国際交流

最近の国際交流

「詩の檻はない」──ソマイア・ラミシュさん支援について

               野村喜和夫(国際交流担当理事)

 今夏、『詩の檻はない~アフガニスタンにおける検閲と芸術の弾圧に対する詩的抗議』が刊行されました。この詩選集は、アフガニスタンから亡命し、オランダに在住しているソマイア・ラミシュさんが世界に呼びかけ、それに応じて、日本での支援中心メンバー・北海道詩人協会の柴田望さんが日本の詩人たちにも呼びかけた結果、編まれたものです。佐川亜紀前理事長によれば、日本のウエッブ・アフガン主宰・野口壽一さんから2月末に日本現代詩人会に支援依頼があり、2022年度の理事会では、締め切りが迫っていたため「個々人の判断で参加し、会としては参加しない」ことに決めたとのことです。詩は言葉の自由と同義であり、どんな場合であれ、それが抑圧されるようなことがあってはなりません。ただ、日本現代詩人会は、このような場合に統一的な見解を表明するような組織ではないため、10月19日の第3回理事会で私野村が、前理事会の取り決めを踏襲しつつ「個々人の支援」を発議したところ、賛同を得ましたので、ここに報告します。支援の方法や手続きなどについては、柴田望さんに問い合わせてください。なお、12月に東京で開かれる KOTOBA Slam Japan2023 にソマイア・ラミシュさんが招待されるそうです。

よろしくお願いいたします。

 


国際交流2023「日本と台湾の詩の今」の報告
  言葉に賭ける詩人たちの共演

            渡辺めぐみ

開会の言葉 八木幹夫会長

司会進行 杉本真維子氏


鴻鴻氏

蔡雨杉氏


 三月十八日(土)に早稲田奉仕園のリバティーホールにおいて、杉本真維子国際交流担当理事の企画による日本現代詩人会のイベント「国際交流2023 日本と台湾の詩の今」が開催された。第Ⅰ部は、杉本理事の司会のもと、八木幹夫会長が開会の辞の中で、二十年ほど前に台北の故宮博物院で中国本土から運ばれた財宝の翠玉白菜を見て感動したと語り、台湾の詩人達のビデオレター(日本語訳…謝惠貞氏)の上映への関心を喚起するところから始まった。鴻鴻氏の動画「自由には、戦いを――今、私の詩歌に対する想い」は、映画監督でもある詩人自らが今回のために制作してくれたものだ。かつて文字や音韻が引き出すおぼろな美しさに惹かれ叙情詩が好きだっが、今は詩が直接的に現実と向き合うべきだと考えるようになったと語る。天安門事件の犠牲者を悼む詩や台湾の反対運動雑誌に寄付しただけで秘密警察に殺された陳文成の碑文のない記念碑についての詩などの五篇を紹介。弾圧された人々の人権を訴えた力強い詩群に特に感銘を受けた。蔡雨杉(本名が謝惠貞)氏は、現代詩と初音ミクの歌詞を創作する活動により台湾で受賞歴を持つ日本文学の研究者だ。動画は、空襲などの歴史の傷みを踏まえた詩から台湾中部大地震による事故で逝った母に捧げる詩までの詩群が、自然を取り込んだ活き活きとした描写で鮮やかに時代を映し出した。「夢心地 素敵一番」などの熟語の配列の妙を初音ミクの唄声で楽しむ詩も面白かった。
 第Ⅱ部は四人の日本詩人による詩の朗読からなり、最初に第二回日本現代詩人会投稿欄の新人賞を受賞し第一詩集『声霊』を上梓した橘麻巳子氏が詩集の詩他一篇を朗読した。橘氏の詩は意味を解体し部分から独自の世界を立ち上げる。体験の衝撃と現象の経緯を俯瞰する眼差しの並立が耳で絵画を聴くような印象を残した。次にH氏賞受賞者の石田瑞穂氏が、雪の木曽山脈に失踪し社会と隔絶して言葉だけが残った詩集であるとの自己解説の後、昨年上梓した長篇詩集『流雪弧詩』から五箇所を朗読した。「詩は思考しないでいる力だ」などの詩行が屹立。僧侶でもある詩人の、事象の深部を見つめる奢りなき視線によって綴られた生への真摯な探求の過程を垣間見る思いがした。続いてH氏賞受賞者の中島悦子氏が連作散文詩を二篇朗読した。中島氏の自己解説によれば、コロナ禍の現状を表現するのに歴史的軸を持ちたいと思い、天武天皇に仕えた稗田阿礼が転生し甥に生まれ変わったという設定で書いてみたそうだ。一篇目の朗読詩は、政府の給付金を受け取る国民感情、ノアの箱舟になぞらえた方舟による集団脱出願望、阿礼が女性とも言われた説を前提にした甥の性別不明への偏見などを鋭くドライな語り口で風刺。二篇目は、外出自粛命令に逆らった甥との旅を通じ却って深まる閉塞感をあぶり出す。鴻鴻氏の「直接的」という言葉を思い出させる朗読だった。最後は『薄明のサウダージ』で現代詩人賞を受賞している野村喜和夫氏が受賞詩集から三篇を朗読した。野村氏の自己解説によるとモンスター的存在か未知のウィルスを想起させる指示代名詞「あれ」の復活を描いた詩には存在の深淵を覗く怖さが、「遠いオレンヂ」に連れていかれた私たちをめぐる詩には誕生と死のいまだ不分明なカオスへの「サウダージ」(郷愁、切なさなどの意)が、私たちが閉じ込められている船について語る詩には生きることの疲労への慰藉が感じられた。杉本理事が閉会の辞を述べ充実したイベントが終了した。

受付 鹿又夏実氏・宮田直哉氏

会場風景



「国際交流2023」
 参加者(50音順・敬称略) 35名

(会員)28名
青木由弥子、秋亜綺羅、石田瑞穂、岡島弘子、長田典子、鹿又夏実、北畑光男、恭仁涼子、佐川亜紀、杉本真維子、鈴木正樹、田村雅之、塚本敏雄、中井ひさ子、中島悦子、中田紀子、新延拳、根本明、根本正午、野村喜和夫、服部剛、林新次、光冨幾耶、宮崎亨、宮田直哉、八木幹夫、山田隆昭、渡辺めぐみ

