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「宗左近詩碑について」他(2015/12/20)

宗左近詩碑について

  宗左近詩碑の建立が決まりました。

  宗左近(日本現代詩人会先達詩人)没後10年となる2016年5月を完成予定としています。場所は、終の棲家となった市川市にある里見公園です。

  詩碑は、宗氏と40年来親交のあった彫刻家中村ミナト氏にデザインを依頼しており、「曙 いま 世界が垂直/市川 蕊の蕊の透明/はばたく 虹の風たち」が刻印され、縄文精神の継承と未来へ沸き上がる虹の架け橋となることを目指しています。

  宗左近詩碑建立の会では、みなさまからのご支援、ご協力を頂戴し、多くの方々からの善意による寄付をもって詩碑建立に反映していきたいと願っています。ご賛同いただける方は下記へご連絡ください。

 

宗左近詩碑建立の会

  事務局代表 能村研三

  〒272-0021市川市八幡6-16-19

  FAX 047-333-3051

  Eメールsohsakon_shihi@yahoo.co.jp

 

TEL 090-9321-7403 戸谷晃一

      090-1732-4653  伊東美佐子

 


 

 

追悼

激しく暑い夏です 安水稔和

 

 伊勢田史郎さんが亡くなった。7月20日、享年86歳。

 

 あれは今から55年前、60年安保の年だった。神戸の若い詩人たち4人、中村隆・君本昌久・伊勢田史郎・安水稔和が集まって神戸発の公器的詩誌「蜘蛛」を創刊した、熱い時代に向き合うべく。5年後に「蜘蛛」は8号で終刊したのだが、それから半世紀、私たちは共に時代を走り続けた。

  伊勢田史郎さんには10冊の詩集がある。戦後の時代の空気を鮮やかに映し出した『幻影とともに』、足元を見定めつつ遠く広く見詰める『山の遠近』『低山あるき』、超自然・説話・伝承の世界に見事に参入する『龍鐘譚ほか』、最後となった『海のうえの虹』など。また、地方史『船場物語』や探訪『日本人の源郷熊野を歩く』など著書多数。阪神・淡路大震災後は芸術による被災地再生を目指す「アート・エイド・神戸」の活動に奔走。戦後すぐ、「神戸詩人事件」に連座した詩人小林武雄さんに師事して詩を書き続け、後年神戸の詩人たちを論じた好著『神戸の詩人たち』を上梓した伊勢田さんは、神戸生まれの神戸育ち。まぎれもなく<神戸の詩人>だった。

 

 「蜘蛛」の仲間の生年は、中村隆1927年、君本昌久1928年、伊勢田史郎1929年と続き、安水は1931年。すでに中村が逝き、君本が去り、次はどちらだろうねと言い合い、年の順から言えばあなただよと私が言い、会うたびにおれが先だからなとあなたは言い続け、とうとうそのとおりになってしまったじゃない、伊勢田さん。

   1人残されなんとも暑い夏です。55五年前のあの年と同じように激しく暑い夏です。

 

 

加賀谷春雄さんを悼む 麻生直子

 

 加賀谷春雄さんは1934年東京生まれ、この7月28日に81歳で逝去された。加賀谷さんから7月15日付の葉書を戴き、筆圧のない乱れた文字で、5月から身体の激変に襲われ、肝臓がんと判明。自宅静養中であることや、「潮流詩派」60周年記念号が届き、回想記掲載と、その発行を喜び、愉しかった時間に浸りますと綴られていた。その日から間もない死を、翌月、氏の長年の友人からの電話で知った。

 

 加賀谷さんは村田正夫らと共に潮流詩派の会を結成し、今日迄「潮流詩派」を支えて来られた。1958年の第一詩集『道路予定地』以後、『不慣れな時代』『十一違い』『十一才の空想の空』『象のインデラ』『あれからこっち』『二つの行方』、詩論集『詩と時代』の他に、人形劇脚本集『夕焼け空/鉄砲』などもある。戦争中、11歳から18歳迄を疎開先の福井で過ごし、帰京後は國學院大學で〈児童文化〉に関わり、社会人として、詩作と共に人形劇団での公演活動もされた江戸文芸に愛着を持ち、現代詩に反社会や風刺や笑いを反映させ、多くの秀作を残された温厚で芯の通った先輩との惜別である。

 

 

笠井剛さんのこと 杜みち子

 

