会員情報

研究会の紹介

各地のイベントから(2015年12月20日~2016年6月30日受まで)

各地のイベントから(2016年6月30日受まで)

岐阜県詩人会 第四回定期総会
 講演「ブーバーの詩学」―われとなんじの世界―
 中村不二夫氏
 五月二三日(日)岐阜駅スクエアーGにおいて開催。冨長覚梁会長から、岐阜県在住の谷口謙氏の生き方が紹介された。
 議事に移って、役員の選出方法に関する会則の改定が提案され、原案通り可決された。
 続いて中村不二夫氏による講演「ブーバーの詩学―われとなんじの世界」を行った。
 まず、人間を掘り下げて書いた作品の評価が低い現状が問題としてあげられた。
 人間関係が希薄な「われとそれ」の社会では、ブーバーの思想、「われとなんじの関係」が詩の重要なテーマであることを具体的に詩を通して話が進んだ。
 「夕焼け」(吉野弘)をもとに「われとなんじの関係」をもつことの難しさを、次に「青春の健在」(高見順)において生活の多忙さを、「悲しめる友よ」(長瀬清子)では、人間は変わることを述べられた。
 最後にブーバーの思想全てが含まれている「人生の樹」(ハーバート・リード)の朗読で終わった。参加者が詩の朗読をするところに「われとなんじの関係」を実践する講師の姿が見られた。(文責 佐竹重生)

各地の声

中日詩人会
伝統に安住しないで、
      大胆にことばを紡ぐ

事務局担当 岩井 昭

 中日詩人会は、1951年(昭和26年)中部日本詩人連盟として、中部詩界の詩人たちを結集して発足しました。初代委員長は丸山薫でした。翌年より中部日本詩人賞(詩人賞、努力賞)が創設され、その後、範囲を広め、中部各県の詩人を加えて、詩活動の歳月を重ねてきました。1960年(昭和35年)中部日本詩人連盟の解散に伴い、中日詩人会へと組織が改められました。詩賞も中部日本詩賞(詩賞、次席)へ、1965年(昭和40年)より中日詩賞(詩賞、次席)と改称され、1996年(平成8年)の第36回の詩賞からは中日詩賞、新人賞となりました。詩賞対象は、中部八県(石川、富山、福井、長野、三重、岐阜、愛知、静岡)在住者です。
 中日詩人会もさまざまな変遷を経て65年余りの歴史を刻んできましたが、中日詩人会はこれまでに、「処女詩集の頃」1997年(平成7年)、「中部地方の戦後詩書年表」2002年(平成14年)、「中日詩人会の歴史」2004年(平成16年)、「中部の戦後詩誌」2006年(平成18年)を発刊してきました。これら貴重で地道な記録には、各地で活動している会員の献身的な協力がありました。
 現在の中日詩人会は会長・若山紀子、副会長・川上明日夫で、会員から選出された10名の運営委員を中心に運営されています。会員は、133名(今年度4月)。中日詩人会の主な行事は、
◎「中日詩祭」の開催
 中日詩人会として第56回目ですが、7名で構成する詩賞選考委員会で選ばれた中日詩賞・新人賞の表彰、講演(今回は長谷川龍生氏)、アトラクション(薩摩五絃琵琶奏者・細川華鶴子氏)、懇親会。中日新聞社との共催です。
◎「中日詩人集」の発刊
 第56号になりますが、4名の編集員が担当しています。昨年度には、装丁、体裁の再検討を行い、従来のハードカバーからソフトカバーにしました。詩人集の参加者は100名前後です。
◎「出版記念会」の開催
 毎年12月に「中日詩人集」の発刊を記念しておこなっています。会員の交流・親睦の場でもあります。
◎「会報」の発行
 年に3回発行しています。カラー刷りで最新号は186号になります。
◎「中日詩話会」の開催
 年5回、講演、研究作品の合評を各地域でおこなっています。案内と研究作品は中日新聞夕刊に掲載されます。又、詩話会とは別に詩について自由に交流できる場を検討しています。
 今年は愛知県で、「第31回国民文化祭・あいち2016」が行われます。「現代詩の祭典」として参加することを前提に、日本現代詩人会、一般社団法人日本詩人クラブと協議を重ねましたが、公募しないことになりました。今年度からは分野別に公募され、予算案、企画書を文化庁に提出し、文化庁が可否を判断します。公募する団体が会場の手配、運営等すべてを行います。県、市は関わってきません。中日詩人会は、昨年の六月に文化庁に公募の書類を提出し、その後も県や市と折衝をしてきました。その結果を踏まえ、日本現代詩人会、一般社団法人日本詩人クラブと相談の上公募を辞退しました。これもこの国の文化にたいする現在のバロメーターなのでしょう。
 中日詩人会は中部各県の詩人に依拠しながらも地方に籠もるのではなく、全国の詩の動きも注視していきたいと思っています。