(一般)7名
小松誠司、生野毅、杉本明子、橘麻巳子、谷口鳥子、三須佑介、若松千尋
         (集計/宮田直哉)
(動画撮影/光冨幾耶・写真撮影/服部剛・録音/根本正午)

***

こどもの日に碑文のない「陳文成記念碑」を見学する
 鴻鴻(ホンホン)  訳・謝惠貞(シャ・ケイティ)

記念碑には碑文がない
私たちは皆、犠牲者なのだから
かつては巨大な手にしっかりと握られていた
夜中に投げ捨てられさえもした

記念碑には碑文がない
私たちは皆、加害者なのだから
かつては隣人の嗚咽に耳を塞いできた
威厳のある銅像に敬礼さえもした

記念碑には碑文がない
誰が消された名前をまた消したのか
未来への道の先に、
誰が記憶のブラックホールを設けてしまったのか

記念碑には碑文がない
子供がどのように真っ黒な鏡面を読み取るかはわから
 ない
「イエスにはもう一つの名前がある」
彼らは自分のものを書くのだろうか
(全文)

鴻鴻 (ホンホン) 詩人、舞台・映画監督。台南生まれ。呉三連文芸賞を受賞。詩集『楽天島』、『跳浪』など9点をはじめ、エッセイ『阿瓜日記―80年代文青記事』、評論『新世紀台湾劇場』、小説、脚本などを出版。日本語の詩集には三木直大編訳『新しい世界』がある。季刊詩誌『衛生紙+』(2008-2016)、『爵士(ジャズ)詩選』の編集を手掛け、40以上の演劇、オペラ、ダンス作品の監督も務めている。現在は台北ポエトリー・フェスティバル、人権芸術生活フェスティバルのキュレーターとして活躍するほか、黒眼睛文化(Dark Eyes Ltd.)、黒眼睛跨劇団(Dark Eyes Performance Lab)を主宰している。

***

「音楽による宇宙遊泳」 
 蔡雨杉(ツァイ・ユーサン)  訳・謝惠貞(シャ・ケイティ)

宇宙のメロディーを調律し、電波を送る
星の蓄積したエネルギーが時空を奏でる
衛星がフーガのように
星雲の中をワルツのステップで自転公転する
変奏された彗星の軌道で
別れて久しい魂たちが出会う
新たな匂いを識別し、摩擦で熱を生む
リズムを破り、トーンを燃やす
ミューズの名を偽る予感をたなびかせ、
ブラックホールの端から出発し、改めて問いただされ
 た意義が
コードの間、モチーフの前に深く根づき
平均律は神祗のロマン、休止符は精霊の充溢
無重力ながら独自の感動のルートがある
二十億光年の外、量子の連結相関の呼応
弦外の音を密輸し、ひそかに陶酔して
地球の感動と共鳴する
(全文)

蔡雨杉 (ツァイ・ユーサン) 東京大学文学博士、台湾・文藻外語大学准教授。日本と台湾を意識しながら現代詩と初音ミクの歌詞を創作する活動で台湾の全国優秀青年詩人賞を受賞。2022年International Pacific Poetry Festival(in Hualien)映像詩部門受賞。著書に『横光利一と台湾—東アジアにおける新感覚派(モダニズム)の誕生』、『旅する日本語』(共著)、『臺灣書旅:台湾を知るためのブックガイド』(共著)、『大人の村上検定』(共著)。訳書に杉本真維子詩集『裾花』、西成彦『外地巡礼:越境的日本語文学論』、『文学青年育成ガイド―台湾文学史基本教材』(共訳)がある。  


世界の現代詩

 2022年第7回日韓詩人交流会
   気候危機に対して詩人は何をすべきか。
                        佐川亜紀

 2022年12月2日の19時から21時まで第7回「日韓詩人交流会」が開催された。主催は、韓国作家会議・日本語文学会。後援は、韓国文学翻訳院。司会と通訳は、韓国外国語大学教授・徐載坤(ス・ゼコン)氏と韓国作家会議国際部長の金応教(キム・ウンギョ)氏。韓国の詩人は、ファン・ギュグァン、ムン・ドンマン、キム・ヘジャの各氏。日本の詩人は、杉本真維子、渡辺めぐみ各氏と佐川亜紀が出演し、ZOOMとYouTubeで公開した。
 ファン・ギュグァン氏の詩「人間の道」は、「クジラの道と/ゴカイの道と/タヌキの道と/カブトムシの道と/スミレの道と/アベマキの道と/シベリアセンニュウの道があり(中略)ついに人間の道だけが残った/そして人間の道の横に/道に迷った人間が捨てられている」と迷妄の果てを説く。
 ムン・ドンマン氏は、「伴侶」という詩で「私は常に他者の肉を食物にして生きる人間」という定めをみつめ、散文詩「水田を思いながら」では、「命の遺跡」として描く水田が美しい。
 キム・ヘジャ氏の「ハッピーランド」はアイロニーに富んだ題名で、インドネシア最大のゴミ埋立地で缶などを拾う少年少女を書く。「うつ伏して泣く人の話を、聞いて書くのが詩だ」、「許しを請う瞬間、決まりの悪いつぶやきが詩だ」と考える詩精神が心に残る。
 杉本真維子氏の詩「山暮らし」は、撃たれた「いのしし」が「わたしが何かしたか。」との問いを発し、人間の自責も含め重層的な内省だ。随想では、川崎洋の詩「やさしい魚」「ひどく」にふれ、詩は「物事の本質のようなものを心に届けることだ」と語った。
 渡辺めぐみ氏は、詩「植樹祭」「ゆずり葉」「珊瑚に生まれて」を朗読し、困難の中でも再生への祈りを続ける意志を示し、随想では、「季節の気配の影響」に敏感だった幼い頃からの思い出を文学との関りとともにたどった。
 佐川は、詩「沈む島 沈む言葉」を読み、前に共編訳『日韓環境詩選集 地球は美しい』を刊行した話をした。
 討論では、詩作と実践など根本的な問題も提起され、視聴者からの感想も交わされ、意義深い会だった。

