研究活動・親睦

各地の声・各地のイベント

各地のイベントから(会報162号から)

各地のイベントから

「詩を書くということⅡ」
             時里二郎
講演する 時里次郎氏

講演する 時里次郎氏


 コロナ禍の中、文化の灯は絶やすまいと、一月十六日神戸文学館に於いてコロナ対策をした上で講演会を開催。
昨年の「詩を書くということ」第二回ということで時里二郎氏が話始める。
 前回の①カタストロフが詩にもたらすもの。②コミュニケーションだけでなく言葉は見えない世界と呼び交わし合う力がある。③詩の中の「私」と書いている「私」は違う。の三点を見据えて、今回は①コロナ禍と詩 ②身体言葉と詩の身体 ③詩を書く動機 の三点を掲げた。パンデミックが起こると疲弊し引きこもり、虚無主義に陥りやすいがカタストロフ以後新しい芸術の振興もあった。今のコロナ禍の中で読んで欲しい三冊〇杉山平一「希望」〇梨木香歩「沼地のある森を抜けて」〇宮崎駿「風の谷のナウシカ」を推す。
 次に身体と言葉の関係について新聞
詩誌の投稿詩を例に解説する。
1洗濯かごに残っていたシャツを/思い切り「パンッ」と広げ/物干しの真ん中にかけた
2どう思えばいいのか分からないまま とりあえず「ふーん」とだけ言って 茶碗を持ち上げる
1・2のように身体から出る言葉は生きていることを根源的な感覚(身体感覚)で捉えて詩(言葉)の身体になる。
3黄色のグラジオラスの厚ぼったい大輪/それは用水路の窪みに置かれた使いかけの堆肥袋で、中途を棕櫚縄で縛ったものが花のように見えた
身体的感覚(目の錯覚)は黄色のビニール袋を黄色の花と見誤った。でもその黄色はカーバイドで爆死した人を思い出させ硝煙の臭いまで呼び覚ます。「身体の言葉」から「詩の身体」へと。
 最後に「詩を書く動機」に触れた。詩に対する思いがないとことばの世界は動かない。ことばと自分と詩が自然に寄り添い、自分の知らない世界へといざなわれるのが詩である。自分が書いた詩を自分で読んで「なぞ」が残らない詩は、何かが欠けている。それは未来の言語が到来して詩を書かせるから と結んだ。   (報告 山本眞弓)


多様な世界の詩〈詩祭〉
    ポエム・イン・静岡開催
            橋本由紀子

講演する 川口晴美氏


 コロナ禍の中で窓開け換気と距離を実施しながら第三十四回ポエム・インがSBS学苑教室で川口晴美氏を迎え「多様な世界の詩 詩の中の多様な世界」というタイトルで開催された。静岡新聞記者を含め二十一人という少人数であったが刺激のある時間となった会員による自作詩朗読とコメントの後オーストラリア・キャンベラの詩祭参加の折の資料をテキストに、詩の持つ多様性と詩の力について、熱心に語られた。メルボルン在住のカッサンドラさんの詩を川口氏が翻訳。「あなたのパソコンのゴミ箱の中で暮らす夢を見ている」アイコンやマウスが出てくるユニークなものだが、それを一人称の言葉をたとえば、あんた、オイラ、わらわ 社長と変えるだけでも、一つの物語の世界を如何様にでも変容することができる。言葉は創造力の中で羽ばたく。自分が、言葉を変えることによって情感や感動も作り出す事が出来る。かかわって成立する詩世界。
 後半の金指安行氏との対談も好評。質問コーナーでは次々活発な意見交換がなされ、講演内容を深めることとなった。現代詩の難解性や他ジャンルとの比較、政治社会問題を取り上げること等。中でも3・11を書くことへの問いの答えが印象深く残った。直接の被害者ではないからと書くことを躊躇しなくてもよい。言葉であなたの心に寄り添って励ますことができる。手で触れられない所を言葉で触れることができる。言葉を延ばすことができる詩の言葉が豊かに広がっていく。心の共有。詩はつながっている。詩の力を信じている。最後に新井高子さん編著の東北おんば訳〈おばあちゃん〉「石川啄木のうた」の紹介があり大船渡弁で啄木のうたを朗読すると全く別味が加わり、別物になる、そして広がる。インドに「啄木の会」があると聞いて驚いた事があるが、啄木朗誦はどんな感じなのかな、とつい思ってしまった想像の翼を広げる会でもあった。


岩手詩祭2020

講演する 照井良平氏


 本年度の岩手詩祭は昨秋の予定が、岩手も突然のコロナ禍に襲われ、2021年1月31日に延期開催した。
 参加者は20名と、やはり例年より少なかったが「今、詩の言葉で癒しを!」をテーマに独文化相のコロナ禍における「アーティストは今、生命維持に必要不可欠な存在である」という言葉に励まされ、何とか開催できた。
 詩祭の第一部では県詩人クラブ会長の照井良平氏が「朗読について」と自身の体験をもとにした講演がなされた。
 その内容は、まず詩の鑑賞方法としての朗読は耳から入る詩、声による詩の鑑賞方法である。詩と聴き手の中継ぎである朗読者が、聴き手が自分の目で読む以上の手応えを聴き手の韻律感性に訴え、詩を感じさせる手法である。
 と述べ、耳から入るその声の質の音声(音色)の色合いを構成しているのは、韻律感性を刺激する「F1のやすらぎ」の波にも含まれる高周波・高調波(アナログ)である。だから、それを失わないためにもマイクなしでの朗読を心掛けることが大事である。
 また、聴き手に響く朗読とするためには朗読に適した意味の分かる詩で、朗読者はあくまで詩を理解し、詩の中継者であることを深く理解すること。
 さらに声には呼吸があり個性がある。故に表情を持たせ適度な演劇的な要素も考慮しなければいけない。平板ではなくリズミカルで、抑揚があり、声の高低・強弱・緩急の配合、間の取り方を工夫し朗読者・聴衆が共に立体的な場面の中にあるよう努力すべきだと分かりやすく述べていた。
 第二部ではアンソロジー詩集「いわての詩2020版」に収録されている自作品の朗読を参加者全員で行った。
 このアンソロジーは一人40行以内という制限の中で編んでいるもので朗読者、そして聴き手にとっても適当な長さであり、講演後の緊張感もほどほどにあり、有意義な朗読会であった。
 と同時にコロナに配慮し、開催できたこと自体に意義がある詩祭であった。
(岩手県詩人クラブ会長 照井良平)
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