各地の声
(2016年3月20日受まで)

十周年を迎えて
 富山県詩人協会
池田瑛子
 富山県に最初に詩人会「富山詩人懇話会」が結成されたのは一九六二年でした。二年後に「富山現代詩人会」(初代会長荻野卓司)と改称され、稗田菫平、高島順吾、青塚与市、池田瑛子各会長に引き継がれてきましたが二〇〇五年に解散となりました。この間、年刊詩集「富山詩人」は三二号まで発刊。第三集の一九六五年の「富山詩人」のメモには(高島高詩碑建設。北川冬彦氏来富、『北の貌』の詩人高島高が死んで十年目の命日。五月十二日に詩碑がたった。場所は滑川市行田公園内。詩文は「立山が見え、剣岳が見え、ひとつの思惟のように風が光る」碑文の書は北川冬彦氏…)とある。
 一九九六年に開催された「国民文化祭とやま」には秋谷豊、鎗田清太郎、石原武、高良留美子、鈴木漠、西岡光秋の諸氏が来富された。国民文化祭がきっかけとなり詩がより多くの方々に知られ、新たな交流が生れた。
 二〇〇五年十一月、富山現代詩人会の会員でもあった高橋修宏、本田信次が中心となり、「富山県詩人協会」が設立され、会員四十五名、会長田中勲、副会長吉浦豊久、池田瑛子、事務局長本田信次での船出でした。一周年記念には辻井喬氏が「今日における詩の在り方とは?」と題して教育、政治、歴史と幅広い見地から敵を味方にする力が日本には必要であり、それは詩人が先頭にたってする仕事である。詩は人間の美しい能力をひきだす力であると講演して頂いた他、川口晴美、田野倉康一、宮野一世、井坂洋子、池井昌樹氏らの講演に学んできました。
 隔年で発行の年間詩集「ANTHOLOGY TOYAMA」は今秋、第六集を予定しています。二年毎に自作詩の朗読会「ヴォイスミュージアム 詩人達の肉声を聴く」を富山県立近代美術館で開催。映像と音のパフォーマンスとのコラボレーションも好評で毎回百人余りの聴衆に励まされています。モノクロ写真と詩のフレーズの「もうひとつの詩」展や藤田和十版画展でのポエトリー リーディングなど、近年では二〇一二年秋、砺波市美術館との共催でロベール・ドアノー(パリ)の写真と会員の詩のコラボレーションは詩人達の個性際立つ思いがけない詩が生れた。昨年、十周年を迎え、ホテルグランテラス富山で現代詩資料館「榛名まほろば」館長で詩人の富沢智氏の講演会「詩と詩集の行方」を開催。朔太郎に触発された話や、谷川俊太郎のコレクションを譲り受けた興味深いエピソードが披露され、詩の表現形式が心の表現形式であると話された。自分の詩作については飛行機に例え、「読者を置き去りにして高く飛んでもしょうがない。小さな飛行機でもいいから自分が地上とつながっていたい」に聴衆が聴き入りました。
 会が発足当時の詩誌は「ネット21」「カラブラン」「えきまえ」「大マゼラン」「飛翔」など。現在は「漁舟」「氷見」「天蚕糸通信」「」滝口修造研究会の「橄欖」など。
 詩集賞の受賞者は中日詩人賞(田中勲)北陸現代詩人賞(松沢徹、高橋修宏、田中勲、柴田恭子、尾山景子、宮井徹)の皆さん。北日本新聞文化功労賞(池田瑛子) 例会では合評会や今年三年目に入る高橋修宏、本田信次による「戦後詩を読む」が続いている。
 大切な詩友だった吉浦豊久さん、浦田恵美子さんが逝去されました。
 新会員を待ち望んでいます。