ムン・ドンマ氏

キム・ヘジャ氏

ファン・ギュグァン氏

ス・ゼコン氏

佐川亜紀氏

渡辺めぐみ氏

杉本真維子氏








●国際交流

チェコ共和国・チェコセンター東京企画「街角詩人ロボット」
―人間がロボットになりかけている今、ロボットだって詩人になれる―

2022年7月29日(金)に「チェコ共和国EU理事会議長国記念事業」として「街角詩人ロボット」のオープニングイベントにチェコセンター東京より招待を受け、佐川亜紀理事長が参加した。会場は、渋谷・Bunkamura B1F。
8月28日(日)まで開催。(たまプラーザ駅(横浜市)周辺他でも実施予定。)

廃材でできたロボットはガチャガチャ(カプセルトイ)機能を持ち、100円玉を入れてレバーを回すと、カプセルの中には、チェコの16人の若い詩人たちが現代社会に向けてつづった詩と、チェコの国樹である菩提樹の種が入っているというユニークな企画である。
「チェコセンター東京によるこの「街角詩人ロボット」プロジェクトは、詩というクリエイティブな方法で、日本の公共空間でチェコおよびEUの価値観に触れる機会を作り、デジタル化が進む現代社会における生き方について考えるきっかけを作ろうとするものです。」
「詩を配るロボット「HELENKA CZYAD2022」(通称ヘレンカ)は廃材から作られたもので、チェコの作家チャペック(戯曲「ロボット」を創作)が遺したテクノロジー誤用への警鐘を表していると同時に、普段詩に触れることのない層にも楽しめる存在となっています。」
ロボットオブジェのデザイン・制作には横浜美術大学が共同主催者となっている。
詩の新しい可能性を切り開く、たいへんおもしろい企画である。
デジタル化と人間の関係、環境破壊と自然など、切実なテーマについてチェコの詩人たちを中心に考えていて、詩が大切にされていることに勇気づけられた。

<トイカプセルの中の詩>
***
膝がくずれる
こんなはずじゃなかった
眩暈がして生と死の境界がぼんやりとしてくる
青く曖昧なライン
見通せるのは八十パーセントくらいであとはぼやける
こんなはずじゃなかった
燃えた繫ぎ目
青いベルベット
これが人生のはずだった
(詩:ミハエラ・ホリノヴァー、訳 佐藤徳子)



写真1 佐川理事長、街角詩人ロボット・ヘレンカ氏、チェコセンター所長・高嶺エヴァ氏、チェコセンター・稲岡由香氏


写真2 街角詩人ロボット・ヘレンカ氏


写真3 ガチャガチャから出て来た詩のカプセル


写真4 カプセルに入っていた詩とボダイジュの種とロボット詩人のシール

ロボット設置詳細:https://tokyo.czechcentres.cz/ja/program/robot-poet-shibuya




韓国詩人・呉世栄氏との交流

韓国詩人・呉世栄氏

韓国詩人・呉世栄氏

 

呉世栄(オ・セヨン)のアンソロジー『千年の眠り』刊行に際して

  

                       徐載坤(ス・ゼコン、SUH,JaeGon)
(韓国外国語大学 日本語翻通訳学科 教授)

徐載坤( ス ゼコン)氏と野村喜和夫国際交流担当理事

徐載坤( ス ゼコン)氏と野村喜和夫国際交流担当理事

  2015年は日韓国交正常化50周年という節目の年であった。そこで、北川透詩人と両国の詩人交流を発案し、<日韓詩人交流会>というタイトルで、ソウル・大邱(15)下関(16)京畿道城南(17)東京(18)大邱(19)で、毎年、開催してきた日本から、北川透、福間健二、野村喜和夫、渡辺玄英、カニエ・ナハ、岡本啓、暁方ミセイ参加した。毎回、テーマを決め、そのテーマと関連した自作詩と自国詩を選び、れらの詩世界について報告する形を取ってきた。
 20184私は東京外大の特別招聘教授として大学院で萩原朔太郎について講義していた。ちょうどその、暁方ミセイ第9回鮎川信夫賞詩集部分受賞されることになりそれを祝ため出席した授賞式で、北川詩人からその年の交流会の参加者として野村詩人を紹介していただいた。その年の7月、「文化と言語、生態と文学」というテーマで東大駒場キャンパスで開かれた交流会において、野村は「文化の変容と詩のサバイバルという題語られた。翌年2019年の交流会のテーマは「現代詩とヒーリング・癒し」であったが、「詩は癒さない(ことで癒す)」(野村)、「ハン(恨)の詩的治癒()という報告があった。そして、去年、日本で交流会と、それに合わせ詩人翻訳詩集出版企画したが、残念ながらコロナ禍で交流会中止となり、翻訳詩集の刊行も延期せざる得なかった
 呉韓国現代詩壇を代表する詩人の一人、現在、韓国芸術院会員である。1965年に登壇し、今まで30に及ぶ詩集(禅詩集・時調集を含む)を刊行する一方ソウル大学国文科を退任後も詩論・評論家として活躍している
 彼は韓国現代詩の歴史そのものであり、世代を超えた読者層から愛されている。1945年、日本の植民地から独立して近代化、産業民主化の過程を経て先進国の仲間入り果たすまでの、世界で類のない激変を通過した韓国社会を、彼独自の感性を以て抒情詩の領域で詠みあげてきた
 登壇当時作品産業化とともに崩壊していく韓国社会の様相を、伝統的抒情性の否定と解体の作業を通じて描かれた。中期詩においては、独裁政権下不条理を現代人の実存的な苦悩に重ね、仏教と中庸等の東洋思想に基づいて形而上学的レベルに昇華させた形跡が色濃いそれ以降に<自然抒情詩>と称される新たな作品世界切り開いた現代文明社会の危機は、人間と自然との調和融合によって克服できるという詩人自身の信念を、社会と人間そのものに対する愛情で表出した。
 50年に及ぶ彼の長い詩的道程は、イメージの造形、存在の探究、東洋的な精神世界の追究、文明と現実への批判、自然との合一、寂滅への無言の精進であった。そして、詩と人生の本質を探究する詩人の航海はまだ終わってはいない。
 詩選集『千年の眠り』は2012年に刊行されたが、今回の日本語版ではそれ以後発表された新作も加え81200ページボリュームとなった。これを機に呉詩人から日本現代詩人会の皆様へメッセージを紹介させていただく