 笠井さんの奥様から電話を頂いて、埼玉詩人会理事仲間だった巴さんと、東松山の病院に伺ったのは5月14日。笠井さんは大分痩せられて、うとうとされていましたが、声をかけると「ありがとう」と仰って握手することが出来ました。

 

 その2週間後の5月29日に逝去されたのです。敬虔なクリスチャンの笠井さんの葬儀は、東松山聖ルカ教会で行われました。享年83才。

 

 初めて笠井さんにお会いしたのは、1999年夏、埼玉詩人会の理事会でした。穏やかな印象でしたが、篤実でリーダーシップのある楽しい方でした。後に伺うと立教大学の事務方の責任者をなさっていらしたのでした。埼玉詩人会の理事任期4年の後半の2年間は、理事長を引き受けて下さって、多くのことを教えて頂きました。

 

 詩人としての笠井さんは、主に自分の存在の根源について問う詩が多く、神と対話するような詩も書かれています。知的でユーモアもあります。山梨県出身で、郷土の想い出に依る詩も多いのです。同人誌「箱舟」に所属。後に日本キリスト教詩人会の詩誌「嶺」に参加されていました。

 

 詩集は「森の奥で」「同じ場所から」「続きの夢」「フォルム」「庭の情景」の5冊を遺されました。

 


 

新名誉会員それぞれの歩み

 

平林敏彦氏 戦後現代詩の昴揚期に詩人会入会

 

 まず、日本現代詩人会の名誉会員に推挙して頂いた事を、会員の皆さんに感謝いたします。果してそれに価するかと反省しながら、そう呼ばれるにふさわしい詩人でありたいと願うばかりです。思えば私が入会したのは敗戦後まもなく、たぶん村野四郎幹事長の時代で、黒田三郎の詩集『ひとりの女に』が第5回H氏賞を受けるという戦後現代詩の昂揚期でした。当時、私は「新詩派」というしがない同人誌をつぶすところでしたが、それ以後の略歴を簡単に記してご挨拶に代えたいと思います。

 

1924 横浜市生まれ、十六歳頃から「四季」「文芸汎論」等に詩を投稿、掲載される。

1946 「新詩派」創刊、二号から田村隆一、鮎川信夫、三好豊一郎、牧章造らも参加。

1951 「詩行動」を中島可一郎、難波律郎、飯島耕一らと創刊。第一詩集『廃墟』刊。

1954 詩集『種子と破片』。「今日」を大岡信、清岡卓行、吉岡実らと発行する。ほかに詩集『磔刑の夏』『舟歌』『ツィゴイネルワイゼンの水邊』『詩的時代の証言』等。

 

 

藤富保男氏 ボールと笛と詩と

 

*詩人会──2005年からの安藤元雄会長の折に、何回目かの理事の仕事をさせていただきました。何も役立たず相済みませんでした。今回、名誉会員に推挙され身のすくむ思いです。ありがとうございます。

 

*私的略歴──ぼくは1928年8月15日生まれで、敗戦記念日が誕生日で、徴兵年齢が一年毎に引下げられ、いよいよ徴兵になるという土俵際でした。

 

 小学校から蹴球(今のサッカー)の選手でしたが、戦時中は大会もないので、外語に入ってから夢中でボールを蹴っていました。しかし大きなスタジアムで試合をするという夢は実現できず、レフェリイの道を取ることとなりました。Jリーグが始まる前で、関東の大学の公式試合など担当しました。のちにレフェリイとして表彰されました。

 

 詩の方は母校の東京外語大の安藤一郎先生(当詩人会の会長=1963~64年度)のお宅で、英米の詩を読む会に出させてもらいました。


平澤照雄氏 H氏賞全作品65巻をCDで保存

 

 H氏賞も今年で65回となりましたが、昭和59年に設立された公益信託平澤貞二郎記念基金もバブルの崩壊によって減少の一途をたどり、余命幾ばくも無くなってしまいました。それで平成19年の協栄産業の創立60周年記念行事の一環として、それを永続できるように毎年支援することと致しました。

 

 またそれと同時に全国の図書館を調査致しましたが、H氏賞受賞作品が全巻揃っているのは福井県坂井市立三国図書館にしか無いことが判明致しましたので、同館のご了解の元に市立三国高校の指導教諭と女子生徒さんのご協力を得て全巻CD化に成功しました。初期の朽ちてしまった詩集も永久保存が可能になりました。その後も継続しておりますので全65巻を会社で保存しています。

 

 著作権の問題がありますので一般公開はしておりませんが、ご要望があればご覧頂くことは可能です。

 

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