各地の声(2015年12月20日受まで)
静岡県詩人会を担った人々
静岡県詩人会理事長金指安行

 静岡県詩人会は、昭和三十四年九月、六十名の詩人たちによって結成された。それからすでに半世紀を経過している。結成された背景には、それ以前の「東海詩人」や「日時計」に寄った詩人たちの弛まぬ活動や交流があり、そのメンバーが核となって、自然発生的に結成された団体であった。
 今、手元に静岡県詩人会が編纂した『年表*静岡県の詩の歴史*一四〇年』(昭和六十三年刊)がある。幕末の嘉永4年から掘り起こし、明治、大正そして昭和63年までの140年間を扱った書物である。県内の詩に関する多くの事象を、「詩集・評論集」「詩誌」、「詩的事項」の三分野に分け、編年体で記録している。
 年表を読んでいくと、いかに多くの先人たちが詩と係わり、心血を注ぎ、無名のまま、あるいは名を成して消えていったかを思い知らされる。そして、このように多くの人に膨大なエネルギーを注がせる詩の力とは一体何かを、改めて問い直される思いがする。
 希望と血気に溢れ、結成に携わった詩人たちも、当時は三十代や四十代、しかし半世紀以上を経過した今、ほとんどの方々が鬼籍に入られた。町田志津子、高橋喜久晴、大畑専、杉山高之、江頭彦造等々、会を牽引した優れた詩人たちであった。
 結成間もない昭和35年2月には、早くも第1回横浜詩人会との交歓会が開催された。横浜からは近藤東、篠原あや、川口敏男、長嶋三芳等(いずれも敬称略)が参加している。以後断続的に交歓会は続き、平成24年度には13回を数えている。
 結成当時の県詩人会の内規を見ると、詳しい規定は設けず、親睦機関として、また外面的には現代詩の普及を目指し、詩画写真展、講演会、研究会、年間詩集の刊行等を主な活動としている。県内を東部、中部、西部に分け、それぞれの地区会員の親睦と研修をも図ってきた。全会員を対象とした「新春現代詩講演会」(現在の「ポエム・イン静岡」)や地区別研究会でお招きした講師は、秋谷豊、安西均、吉原幸子、三木卓、吉野弘、木津川昭夫、新川和江、西岡光秋、谷川俊太郎、吉増剛造、ねじめ正一、長谷川龍生等々(敬称略)多岐に渡っている。最近は古屋久昭氏、野村喜和夫氏、一色真理氏、菊田守氏、八木忠栄氏、以倉紘平氏等、親しく謦咳に接しながら、多くを学んできた。今年(平成28年1月)の講師には、先達詩人として昨年日本現代詩人会から表彰された熱海市在住の会員、新藤凉子氏をお招きすることになっている。
 発足の年から始めた「県詩人会会報」も現在125号(年2~3回発行)となった。2年間隔で刊行している「静岡県詩集」は24号を数えている。その他、年に一度、県内や近県の文学散歩を行っている。6年前に掛川市で開かれた国民文化祭には、研修として山梨県詩人会が見えられた。翌年の山梨県での国民文化祭には静岡県詩人会からも多くの会員が参加し、以後親交を重ねている。昨年は長野県詩人会とも交流を行った。
 県芸術祭との関わりや会員の高齢化、会員数の減少による弊害なども書きたかったが、紙数の関係で省略することにする。

各地のイベント

高知詩の会、秋の催し
   長尾軫講演「食はポエジー」

 「食」をテーマとする高知詩の会の催しが、’15年10月25日、高知会館で開かれた。長尾軫の講演要旨は次の通り。
 食と美の巨人、北大路魯山人はいっている。各々の食材の自然の味を味わうこと、美味いものを食べるのではなく、美味しく食べることが、一番大切だと。食の歓びは、自然と人との合一を愉しむことであると。草野心平の「花肴」を例に、わたしが少年時より食してきた野鳥や野性動物の味覚を伝え、人は常日頃何を食べてきたかによって、その人の知覚が決り、眼差しが決まる。自ずから使う言葉、書く言葉が決まってくる。
 是非、猪一頭丸ごと喰い、野性動物の知覚を。ムクドリを喰い、鳥の眼差しを。山椒魚をおどり喰いし、両生類の知覚を。イタドリを喰い、野草の眼差しを身につけよう。そうすればわたしたちの身体の奥深く閉じ込められている野性の知覚がめざめ、全く新しい言葉が生れ、新しい詩が生れる。かもしれない。のです。――
 講演のあと、萱野笛子、小松弘愛、田朋子と林嗣夫が、それぞれ高村光太郎、石垣りん、短歌や俳句の、食にかかわる作品を朗読し鑑賞した。
(高知詩の会事務局、林)

関西詩人協会総会・英訳詩集
   『言葉の花火』出版記念会
 
 関西詩人協会の総会及び三年に一度発行の英訳詩集『言葉の花火』の出版会が、十一月十五日大阪リバーサイドホテルで行われた。『言葉の花火』は会員六十六名が参加して、翻訳を四名が担当。この日会員六名が自分の詩の朗読、翻訳担当のノーマン・アンガス氏(大学教授)が英語で朗読をした。
 続いて講演が行われた。(出席者 七十九名) 「関西詩界の戦後を振り返る」『小野十三郎~詩誌「山河」~「BLACKPAN」~大阪文学学校』と題して詩人で文芸評論家の倉橋健一氏に講演をして頂いた。