 

 20冊を超える私の詩集の中に最もよく登場する詩語は、水と火と風(空気)と土、そしてこれらを変奏したものである。水、火、空気、土はいうまでもなく、古代ギリシャのエンペドクレスとアリストテレスが指摘したように世界を構成する4大元素として知られている。私は、それらを頂点に立て、その中で繰り広げられる生の多様な現象を言語の網で掬いあげてきた。その過程で、一番重視していたのが<バランス>感覚である。言い換えると、互いに対立しているこの世の様々な価値を東洋的叡智によって統合する想像力であると言えるだろう。

 

 在日コリアン詩人金時鐘自作詩選集『祈り』(丁海編、港の人)に寄せた文章で、「詩はつまるところ、物の見方、感じ取方の表れである。何を基準に見て取り、感じ取っているかが当然問われてくる。つまり共有しているつもりの世界観や芸術観に独自の考えを持ち込むことで、その詩人の資質が高められてゆく書いている
  のアンソロジーに露呈されている多様なパラダイム、日本の現代詩人の皆様の心に届き、共有と共鳴が巻き起こることを期待する。

2019年 韓日詩人交流会

2019年 韓日詩人交流会

 

 




● 国際交流

 カザフスタンの詩人・哲学者 アバイ・クナンバイウル
        ―生誕175年に因む交流会

 カザフスタン共和国の詩人と日本現代詩人会との交流は、2017年11月に秋亜綺羅理事長と鈴木豊志夫国際交流担当理事(いずれも当時)が参加して始まっていた(会報149号参照)。その後2019年には、建国28年記念のレセプションに招かれ、黒岩会長と新延理事が参加していた(ホームページ・国際交流の項目参照)。
 こうした過去の経過を経て、2020年がカザフスタンの国民的詩人・哲学者であるアバイ・クナンバイウル(1845~1904)の生誕175年に当たり、その著作集が10か国語ほどに翻訳され出版されることになった。日本語版もできるので、日本からも「アバイワールドチャレンジ」として、アバイの詩の朗読とお祝いのメッセージを収録して欲しい、と同国大使館より依頼があり、8月14日に山田が同大使館に出向き収録した。
 朗読した作品は「春、真っ只中」という長篇詩の冒頭部分だった。

 春、真っ只中、冬の痕跡は無くなって
 絹のように光る大地の表面。
 すべての生物と人間が外に飛び出し、
 太陽は親が子を撫でるかのように、暖めてくれる。

 戻り来る鳥たちは春の素晴らしさを告げ、
 若者たちは皆、友と再会を喜び笑い、
 墓からよみがえったように、老若男女が
 友と交わり、互いに声を掛け合うようになる。

 カザフスタンはモンゴルに隣接していて、現在でこそ産油国として豊かになっているが、アバイが生きた帝政ロシア時代は、主に遊牧を生業とする人が多かったという。この詩は厳しい冬を超え緑が敷き詰められた春を迎えた喜びを詩っている。ちなみに~スタンとは、~族が多い土地という意味で、周辺にもアフガニスタンのように表記する国が多い。
 この度、アバイの詩と訓戒の書が収録された著作集「アバイ訓戒集」の日本語版(花伝社)が出版された。その序文で、K・トカエフ大統領は「アバイ生誕175周年を記念して、 世界中の人々に彼の作品を幅広く紹介しカザフスタンの精神的、 歴史的な遺産を共有すべく、世界の10主要言語に翻訳しました。そしてこの度、アバイの詩集、叙事詩、訓戒の書を纏めた書籍が日本語で初めて出版されました。この作品集が日本においても幅広い読者層から支持され、アバイの愛読者が世界中に広がってくれることを祈っています。」と述べられている。この出版を記念して、10月12日ホテルオークラにおいてプレゼンテーションが行われ、野村喜和夫国際交流担当理事と山田が出席した。
 当日は、駐日カザフスタン大使、同ロシア大使、元駐カザフスタン大使、山東昭子参議院議長、出版・マスコミ関係者ら50人余が出席した。会場では、先に収録した山田のビデオほかが流された。
 続いて野村理事が挨拶とアバイの詩について解説した。その中で、カザフスタンは、戦後日本の重要な詩人のひとりである石原吉郎が、ロシアに抑留された時の最初の地であった。石原は、カザフスタン南部のアルマ・アタに、その後北部のカラガンダのラーゲリに収容され、そこでスパイ罪で起訴、有罪を宣告されたと経緯を述べた。
 また、アバイの詩について、自然と科学と宗教が融合した魅力的な作品であり、日本でいえば宮沢賢治に通じる詩人であること等が語られた。
 会場では、アバイが作詩・作曲した「黒い瞳」が日本の歌手により披露され、アイヌ民族のムックリによく似た奏法や音のカザフスタンの民族楽器などの演奏などもあり、一時間ほどの時間であったが、充実した時間を過ごした。
 なお、Googleで「山田隆昭アバイワールドチャレンジ」を検索すると、大使館での朗読の様子が視聴できます。




● 国際交流
カザフスタン共和国ナショナルデー(第28回独立記念日)レセプション


 カザフスタン共和国ナショナルデー(第28回独立記念日2019年12月12日)レセプションに日本現代詩人会として、黒岩会長、新延理事が出席。写真は、バウダルベック=コジャタエフ駐日大使。カザフスタンは近年、資源大国として、躍進しており、経済面で日本との関係が進んでまいりました。これからは、文化面での交流も望まれます。ちなみに、詩人の石原吉郎が最初に抑留された土地でもあります。


