子どもたちの支援紹介

震災・子どもの詩「悲しみ、痛み」をときはなす②
――中学生のケース                           
                                     清岳こう

1 本当の心の中を書くということ

 震災発生の年の十二月、雪がぼっかりと積もっていた放課後の中学校。その図書室で希望者の要請で「ことばの移動教室」を開きました。まずは、その時に寄せられた生徒の感想文の中から一文を紹介します。   
 『あの授業を受けて、私は気持ちの大切さ、思うことへの重要さが改めて分りました。私は今までいじめられたりするのが多く、思う事といったら、「なんで自分ばっかり」「もう嫌だなあ」などがほとんどであまりいいものを感じていませんでした。それに、3月11日の誕生日の時のせいで心が重い感じではっきりいって嫌でした。でも、授業を受けてから私は何か自分の気持ちが表せて心がすっきりしたので、気持ちを表すのっていいことですごく大切なことだったと改めて分りました。』
 この手紙をくれた生徒は、図書室の隅の机にぽつんと座っていて講座の間中、笑いもせず発言もせずでした。「本当のことを、心の中を書いていいとわかって、心が軽くなりました。」と書き終わったとたん、机につっぷし号泣したと、図書館の司書からの手紙が添えられていました。長期にわたるいじめ、被災によって注文していた誕生ケーキもだめになり、誕生日プレゼントは商品券、被災後、気の沈む日々が続いていたようです。このような傾向は、この生徒にかぎったことだけでなく、幼稚園児から大人にいたるまで見られるものです。親が大変だから、とせめてボランティアを手伝う、せめて明るく元気にふるまうのです。私も遠隔地から「大丈夫?」と電話で尋ねられれば、不眠の夜を過ごしている、枕元にリュックサック、スニーカー、コートを常備している、ズボン、セーターを着こんで寝ている、この電話の間も余震で逃げ腰になっているなどとは言えず、「元気よ。」と応えてしまっていました。弱音を吐けば、すぐにでもくずおれてしまいそうな現実がありました。
 この生徒の書いた詩は『震災 宮城・子ども詩集』には掲載されませんでしたが、震災一年後の詩の朗読会・書(子ども詩集の作品を仙台の小・中・高学生が書にしてくれました)展を兼ねた出版記念会に親子で出席してくれました。掲載された同級生たちと満ち足りた表情で朗読を分担し参加した時の表情が忘れられません。

     仙台・桜丘中学生からの感想文集

 詩の朗読会が終わると、大またで近づいて来た人物がいました。作業服のポケットからはチェーンを垂らした髭面の大男。「おお、これはやられるぞ。何か不手際でもやらかしたにちがいない。」私は身構えました。と、朗読した生徒の父親だというのです。父親母親、祖父、祖母と一家総出で参加したとのこと。自宅は崩壊、再建の見通しも立たない中、「子どもが詩を書いただけでも嬉しい。」「子どもに光を当ててもらった。」と。
 他にも、仮設住宅からから駆け付けた人、「仕事がある人はいい」「家では地震、津波の話はタブー」「とにかく、離婚しないようにする。」と声をかけて会場を後にした参加者たち。支援物資が届いても、親も子も深い傷をおったままだと実感した一日でした。
 次に、前回と同じく『震災 宮城・子ども詩集』から中学生の詩を数篇ご紹介します。福岡の中学生たちが何篇か作品を送ってくれましたが、この仲介を申し出てくれたのは龍秀美氏で、震災後の生徒たちの輪を大きく広げてくれました。


2 中学生の作品から

    佐藤家          福岡市次郎丸中学校三年 竹田龍馬

    
    その直後 無事だった。
    老いた父を避難所に送り届け
    老いた母は高台にある病院にいる。

    その直後 助かっていた。
    幼なじみを心配して
    海に近い友の家へと向かった。
    一週間後 行方不明者リストに載った。
    三週間後 死亡者リストに載った。

