現代の詩2010

 

 三井 葉子 ミツイ ヨウコ

①1936(昭和11)1・1②大阪③相愛女子短期大学国文科卒④「楽市」「歴程」⑤『沼』創元社、『浮舟』『草のような文字』『花』深夜叢書社。

 葡萄山

葡萄 送るわね

はるかな友から電話が入る



言っても いちど会っただけのひとである

河内(かわち)から大和(やまと)川を 大和にこえる辺りの
山里に住んでいる
らしい

ごろ
ごろ石が台風で流れ出て
淵を作っている川上かもしれない

山に嫁に行って もうそこで
生涯するのだと言っていた

かわいそうなほど
しろいあしのひと。

 三方 克 ミツカタ カツ

①1935(昭和10)2・21②群馬③法政大学社会学部中退④「西毛文学」「詩人会議」「PO」「発信地」⑤『三方克詩集』飯塚書店、『ゆりかもめの歌』理論社、『日本學』青磁社、『櫻とレントゲン』詩学社。

 苦の荷

縄文時代の一万年――
開明アフリカ マリ 古埃及(エジプト)
シュメール
バビロニア 夏 アッシリアがあったのに

この島には国家なく 世界地図にもかかれず
西からの敗軍の将と官 時に流刑の政治犯
安藤昌益 佐倉宗吾 田中正造の祖にも似て

隣国からはアウトロー 火つけ強盗に殺し屋
破落戸 与太 ならず者あまた流され来て
この地にくればおかまいなし 自由に見えた

火の憤怨吹く山々 絶えぬ地震(なゐ) 郎党もきて
イカ タコ 犬の食う白鮭 何でも食ったな
長老の眉の動き一つで八つ裂きホルモンの刑

だからおいら喜んでは泣き 勝ち負けに泣き
学校で一番、村一番、日本一、世界一めざし
殺されず食われぬように 辞世をポケットに

世辞をいって暮らす重荷の一万年です

 光城 健悦 ミツギ ケンエツ

①1936(昭和11)3・15②北海道③北海道学芸大学函館校卒④「極光」「パンと薔薇」⑤『人名伝』『人体論』『画廊』未明舎。

 爪

さくさくと レタスを?むあなたは退屈な時
間を嚙んで
私は「爪」を素材に俳句を作っているのだ
〈薔薇園で赤子の爪にふれてみる
〈日傘の少女爪の印を陽に翳す
爪切りを取りだす
切りたくて切ったのではないのに
また延びてくる鋭利な先にいらだつ
〈爪を噛み青林檎嚙む受胎日
向き合うともなく追いかけるともなく
――男女のむつみ合いは嵐と申しますが 体
毛から螢のように舞い上がる切り火でもご
ざいます
〈爪先に萌葱の日溜まり蜜柑むく
食卓に皿がならべられ窓から夕日がさざ波で
揺れて あなたの爪痕に血の筋がある
人生如何に?
菜箸ですくいあげた卵黄のとろりとした手応
えは途切れず戻らぬ 一本のゆるい定まり
〈爪を立て声を潜める暮色あり
女は洗い場で 細い月の真下にいる

 皆木 信昭 ミナギ ノブアキ

①1928(昭和3)1・20②岡山③中央大学通信教育学部法学科卒④「火片」⑤『横仙』手帖社、『ごんごの渕』『ごんごの独り言』『ごんごの風』書肆青樹社。

 時

秋の空みたい
立ち止まったり
急に駈けだしたり
一日はとても長かったり
瞬き一つ二つしたら
もう終っていたり

一時間は六十分
一分は六十秒
分かってはいても
一時間が三十分だったり
八十分とか百二十分だったりすると
とてもじゃないが
歳をとってからはついていけないので
こうして雨の日は
朝からずーっと外ばかり見ている