● 国際交流
  「ベトナム詩の日」ハノイ会場
    天空に詩の花が咲く

 このたび、昨年度(二〇一七年)の国際交流の継続事業として以倉紘平氏(理事・前会長)、新延拳氏(前理事長)、鈴木豊志夫(国際交流担当理事)がベトナム作家協会(会長フュー・ティン)の招きで二月二八日~三月四日ハノイを訪問し、ホーチミン在住の後藤大祐氏(日本現代詩人会会員)、とともに国家的行事でもある作家協会主催の「ベトナム詩の日」の祭典に出席した。これは昨年四月アイン・ゴック氏来日のおり、ヒュー・ティン会長から以倉紘平氏(当時の会長)宛て新延、鈴木三名訪越の招待を受け、八~九月のご希望だったが当方の都合で今春実現したものである。
華やかな詩の祭典
  二〇一八年三月二日(金)ベトナム作家協会が主催する『ベトナム・詩の日』の祭典がベトナム全国各地で開催された。中央会場の祭典はハノイ市内文廟(ヴァン・ミュウ)境内の広場で開催された。華やかな特設の舞台上で、伝統のクアンホ(歌謡)や踊り、詩の寸劇が笛太鼓の演奏付きが披露される。 ヒュー・ティンベトナム作家協会会長挨拶、来賓を代表して以倉紘平前日本現代詩人会会長が挨拶(新延拳前理事長が通訳として登壇)し、満席の会場から大きな歓迎の拍手をいただく。
 この国民的詩の祭典での自作詩の朗読は最高の名誉で、多くの詩人が希望しているという。昨年四月国際交流で来日されたアイン・ゴック氏が長編詩を朗読された。ベトナム詩人たちは全員ほぼ暗唱である。
 以倉紘平氏が登壇し、詩「駅に着くとサーラの木があった」「夏至」を日本語で朗読、それぞれ同時にベトナム語に翻訳された詩をベトナム詩人が朗々と朗読する。会場から大きな拍手。 会半ばでメイン会場からさらに奥の孔子廟前会場に案内される。エレクトーンやギターによる生演奏付の活気のある朗読が行われていた。中堅・若手の詩人たちが中心らしい第二会場だった。詩の寸劇仕立ては、民衆歌劇ハット・チェオに親しむ即興詩人たちと受け取れた。
 私たちが入ると、司会者から日本詩人の来場が紹介される。新延拳前理事長が登壇しインタビュー形式で第二会場の満席の詩人たちや聴衆に挨拶をする。続いて新延拳氏は自作詩「見たな」「わが祝日に」を、鈴木豊志夫が「しぶきと鎌の唄」「額に血を」を朗読する。朗読作品はベトナム語で同時に司会者によって朗読された。
 降壇直後、新延拳前理事長は国営テレビのニュース取材を受け、収録される。私(鈴木)は隣席の俳句をたしなむという老詩人から「よかった」と親しく握手され、女性詩人数名に一緒の写真撮影を求められて、翻訳詩がきちんと理解されたことを実感した。
天風に詩を放つ
 熱気に包まれた詩朗読とスピーチ、歌唱の祭典。クライマックスは全国から選ばれた詩人名と作品が風船につりさげられて、天空に放たれる。この栄誉を一〇年以上待ち続ける詩人もいるとのこと。お揃いのアオザイ衣装での五〇余編の「放詩」の儀式は圧巻であった。以前は赤いランタンを飛ばしたそうだが、当日の天候に左右され、火災の危険を指摘され赤い風船になったという。
清風談論
 ヒュー・ティン氏、アイン・ゴック氏、キム・ダオ女史らと三回延べ八時間余、親身な日越交流の、詩を中心とした清風談論の時間を過ごすことが出来たことは誠に有意義であった。
「日本人で最初の貴・越国ゆかりの詩人は安倍仲麻呂です」
「唐の朝廷では朝衡=晁衡の名前」
「八世紀(七五三)に、彼は長安(現西安)から帰国の途中暴風雨にあって当地中部ヴィンに流れつきました」「李白や王維らと親友だったようです」「その後、七六〇~七六六年鎮南都護・安南節度使として当地ハノイの総督を七年間勤めたといいます」
「……」ヒュー・ティン会長には初耳。
 歓迎会の席の話題の中に「朗読作品はあまり政治的なものは祭典にふさわしくない」との指摘もあって、一線を越えない暗黙の分別が求められていることを感じた。
 最近、日本の順位が大幅に下がったとされる「国境なき記者団」(本部パリ)による報道の自由度調査では、残念ながらベトナムは依然として低位の評価を脱していないらしい。
 東アジア特有の習俗、歌垣や土着の民間信仰、大乗仏教、儒教等共通する多くの価値観とともに、固有の歴史から育んだベトナムのアイデンティティは魅力的だ。加藤栄訳などの翻訳を通じてベトナム文学の水準の高さを教えられる。小説のなかに詩篇が混じるものが多く、それが自然で独特である。 扱われる戦争体験と深刻な後遺症は日本の戦後文学と比較し、まったく異質な世界を創出している。
還暦を迎えた作家協会
 昨年ベトナム作家協会は創立六〇周年を迎え、記念式典を四月四日清明節に合わせるかのような日程で開催した。
 作家協会は設立当初から新人の詩人作家発掘のため機関誌『文芸』を中心に一般募集のコンクールを主催し、文学興隆に大きな成果を収めてきた。『文芸』誌発刊や出版事業(作家協会出版社)は協会の中心的な事業である。以倉紘平氏の挨拶文、日本詩人の朗読作品も同誌に掲載するという。
 近年、ベトナムの出版界は政府の補助金はないものの、個人資本家の参入で多くの文芸誌が誕生し活況を呈している。滞在したホテル近くのチャンティエン通りには大きな書店があった。
 作家協会の会長のヒュー・ティン氏は一九四二年、アイン・ゴック氏は一九四三年生まれである。キム・ダオ女史の年齢は伺わなかったが、ロシアに七年間の留学体験を持つ才女。ヒュー・ティン、アイン・ゴック両氏ともロシア語に堪能であり、ロシア語の詩集を持つ。アイン・ゴック氏の令嬢はロンドン在住とか。最近、英語訳の詩集を持つ詩人が多くなったという。機関誌『文芸』編集部にも英語に堪能なスタッフがいるらしい。様々な課題があるようだがドイモイ後の新しい世代の詩人や作家が活躍し始めている。
 現在、日本在住のベトナム人は二〇万人だという。変化が変化を呼ぶ過渡期を迎え、詩に固有の言語を越えての役割が求められている気がする。
歓待感謝
 二月二八日の空港出迎えから、翌三月一日は終日、協会スタッフのキム・ダオ女史のお世話になった。ホーチミン廟、ホーチミン旧居宅、一柱寺、戦争博物館と。また、国を代表する作家、詩人も眠るという郊外の国立マイディク墓地に参拝し、献花をする。
 三月三日、ハノイから南一〇〇キロ、途中で胡朝(一四〇〇~一四〇七)城跡(世界遺産)を車窓左手に見てニンビン市へ。陸のハロン湾と呼ばれるチャンアン名勝・遺跡群(世界遺産)へ。三日は土曜日、テト明けのお祭りの季節とあって渓谷の洞窟と三つの祠と寺院をめぐるボートツアーは大人気。
 尚、滞在したホテルは一九二六年創業のホアビン。中心街に位置し、フランス統治時代の優雅さを感じさせる落ち着いた宿。近くのホアンキエム湖畔の散策は春の花々が満開で快適であった。 (報告者・鈴木豊志夫)