 今年は戦後七十年で戦後詩ももうすっかり歴史に組み込まれて行くようになった。そこで今日は戦前昭和十五年に奈良と言うローカルな地で小学校の先生が四五人集まってはじめたモダニズムについて話そうと思う。冬木康、右原尨が中心で、日高てるは二年後に入会している。当時関西には小野十三郎、伊東静雄に、モダニストでは著名な竹中郁、安西冬衛がいたが、これらの人々とは無縁なままはじめた運動としても注目していいと思う。おまけに彼らは時流に流されなかった。戦後もがんばって出版活動も展開、小野十三郎「抒情詩集」永瀬清子「美しき国」北川冬彦「蛇」日高てる「めきしこの蕋」等を出したが、ジャーナリズムが復活していくと力をなくしていく。
 一九五五年「爐」は終刊する。同年に右原尨によって「BLACKPAN」が創刊された。歴史的な流れのうちでは、リアリズム詩の運動として有名な「山河」の創刊も大阪文学学校の創設もその後に誕生する。その点、自分の内部と外部をしっかり見るリアリズムである。小野のまわりは元気があった。「山河」は戦後詩の社会派として「荒地」と平行して語られる。「列島」の創刊同人にも長谷川竜生、浜田知章らを出し、この流れの中で、小野十三郎を校長に大阪文学学校も発足し、こちらは現在も続いている。「山河」のほうはつい先日復刻版も出た。
(文責 名古きよえ)

「板橋・詩のつどい」報告書
 
○本年度の板橋区民文化祭の一環である「詩のつどい」が、10月25日、区立文化会館大会議室でおこなわれました。参加者は、ほぼ例年と同じ九十名ほど。
○最初に板橋詩人連盟・中原道夫会長の開会の挨拶。来賓として、菊田守先生の祝辞。ついで、選考委員長・竹下義雄から、三賞の選考経過と受賞者の発表。区長賞は池上泰子の「柿の木」、議長賞はみやざきりえの「立春」、教育委員長賞は関本美杏の「私は」にそれぞれ受賞。毎年かならずご自身臨席される坂本健区長から賞状授与と祝辞。三氏がそれぞれ、受賞作を朗読。
○記念講演として、詩人クラブ元会長・中村不二夫先生の「私の選んだ現代詩」。詩数篇の朗読を挟みながら、現代詩最大の課題ともいうべき〈わかりにくさ―詩が一般に読まれない〉問題について、聴衆の心に食い込むように切実に話されました。その緊張をほぐすように、小山義和氏のアルプスホルンとヨーデルの演奏がおこなわれ、これは天来の音楽でした。閉会の挨拶は、板橋詩人連盟理事長・山川久三。場を変えての懇親会も盛会。(山川久三 記)

みえ県民文化祭現代詩大会
 
 十月十二日(体育の日)午後一時三十分より、三重県総合文化センターに於て、第二十一回みえ県民文化祭現代詩大会を開催。応募作品は四十篇、当日参加者は三十名。
 表彰、合評会のあと、倉橋健一氏の「詩のことばの自由ということ―山頭火の俳句からかんがえる」と題しての講演がありました。
〈講演の要旨〉
 現代詩は自由というが、自由詩は、自由という言葉に縛られて、自由が逆に迷路に入ってしまっている。七十年経過し、既に伝統詩となっている。
 いま、定型から学び、文語詩型を取り入れることが必要ではないか。
 文語詩型により、記憶に、より鮮明に残される詩行、例えば〈ふるさとは遠きにありて思ふもの〉のように。
 今回は、短い詩行の中から、詩の魅力を再検討したい。山頭火の俳句に手がかりを求め、一行詩を考える。
 季語、五七五を外し、自由律で書く。
〈どうしようもないわたしが歩いている〉
 この作品は、読み手が自由に解釈できる俳句だが、自由詩型なのに俳句というおもしろみがあるが、山頭火にとって、この作品は、俳句でなければならないという執念と情熱があった。
 それが俳句であり、詩であるという凛然たる姿勢をもつくっている。
 実作としては、連を作らず書く。その中に、より良い魅力的な素晴らしい言葉が生まれ、光る一行が生まれる。
(三重詩人クラブ 村井一郎)

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