 南 邦和 ミナミ クニカズ

①1933(昭和8)9・18②朝鮮④「柵」⑤『父夢』創思社出版、『原郷』『ゲルニカ』詩画工房、『メニエール氏』鉱脈社、『神話』土曜美術社出版販売。

 望郷

ひとつの風景をたぐっている
どこまでも続いている白楊の並木
見上げる海底のような夏空を
ゆっくりと流れてゆく緬羊の群れ
遠くの兵営から響いてくる喇叭

その土地が どこであったのか
自分が何歳であったのか
周囲にどんな人々がいたのか
さっぱり思い出せないのだが
大蒜と葱の匂いが立ちこめていた

ぼくは 身体の中に兎の形の
一枚の地図を隠し持っている
半島の捻れた部分(北緯38度線あたり)に
いつまでも暮れない夕焼けの色で
赤々と燃えている風景がある

そこは まぎれもなく
わが〈原郷〉

 南川 隆雄 ミナミカワ タカオ

①1937(昭和12)1・10②三重③名古屋大学大学院博士課程修了④「回游」「日本未来派」⑤『幻影林』新詩人社、『けやき日誌』舷燈社、『七重行樹』回游詩社、『火喰鳥との遭遇』花神社、『植物の逆襲』舷燈社、『他感作用』花神社。

 池 Ⅲ

鮮やかな緑が水面を覆っている
水は深みに降りるにつれて
よくこなれた泥土に変わっていく
そして底がない
光は水面の裏側から射していて
柔らかな薄緑の陰が別の面をつくっている

しかし池にはやはり底があった
コンクリートの長方形が鋭角になり眼を射る
戦時の防火貯水池
水彩画のぼかしをまねた朱色の瓦の破片が
折り重なるひとの躰の形に沈んでいる
幼児のぼくにはそれがよく見える

いま底深い池にすこしずつ拡がって
泥土を澄ませていくひとかたまりの植物を
六十年後のぼくが透かし見ている
――その名を みじんこうきくさ という
地上最小の種子植物
中心のくぼみには
ひとつの雄芯とひとつの雌芯がある

 南村 長治 ミナミムラ チョウジ

①1928(昭和3)7・1②和歌山③旧制麻布中学校夜間部中退④「リヴィエール」⑤『陸封』竹林館、『青鷺抄』『手紙そのほか』編集工房ノア。

 剝ぐ

暑さしのぎに 毎夕
シャワーを浴びるたびに
わたしは半時がほど使い古した檜の腰掛けに
座りこんで しまいには血塗れになって
くせになった自傷行為にふける
そう あなたもお気づきだが
両足首にひろがった湿疹 つまり
老人特有の掻痒(かいかい)を引っ掻くのである
しつこいのはからだの反応か 執念なのか
たぶん 両方のせめぎあいだろう
つれあいによれば 身震いが先立って
声も出ないそうだ
なに 一皮剝いだら
体内に滞積した毒気のようなものをいくぶん
絞り出せるかも知れないじゃないか
どうせ 愚に返る八十年
タコの知性にも及ばないとすれば
ひたすら?き毟る以外に手はないよ
散乱する上皮の欠けらは
これは自分のか?
それとも誰かの落し文か?
どっちなんだろう?

 峰岸 了子 ミネギシ リョウコ

①1944(昭和19)3・16②大分④「りんごの木」「タルタ」⑤『三月の溺死』深夜叢書社。詩画集『私の神は』英訳付、『恋文みたいに』ふらんす堂。『かあさん』水仁舎。

 訝しい心

はるか遠く
旅客機の絶え間のない離着陸がみえる

人の話をうわの空で聞いていた
片耳がはがれ
眼下にひろがるビルの森めがけ
まっさかさまに落ちていく

悲鳴もなく
ひかる魚のように落ちていく
耳をつかまえようと
どんどん伸びていく片腕
かたむく重心

かろうじて踏みこたえている状態よりも
車がミニカーにみえる窓から
耳のあとを追い
墜落したいのではないか本当は?