註:フュー・ティン氏のプロフィールベトナム、ビン・フック省出身。詩集『戦場の響き』『戦場から街へ』『小さなホアが生まれた時』『冬の季節』『時間と取引』など。叙事詩『町の道へ』(1980年ベトナム作家協会賞)『海の叙事詩』『地球の強さ』、文芸批評エッセー『希望の理由』、短編集『グン・トウレットの春』(フィクション&ノンフィクション)1995年『冬の手紙』で二度目のベトナム作家協会詩部門賞。1999年東南アジア協会より「アセアン文学賞」、2001年ベトナム国民文学賞、2012年文学と芸術のためのホー・チ・ミン賞を受賞。現在、ベトナム作家協会会長。
 フュー・ティン氏の詩は教科書に掲載され、また曲がつけられて歌になっている作品も多い。ロシア語ほか9か国語に翻訳、出版されている。


国際交流 カザフスタンの詩人たちと

 二〇一七年一一月、カザフスタン共和国から国立中央図書館館長と共和国を代表する詩人、作家5名が来日した。
 カザフスタン共和国大使館からのお声がかりで日本現代詩人会を代表して一一月一四日、秋亜綺羅理事長と鈴木豊志夫国際交流担当理事が大使館(東京・麻布台)を訪問し、同国の詩人たちと3時間ほどの意見交換会を持つことになった。
歓迎のあいさつを交わした後で、来日されたメンバーを大使館一等書記官ダルゲェノフ・アイドス氏より紹介を受ける。訪問団の団長は国立中央図書館館長ムナルヴァエル・ウミットハーン女史(写真中央)、作家・詩人で国会議員でもあるガァリフォラ・エシーム氏(右端)、詩人で歌曲を多く出されているイエス・ダヴュエット・ウルクベック氏(左端)、詩人でユーラシア大学教授ジュルトヴァイ・トウルスン氏(左から二人目)、詩人で評論も書くユーラシア大学ジャーナリズム学科准教授トォルジャン・オーナイグル女史(左から三人目)の五名の皆さん。お名前が正確に筆録できているか自信がない。間違えていたらご容赦を。
私たちは新藤凉子会長の助言で持参した詩集を贈呈し会談に入った。
 来日の目的はカザフスタン共和国と日本の文化交流をさらに深め、とくに文学面の直接交流を活発化させたいとのことであった。その一環として今回はカザフスタンで出版された小説、詩集等一〇〇冊の図書を国会図書館(前日済ませていた)と都立中央図書館にそれぞれ贈呈する予定であるという。その日の午後三時過ぎ、秋理事長も立ち会われて、東京都立中央図書館でおごそかにその贈呈式が行われた。日本からも返礼の贈答があった。
 カザフスタン共和国は一九九一年に独立した若い国だが、その歴史は長い。面積二七二万平方キロメートル(約日本の七倍)。灌漑施設(イルティシ・カラガンダ運河)の整備や地下水の利用により広大な穀倉地帯となった。米も取れるという。
 また、特に豊かな地下資源とカスピ海の油田、天然ガス、石油化学コンビナート等すぐれた重工業の発展を見せている。私が知っている草原の国から大きな変貌を見せている。
 近年は地下鉱物資源開発にともない機械工業も発展し、また北部を中心に陸・空の交通網も発達しているようだ。また中国国境越えルートの幹線化によりアジアとヨーロッパ、東西の架け橋になりつつある。これらのインフラ整備により、現在は多くの日本企業が進出している。
 人口は1700万人弱。カザフ人は63%、ロシア人24%、ウクライナ人3%、ウズベク人3%、ほかウィグル人、タタール人、ドイツ人、朝鮮族等の多民族国家。大使館の会議室兼応接室のようなおおきな部屋のコーナーにミニチュアの色彩豊かな民族衣装や装身具が飾られている。宗教はカザフ人の多くはイスラム教スンナ派ときくがその雰囲気はない。ロシア正教と共存し、寛容な政策がとられていることを感じる。部屋の中央に掛けられた肖像画は二〇一一年からの現職ナザルバエフ大統領と思われる。親日家で知られ、五~六度来日されているそうだ。
 識字率99・6%。義務教育は十一年の一貫教育だが、十二年化が進められている。国語(国家語)はカザフ語となったがロシア語も公用語として使われている。新聞はロシア語が50%、カザフ語が30%、その他十一言語の新聞が発行されているという。
 近年の教育成果は文芸面でも見られすぐれた海外文学がカザフ語で読めるようになった。ロシア語でしか接することが出来なかった海外の書籍がカザフ語で親しめるようになり、読者層が増えている。とくに文芸誌発行が盛んになり、若者向けのものが多い。大学教授のトウルスンさんは厳しい批評。「がさつで、必要である石の重さがない。塵だらけだ」とおっしゃる。
 往年のシルクロードの民は音楽の民でもある。正倉院御物の楽器は今日でもお目にかかれる。カシュガルの街で楽器工房を訪ねたことを隣席のウルクベックさんに話すと詩集とCDを見せ、人気歌手ジィマッシュ(?)さんの歌詞は自分の詩だと得意気に自慢した。いまヒット中らしい。日本で現代詩と歌詞を峻別する傾向があるが、海外詩から見れば、歌詞も短歌も俳句も詩であることを知らされた。彼は「カザフの詩人の役割は魂の洗浄だ」という。
 カザフ語に翻訳された日本文学の本は百冊を超えているという。ただし、日本語→露語→カザフ語でのもの。川端康成、三島由紀夫、村上春樹も読んでいると語る。近い将来ぜひお互いに二国間の直接の翻訳書を実現したい。また日本の詩と詩人についての質問があった。現在、日本の詩は芭蕉以外知られていないのが実態である。また、私たちがカザフスタンの詩人の詩に出合えない現実がある。私はウルムチで開催された「第9回アジア詩人会議」で天山山脈のボゴダ峰を望む天池での野外朗読会でカザフ人の詩人(女性)の朗読を聞いたことはあるが、その場限りの出会いで終わらせたことを反省した。同様に今回のカザフの詩人たちとの出会いを、ぜひ発展させたいと思った。
 短時間の会談であったが、今後日本現代詩人会との交流を強く希望され、日本の詩人たちを首都アスタナに招聘したいとの話題もいただいた。
 カザフスタン北東部セミパラチンクスにソ連時代核実験場があった。独立の年に閉鎖されたが、住民の健康問題は深刻であり、地域の住民に自殺者が多いと漏らされた。次世代につなげるセイメイプロジェクトを考えているという。一行は明日から広島を訪れる予定とのこと。(文責:鈴木豊志夫)


国際交流ベトナム2017

詩の国から学んだ詩の心
 『国際交流ベトナム2017』が四月一日(土)午後一時半より早稲田奉仕園リバティホールで開催されました。
 以倉絋平会長は主催者挨拶のなかで、国内初のベトナム詩人を招聘しての国際交流の意義を語られました。来賓挨拶はベトナム大使館の教育文化担当のパン・クエン・フン一等書記官、本吉良吉日本ベトナム友好協会理事長よりいただきました。書記官からはベトナムの戦後復興に対する日本の大きな貢献に感謝の言葉があり、今後は経済からさらに文化面等幅広い交流を図りたく、今回の行事への期待を述べられました。本吉理事長からは、祝辞の後で協会が現在特にフォローしている国内の新しい課題として、二〇万人の在日ベトナム人(うち多くの留学生)の期待を裏切らない理解と待遇を挙げられました。

第一部講演
 今井昭夫東京外国語大学大学院教授には『ベトナム文化の魅力と近現代』という演題で講演をお願いしました。


 ベトナムは日本や韓半島と類似する歴史を持つ国。先史時代は一万年前からのホアビン文化、バクソン文化、ダブット文化、クィンヴァン文化から前三千年頃の後期新石器時代のバウチョ文化、ハロン文化があり農耕、漁労が発展する。
 秦の時代から唐の時代は安南都護府等北属の時代。漢字文化圏に組込まれる。十世紀より呉朝、李朝、陳朝、胡朝、黎朝、阮朝と続く。陳朝の時代、固有の文字チューノム(字喃)を作る。元の侵入をゲリラ戦で撃退。明に一時支配されるが黎利が一四二八年解放する。北部は鄭氏、中・南部は阮氏の時代が二〇〇年続く。宣教師アレキサンドル・ド・ロードがベトナム語をローマ字で綴り、これが今日使用するクオック・グー(国語)の起源となる。西山(タイソン)阮朝を阮映(グエン・アイン)が奪回するがフランスの宣教師らの協力を得たため、その進出を許すことになる。フランスは軍事力を行使、一八五八年ダナンを砲撃する。一八六二年協定を締結。しかし地方官や農民の抵抗等を理由に再度、軍事力を行使して一八八二年全土がフランスの支配下となり、フエ阮朝は形骸化する。
植民地支配下、二〇世紀初頭ファン・ボイ・チャウらが民族解放運動。特に「東遊運動」(一九〇五~九)ではのべ二〇〇人のベトナム青少年が日本に留学。一九〇七年「東京義塾」を設立し民族のリーダー養成を志向する。
 ホー・チ・ミンは一九四五年八月革命を起こし独立を宣言。イギリスの支援を受け、フランスが再侵略、北緯十五度以南を支配、しかし一九五四年ディエンビエンフーの戦いで敗退する。その後南部はアメリカの後押しでジェム政権ができる。これに抵抗して一九六〇年南ベトナム解放戦線が結成され、第二次インドシナ戦争が始まる。一九六四年アメリカは北爆を開始。ついに一九七五年四月三〇日サイゴン解放。一九七六年統一国会が開かれベトナム社会主義共和国となる。一九七九年二~三月中越戦争。日本人記者がランソンで犠牲となる。(註:あとでアイン・ゴック氏の詩・朗読される)一九八六年「ドイモイ」路線が採択される。一九九一年中国、一九九五年アメリカとも国交正常化を果たした。
 ベトナム戦争の傷跡は、行方不明戦死者は約三〇万人、枯葉剤後遺症者四八〇万人、先天性奇形児十五万人、不発弾未処理地域六万六千平方キロメートルとまだ大きく残っている。
 ベトナムの文化は東南アジアの稲作文化を基礎に、中国文化、フランス文化、ソ連・中国などの社会主義文化と南部はアメリカ文化の影響を受けながら、今日、独自の魅力ある文化を世界に発信している。
 また、口誦文学のほか、ベトナムの文字と文学についてチューノム文学の代表的な作品グエン・ズー『金雲翹』を挙げ説明された。詳細省略。

 