と 唐突にあらわれた心の感傷を
もてあましている

 みもと けいこ ミモト ケイコ

①1953(昭和28)5・20②広島③広島大学水蓄産学部食品工業化学科卒⑤「飛揚」⑥『花を抱く』『フロッタージュ』視点社、『リカちゃん遊び』土曜美術社出版販売。

 炎の形

音もなく
シクラメンが燃え上がる
火柱

空気が焦げている
冷たい炎にあぶられて
部屋の片隅が焦げている

炎に手を触れる

〈わたしの死は美しいか シクラメンを
 鷲摑にしたまま硬直したわたしの手は〉

何かをつかもうとしてよじれた指
それが炎のように見えたとしても 決して
後悔しているのではない
花をつかんで
指先に燃え移った炎をただながめていたのだ

ただわたしが燃えているのを
花のようだと思いながら ながめていたのだ

 宮内 憲夫 ミヤウチ ノリオ

①1940(昭和15)②福井④「沈黙」⑤『惣中記』白地社、『惑星までの道程』砂子屋書房、『おとなの童詩』白地社。

 巨きな刻印

税って? 消費税ってなに?
三度の飯にまで、しつこい附け馬だ
腹消だから〈誰でもよかった〉だと……
やすやすとは、承服できるもんか!

人材派遣の、消費税(それ)なんかは
人間(ひと)を消日した数への、贅金か?
金脈の波の浜に、揶子の実なんか無い
あとは、悪漢べぇーの消化に終わる

大国の右に習えで、真似ばかり
地球に掛けるのは〈迷惑〉勢だけだ
巨きな傷口に、カットバンだなんて
身悶える、しっぺい返しの刻印はどてかいぞ

 宮内 洋子 ミヤウチ ヨウコ

①1942(昭和17)②鹿児島③短期大学卒④「天秤宮」⑤『グッドモーニング』ジャプラン、『海ほおづき』詩学社、『ツンドラの旅・陸に向かって』思潮社、『宮内洋子詩集』ジャプラン。

 川

天しる地しる
源泉の小さな汚染は
小川 大河 大海へと
ど ど どおっと 流れていく

年齢を重ねると
来し方の 川面が見えてくる
勢いを増してきた
己の川床
橋を架けないと
向う岸には渡れない
向う岸に 子供や 知人が
つれあいさえも 立っている

心の支柱を一本 堤に立てて
川の流れをながめ暮らす
天しる地しる

靄の中に
白さぎが浮いている

 宮城 隆尋 ミヤギ タカヒロ

①1980(昭和55)7・19②沖縄③沖縄国際大学国文学科卒④「1999」⑤『盲目』私家版、『ido l』孤松庵。

 川

同じ肌の色をしている
同じ髪の色をしている
同じ言葉を話す
同じ文字を使う
わたしとあなたの間には
川が流れている
太平洋よりも広く
マリアナ海溝より深い川

 宮崎 清 ミヤザキ キヨシ

①1927(昭和2)3・23②群馬④「詩人会議」「炎樹」⑤『繁栄について』光風社、『兵隊の位』炎樹社。

 世界の羊たちが……

戦争も 麦もバブルも 食ってきました
戦後(アプレ)派 なんて呼ばれた時もあったわが世代
気がつけば冷ややかな風吹きつける
流刑地のほとりに 佇んでいました

ぼくは今も アラビアンナイトのファンです
中でも 黒煙り鳴物入りで空に立ち騰った
大男の魔神(ジンニー) そいつをもう一度壷の中に
封じこめてしまった というあの物語

そして 古雑誌にうずもれた我家の寝床には
羊が百匹……羊が千匹…… 数えても数えて

眠れないぼくがいます なぜって みんな
傷つき おなかを空かして歩いているんです
沸きあがる雲のように 世界の羊たちが……

やがて 雪の降りしきる払暁の首都を
カーキ色の一隊が進軍しました
そんな遠い 一瞬の夢の中に
昭和一桁のぼくがいて 叫んでいます
その道をゆくな 九条ばんざい

 宮崎 亨 ミヤザキ トオル

①1943(昭和18)5・31②長野③長野工業高校卒④「花」⑤『空よりも高い空の鳥』土曜美術社出版販売。

 ど

末期の祖母がもらした言葉の切れ端は
「ど……」
ひととき闇をのぞいていた母は
ふりむいて
あれは「ど・こ・へ」の言いかけ
闇の言葉を訳してみせた

当直看護婦がものを取り落としなどしつつ
病室を飛び出していった翌朝
「どうして、どうして」
隣室の悲嘆が筒抜けに聞こえてきた
わたしに下されるべき氷の矢が壁一枚それて
時が
猶予の時に差し替えられた