アイン・ゴック氏講演『ベトナムの詩・ベトナム人の心を留める場所』

 「ベトナム人にとって詩は、言語を超えたもので、人間が望むものすべてを運んでくれるものです。そのため、私たちベトナムのことを『詩の国』と呼ぶ人もいますし、私もそう呼ぶことには賛成です。」と前置きされて本論に入りました。ベトナム人は長い口誦文学の時代を持ち、それは今日でも続いているようです。「簡潔でリズミカルで、メロディーと韻律を持った、感情と情景が豊かな詩」をカーザオ(歌謡)といい、各地方にある詩ザンカ(民謡)はベトナム人の精神生活を表現する方法に影響を与えたといいます。(註:歌垣や短歌の贈歌のような伝統
が今日でも健在)
 漢字文化の洗礼を受けた時代の漢詩。さらに漢字をベトナム語発音表記に工夫した「字喃」(チューノム)での詩が作られます。これは有識者階級「博学」です。しかし、日本では万葉仮名が誕生しさらに平仮名カタカナという簡略化が図られますが、ベトナム語は声調言語で音節の種類が非常に多く、一つの音節に一つの文字を対応するには四千字必要とされ、仮名文字のように簡略化できなかった。
 「ベトナム語は単音、6種類の声調があり、それぞれの音節が六つの異なった音調を持ち得るようになっている」「つまり六つの異なった言葉になりえる」「これは豊かで複雑で世界でも珍しい音楽性を持った言葉」です。
ベトナムの詩は口誦文学と中国古典律詩を基にした漢字詩の系譜が共存し、そして後者からチューノムによる優れたベトナム語詩人が生まれます。詩人グエン・チャイは救国の英雄のひとり、明朝の侵略軍を阻止し、後黎朝を立てた英雄レ・ロイと並び称されている。「彼は策と詩文をもって盟主に勝利をもたらすとともに、詩文を借りて自らの心を述べ、後の世代にその素晴らしい偉功を伝えました」と語る。またホー・スアン・フォンは「希代の独創的な女流詩人で、深く染み入るような現実感と、皮肉を含んだ鋭さを持ち、古めかしい習慣を批判し、人間の正当な生きる権利、特に古い時代の風習の鎖に囚われた女性たちの生きる権利を主張」しました。今井昭夫教授も取り上げたグエン・ズーはベトナムを代表する詩人。
 昔から現在までのベトナムの詩の中で一番象徴的な作品を一つ選ぶなら、誰でもグエン・ズーの『金雲翹(きんうんぎょう)』を選ぶといいます。
 「三千文以上で構成されたこの作品は、ベトナム人の心に関する百科全書、ベトナム詩とベトナム語の美と精華の結晶」でベトナムが困難な時代には国民の心の支えになった六八体チューノムで書かれた詩集。
二〇世紀になり、インドシナにおけるフランス人の存在が状況を複雑にいていく中、一九四五年の八月革命に新たな体制が生まれ、絶えることのない戦闘の中で、ベトナム詩は極めて豊かで、多くの成果を残した二つの発展段階を迎える。それは「新詩」と呼ばれる段階で一九四五年の前まで一〇年以上続く。フランス詩の新しさの影響と、インドシナの古くからの伝統が結合した流れである。
 宣教師が便宜的に使用したローマ字表記法に反発していたが、難解なチューノムには限界があり、この時代には民族主義的な知識人もこれを「クオック・グ―(国語)」と呼んで受容する。
 ベトナム人の感情を新しい言語表現で歌いあげた詩人には、スアン・ジエウ、フィ・カン、チェー・ラン・ビエン、ハン・マック・トゥ、グエン・ビンなどがいる。
 一九四五年以降、二つの長い戦争の時代(フランス侵略軍との戦い〈一九四六~一九五四〉とアメリカからの干渉〈一九五四~一九七五〉との戦い)には多くの詩人が戦争の詩を書いた。巨匠トー・フーへと続く系譜。南ベトナム政権下、反戦詩の系譜。特に音楽家でもあるチン・コン・ソン(一九三九~二〇〇一)は「ベトナムのボブ・ディラン」と呼ばれている。
 一九七五年四月三〇日以降、詩は政治色の強いものから、大きく発展し、「創造神の作った有限の生を生きる人間」の詩の海へ船出します。
 何千年も「ベトナムでは詩はいつも人とともにあり、人に愛されてきました」と総括し、詩の神童と呼ばれたチャン・ダン・ホア、詩の会タオ・ダンの会の中心レ・タイン・トン王、有名な「奪槊章陽度」の作者チャン・クアン・カイ将軍、「南国山河南帝居」のリー・トウオン・キェット。そして、ファン・ボイ・チャウ(一八六七~一九四〇)、ホー・チ・ミン(グエン・アイ・クォック)一八九〇~一九六九)を挙げそれぞれの詩人としての国民への大きな影響を語りました。特に、ファン・ボイ・チャウは「東遊」運動で日本に留学生(講演者アイン・ゴック氏の祖父グエン・ドック・コン氏もその一人)を送り、独立運動の支援を期待します。ホー・チ・ミンは『獄中日記』ほか感情ゆたかな何百という詩を書いていて、新年の挨拶はいつも自作詩で締めくくりました。
 現在のベトナムでは詩はラジオ、テレビ、新聞、冊子、本、インターネット上に詩があふれている。また「ベトナム詩の日」が旧暦正月十五日に開催され今年で十五回を数える。ハノイでは文廟で、全国各地で盛大に開催される。
 詩の朗読は、アイン・ゴック氏の十一篇の作品を、詩人ご本人と日本語訳詩を会員原田道子、小林登茂子、山中真知子、原詩夏至の各氏が朗読。
来賓の白石昌也早稲田大学大学院教授、太田雅孝(社)日本詩人クラブ理事長よりお言葉を頂戴した。「開会の辞」は田村雅之副理事長、「閉会の辞」は新延拳理事長、司会秋山公哉、講演補助森井香衣、光冨郁埜、翻訳道上史絵、通訳鷲頭小弓の各氏。(文責鈴木)

ページトップへ戻る