しかしてついにねらい(たが)わず矢が命中する日
やはり見看る者もいないくらやみ
余喘(よぜん)のくるしみの下で
わたしは言わねばならぬ
「どんな」
われというただひとりの観客に

 宮沢 肇 ミヤザワ ハジメ

①1932(昭和7)2・11②長野③明治学院大学英文学科卒④「花」⑤『仮定法の鳥』国文社、『帽子の中』『分け入っても』土曜美術社出版販売。

 躍り食い――安曇野

昼食の添え物に
岩魚の稚魚が茶碗の底に一匹
舌の上から食道をへて胃に入る
酢醤油をかけたときは
その小さな下半身が
まだしきりに皿を敲いていた

死ぬのは魚ではなく
かれを呑むわたしのからだのなかの
もうひとつの肉体であった
その死んだ肉体から
稚魚になった魂が 初夏の日差しのなか
非在の世界の 木陰を映す
雪解けの川へ泳ぎだしていった

岩魚は口に入ったとき
その身を静めるようであった
その小さな尾ひれは もう
わたしの舌を敲いて打つことはなかった
生き物のみごとな諦念が
わたしの喉を下っていった

 宮島 智子 ミヤジマ トモコ

①1931(昭和6)10・15②東京③東京学芸大学家庭科卒④「銀曜日」「りんごの木」⑤『石の天使』幻視者、『渦』あざみ書房。

 夏の一日

真昼の太陽に焼かれた空気
どんな色のモザイク片を重ねているのか
喫茶店の冷房に逃れた展覧会の帰り
一陣の風が吹き抜けるように
隣のテーブルから聞こえたアバンギャルド
フランスでは軍事用語
日本は前衛
1960年代は美術界に輝いていた言葉
黴が生えたようで余り使われぬ今
アンフォルメ イノセントも
重なる会話のなかに
古典の讃美も切れ切れに風に乗り
ジグゾーパズルのピースは渡される

展覧会の美人画の「狂女図」は曾我蕭白
水墨山水の伝統的な柄の着物
破いた手紙を咥えしどけない佇まい
青と赤の対比が鮮明な色面で飾る
1765年に踊るアバンギャルド
見えない糸をたぐる

 宮園 真木 ミヤゾノ マキ

①1951(昭和26)4・20②神奈川③早稲田大学教育学部国語国文学科卒④「歴程」⑤『宮園真木詩集』思潮社、『気分の本質』アディン書房、『活字以前』ポエジイ編集室。

 闘う母

「おまえたち」そういうことを言う母ではな
かった。「殺してみろ」そういうことを言う母
ではなかった。激しい憎悪の笑みを浮かべて
いる。食べ物を口にしない母が口にした言葉。

鼻の穴から管を入れられようとしている母。
ほおっておいてくれないか。それを口に出せ
ない母。そのうちに管を入れられ、器官に
なっていく母。

もはや胃瘻(いろう)の意味を理解できない母のために
胃瘻をつくってあげたくなっていた。と書き
たいけれど、ほんとうのことを言おうか。そ
れは、ぼくのためにほかならない。

母に触れる。もう帰ってもいいかな? 錯乱
していない母は静かな絶望の笑みを浮かべて
いる。「いいよ、でも、この指は、置いていけ」
今、ぼくは、母にとって誰なのか?

* 「胃瘻」とは、おなかの壁と胃の壁とを通してつくる
小さな穴のこと。

 宮田 小夜子 ミヤタ サヨコ

①1936(昭和11)7・8②山口③大阪女子大学国文学科卒④「逆光」⑤『日溜り』ポエトリーセンター、『薔薇がこぼれるとき』近代文芸社、『インディアン・サマー』あーとらんど。

 空

窓枠に塡っている空
 病院の個室
ぷつんと切れた空
 自動車事故
割れた空
 街頭演説

強いられてある空
 弾道ミサイル
どさりと落ちてきた空
 イラク攻撃開始

燃えていた空
 焼け跡に佇む戦災孤児
消えない空
 八月十五日

手を振っている空
 故郷を離れる日
どこがてっぺんか わからない空
 母

 宮田 澄子 ミヤタ スミコ

①1930(昭和5)4・29②大阪③旧制高女卒④「花筏」「宇宙詩人」⑤『沼へ』不動工房、『籾の話』『朱い親しみのなかへ』潮流社、『光まで――加齢同行記』書肆山田。

 影

あなたの潜かな病を私に告げた夏の日
橙色に染まる庭に素足で立竦んでいた
底知れぬ不明を抱いて息を呑んだまま
くろぐろと 恐怖を孕んだ放心の影は
容れあえなかった精神の 漆黒の暗箱

私が盲になった日――影は在ったか――

薄ら明るい空 繁茂する夏草踏んで捜す庭に
乳白色のひとがた現われ
その輪郭の痛ましい震えは
数えきれぬ錯誤の重なり

眼の闇が終の闇に墜ちる一瞬
見え得なかった青の深みへ
量れなかった天の展がりへ
漆黒の私の暗箱は砕け散る
その塵の 潔よさを

 宮地 智子 ミヤチ トモコ

①1947(昭和22)4・2②千葉③慶応義塾大学国文科卒④「アリゼ」「布」⑤『練習』『家族画』詩学社。

 黒髪

海のむこうの遠い国から パソコンの画面
に送られてくる 幼な子の表情は そのたび
に豊かになっている。
そのとなりで まるまると太った赤ん坊を
抱いている私の娘は すっきりと痩せて 自
慢の長い黒髪をきりりと束ねている。
母である私が 不幸の種をあんなにたくさ
(こぼ)したのに みごとに刈り取って ほほ笑
んでいる私の娘よ。
幸せに満ちた表情を捉えた一瞬の その他
のおびただしい時間の中にうごめく さまざ
まな魑魅魍魎(ちみもうりょう)を 私は想ってみるが
一点の翳りも写さない 若い四人家族の写
真を台所の壁に貼って 私は毎日お茶わんを
洗っている。
水道の蛇口から流れる水音を聞きながら 
ふと思う。ふるさとというのは 帰って行く
ところではなく これから行くところ なの
ではないかと。

 宮本 むつみ ミヤモト ムツミ

①1933(昭和8)1・14②山口③聖心女子大学英米文学科卒④「嶺」「長帽子」⑤『風景』思潮社、『椅子とりあそび』青土社、『おいしい時間』『ぬけ道』あざみ書房、『時代屋』思潮社。

 あのひと

あの女(ひと)/だれかを待っているような
/若いひとだったような/おさない迷子の少
女のような/白いエプロンの母親だったよう
な/ゆめのどこかにはさまれて/知らないひ
と/といえばそれまでだが/でも たしかに
あのひと/ここから出して と訴えているよ
うな/今朝も 目覚め際に見かけたひと ?
あの男(ひと)/だれかを呼んでいるような
/少年のような/戦闘帽をかぶりゲートルを
巻き/まだ大人になりきれない華奢な身体/
ゆうべは/べったりと汗をかいた大きな男の
背中だった/見ず知らず といえばそれまで
/顔さえ定かでないひとが/いつも ゆめの
どこかにはさまれて ?   水漬く屍/草むす屍
/黒焦げの屍/灰の屍/凍土の屍/でも た
ましいは/世界中の誰かとなって生きている
/すぐ隣りにいたかもしれない/あなたに似
たひと/知っていたかもしれないひと/世界
中のゆめの狭間で/寝息の中を往き来するの
は/人間と呼ばれたい あのひと

 向井 成子 ムカイ シゲコ

①1944(昭和19)1・24②岐阜④「存在」⑤『果芯のように』書肆青樹社、『風の揺り椅子』石の詩会。

 鉢の底

斑入り葉ベコニアの鉢植えが急に萎れてきた
先祖返りか斑も消え根が徒長している
鉢を少しずらすとバリリと割れてしまった

鉢底の小さな排水穴から忍び込んでいた
ハネカクシ イサゴムシ ナメクジたち

下の土壌をしっかと摑んだ張り根に絡まり
暗い闇の隙間で蠢いていた生き物たちが
抱きつづけていたものは何か
孵化する願望か
脱皮する意思か

紅い唇のような花びらから
漏れていたのは 吐息 ため息
地上へ重い鉢を浮き揚らせていたものたちの
充満していた不安な夜がいきなり解け
不意打ちを食らった彼らは
割れ鉢を寄せている隙に残らず逃げ切り
ナメクジの腋跡だけが七色に輝いていた

 村尾 イミ子 ムラオ イミコ

①1938(昭和13)5・20②大分③慶応義塾大学医学部付属厚生女子学院卒(現・慶応義塾大学看護医療学部)④「橡の木」「砧」⑤『カノープス―宮古島にて』土曜美術社出版販売、『海に咲く薔薇』文芸社、『春雷』花神社。

 鸇

海の遥か向こうの方から 一筋の雨雲が
こちらに向かって まっすぐに走ってくる

後ろに烈しい雨をつれて
来る 来る わたしたちのいる展望台まで
すごい速さで駈けてくる
眼下にエメラルドグリーンの海が見渡せる
(さしば)の形した展望台
たちまち わたしたちはスコールに見舞われ
鸇の羽の下で雨宿り

雨って一直線に駈けてくるのね
ギンネムの葉を濡らし海桐花(とべら)の葉を濡らして
雨は すぐに行ってしまった
渡りの季節になると
伊良部島には何万羽もの?がやってくる
以前は 空が暗くなるほど飛んできたが
年々 数が減っている

先程までのスコールが嘘のように陽が射して
いつのまに描いたの 海の上に
鳥が羽を広げたような 大きな虹

 村川 逸司 ムラカワ イツシ

①1929(昭和4)1・20②愛媛③東京学芸大学大学院(修士課程)教育学研究科中退④「時間と空間」、「幻竜」⑤『柏餅の葉をゆでるとき』矢立出版、『邂逅までに』花神社。

 げんしょう

よろけると
一緒によろけてくる女であった
柔弱さと
矜持が寄りそっている
そうであるのに
他の男に目をむけないのが可愛くて
新鮮な一日が燃えつきることがなく
体をあずけあったまま
何年も暮した
となりの町が日照権でもめているとき
風が女を千切っていく
たんぽぽの花のように
眉をひそめうっすらと苦悶の
表情をして
身一つ残さず散っていく
緑は溶け
紅葉は渓流を流れていった
稲妻の行くえ
無二の友のように鈍く光っている

 紫 圭子 ムラサキ ケイコ

④「孔雀船」「ガニメデ」「宇宙詩人」⑤対話詩(北沢栄との)『ナショナル・セキュリティ』『受胎告知』思潮社、『宇宙服記』書肆青樹社、『ダグラス・クエイドへの伝言』土曜美術社出版販売、『紫圭子詩集』芸風書院。

 鎮魂歌

雲間から射すひとすじの光が
しろつめ草のうえに横たわる
白い犬の喉をさすっていた
喘ぎ喘ぎ おまえは腹をおおきく波打たせた
おまえは
おまえの体を構成していた無数の細胞と
はじめてほほえみあった
無数のいのちとともにある愛(かな)しさ
ゆっくりと離脱する眼は
宇宙の静寂をのみこんでぬれている
水のめぐりのように
張りつめていたものがおおきくほどけて
足がこんなに冷たい
おまえは うっとりと口を開けて
はじまりもおわりもない海原をとおりぬける
とおりぬけるたびに
おまえが育てたシャム猫四匹の宇宙が
おまえを照らしだす
おまえを抱いて
わたしは
めぐる宇宙の律動を聴いている

 村嶋 正浩 ムラシマ マサヒロ

①1941(昭和16)4・12②東京③明治大学経営学部卒④「鰐組」⑤『道具論』『棚卸調書』『見知らぬ人々の肖像』『鵙日和』ワニ・プロダクション。

 ごはんができたよ

晴れるといいね、逃げ水とは絶えず逃げ続け
る水のこと関東平野に風立ちぬ、目覚めると
海が遠くまで引いている朝は麺麭も香ばしく
焼けて香り風立ちぬ、北へ帰る鳥の風切羽の
音がすっかり消えて静かな海すれすれに飛来
するのはアサギマダラの蝶の群に違いなく急
いで朝食のテーブルに付くと風立ちぬ、図鑑
から床に零れ出した浅葱色の蝶を踏むと足萎
え夢萎えが立て続けに起きてしまうけれど晴
れるといいね、麦藁帽を被り捕虫網を手に鳥
辺野を駆け抜けたのは昨日のこと通り雨が過
ぎて櫂や大腿骨や嘴が流れ着く海岸にも風立
ちぬ、魚場に急ぎたどり着く船の漁火が窓か
ら遠くに見えて、春は曙、夢が思い出になる
時刻には静かな海へと戻っていく少年は化粧
を落し漂流する窓について語り、ペティナイ
フの使い方について語るけれど、逃げ水とは
海にまで逃げる水のこと目覚めると清徳丸が
音もなく溺れて風立ちぬ、少し弱火にするが
いい麺麭に手早くバターに苺ジャムさらには
こべら敷き詰めるとコーヒーの準備出来たよ

 村瀬 和子 ムラセ カズコ

①1932(昭和7)3・31②大阪③岐阜高女卒④「火牛」「存在」⑤『ひよのいる風景』詩宴社、詩集『氷見のように』能随筆集『みな花のかたちにて』知良軒、『桃園の征矢』思潮社、『能の歳時記』岐阜新聞社。

 雁のように

言わないこと 問わないこと
答えないことに
耐えがたく雁が北へ飛ぶ

亡くなった魂ばかりが群れている森の梢
栃の葉が神のように手をひろげて
栃の彼方から洩れて来る一絃の琴の深い奈落

栃の葉はしずかに食みつくされ 地に落ちて
ああ こんなにも澄んだ目をして
雁は飛ぶのだろうか

滅びゆくものの美しさ滅びゆくものの淋しさ
滅び切れないもののもどかしさが
他界から他界へ渡る雁のように
虚空を渡る

生きて
今日滅びてゆくわたくしたちの国の言葉

北へ飛ぶ

 村田 耕作 ムラタ コウサク

①1930(昭和5)3・27②北海道③北海道学芸大学札幌校文科卒④「北海道詩人会議」「核」「青芽」⑤『面を脱ぐ』黄土社、『愛の要塞』核の会、『神の落し文』青い芽文芸社。

 鶏・自然の朝

野生化された鶏が沢地の奥に住んでいる
飼主の転勤で捨てられた鶏や
逃げ出した鶏が
何時の間にか
ここに住み着くようになったという
鶏は何時も集団で行動する
人間が餌をばら蒔いても
決してこの餌を(ついば)もうとはしない
自分で餌を捜して歩く
第一羽の(つや)がいい
(とさか)の色が実にいい
外敵から身を守るため
風雨から身を避けるため
冬でも葉の茂っている大樹の上で眠る
十数メートルの枝目がけて羽ばたき
時を告げる鶏の姿は
まさに〝生への飛躍?だ
鶏が金色に染まりここから自然の朝が始まる

 村田 譲 ムラタ ジョウ

①1959(昭和34)1・14②北海道③北海学園大学法学部法律学科卒④「饗宴」「パンと薔薇」「濤」⑤『海からの背骨』『空への軌跡』『月の扉 大地の泉』林檎屋。

 願いごと

扉をひらいて仰ぎみる
月の卵

壊れそうな想いの殻
守られて雲のうえで

暖かさを孕むことができなければ
崩れていく萌芽
やわらかな無形に
自身の姿を曝すことなく
翼を折りたたみ
闇のなかに産みおとされ
ひとり宇宙をむさぼっている

漂う時間に抱きかこむ
音の調べ

 村田 正夫 ムラタ マサオ

①1932(昭和7)1・2②東京③早稲田大学法学部卒④「潮流詩派」⑤『村田正夫詩群』『バラ色の人生』『社会性の詩論』『戦争/詩/批評』『詩の社会性』『戦後詩人論』アンソロジー『戦争とは何か』。

 笑い

笑いというものは
大好きだが
いざ
詩の主題として書くとなると
簡単に見えて
案外難しいものだ

一時間も動かないで居たら
売笑という文字がとびこんできた
一九五八年四月一日
売春防止法罰則規定施行して
全国で三万九〇〇〇戸 従業婦一二万が廃業
同年一一月二七日に
皇太子婚約
この年
私は笑うというより
犬の遠吠のように唸りながら
新宿の夜を
さまよい歩いていた

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