    東日本大震災

    その直後 息子は家路を急いでいた。
    父に秋田大学合格を知らせたくて。

    東日本大震災

    津波で墓は壊れ 初盆には間に合わず。
    秋頃には できそうだとのこと。

    東日本大震災

    母の従兄だ。
    秋

    僕は勇一おじさんに 写真で初めて会う。

 

問1 第八連からどんなことが分りますか?
 ・今まで一度も会ったことはない。
 ・生きている勇一おじさんには会えない。

問2 「勇一おじさん」の身の上に起こったことを整理してみましょう。   
 ・第一連・地震の直後は無事だった。
 ・第二連・行方不明だったが、「三週間後 死亡者リストに載った」
 ・第四連・息子の「秋田大学合格を」知らないまま亡くなった。

問3 「勇一おじさん」とはどんな人だったたのか想像してみましょう。
 ・第一、四連・家族にとって頼りになる存在。
 ・第二連・友達思いだった。

問4 竹田君はなぜこの詩のタイトルを「佐藤家」としたのでしょうか?
 ・「勇一おじさん」の死は佐藤家全体にかかわる悲しみだったから。
 ・佐藤家にとってかけがえのない人だった。
 ・竹田君の体にも「佐藤家」の血が流れていて自分にも深く関わることだから。
 タイトルにも重要な意味自己存在の確認

問5 「東日本大震災」の効果を考えましょう。
 ・過酷な現実・自然災害を印象づける。
 ・震災後の長い時間が無情に経過したことを表現している。

問6 第一、二、四連の「その直後」の効果、第六、八連との関係を考えましょう。
 ・震災直後は助かっていた命が失われた無念さが強く表現されている。
 ・第六、八連ではその感情がしだいに鎮まり、運命を受け入れるような気持になっている。
 むだな言葉をそぎ落した表現に注意全体の構成が非常に優れている。中学生らしい自己認識、感情の抑制を体験したであろう作品。

 

    亡骸         福岡市和白中学校三年 四島渡来

    瞳の中央にある亡骸
    子供が虫取り網を手に聞く夏の声
    風鈴の音をかきけす夏の声
    もう鳴かない
    もう飛ばない
    ただそこに在る亡骸
    重い
    重い
    夏が終わった

    遠くで聞こえた
    一つ
    もう鳴かない
    もう飛ばない
    夏が亡骸になる理由 (わけ)
    あぁ 夏は終わっていない

 

問1 この亡骸は何の亡骸だと思いますか?
 第一連・生命力にあふれた蝉の亡骸。
 第二連から「夏」の亡骸。

問2 第二連「夏が亡骸になる理由」とは何でしょう?その手がかりとなる表現を探してみましょう。
 第一連・「瞳の中央にある亡骸」。
    ・「ただそこに在る亡骸」。
 第二連・「遠くで聞こえた」「ひとつ」。

問4 問3で整理したフレーズからこの「亡骸」=「夏」はどんな「夏」なのでしょう?
 第一連・「瞳の中央にある亡骸」=忘れられない、見つめ続けざるをえない夏。
    ・「ただそこに在る亡骸」=簡単には消し去ることのできない、現実の夏
 第二連・「遠くで聞こえた」「ひとつ」=遠い場所から発信された別の夏。
    ・「子供が虫取り網を手に聞く夏の声」
     「風鈴の音をかきけす夏の声」=子供には期待に満ちた、蝉の声、それが、別の存在になった夏。

問5 四島君は第一連で「重い」「重い」「夏は終わった」と書きながら、第二連では「あぁ 夏は終わっていない」と表現したのはなぜでしよう?
 ・やはり、忘れてはならない亡骸・現実の夏があったと意識したから。

問6 「亡骸」の詩から具体的にどんな夏をイメージしますか?自由に発表してみましょう。


    忘れもの          桜丘中学校二年 高橋勇作

     パンツを洗たくして  あれも洗たくしておけばよかった
     風呂に入って ヒゲをそっておけばよかった
     ぎょうざを食べて あれも食べたかった
     連立方程式を解いたつもりで yを出し忘れた
     もっと寝ておけばよかった



    ティンパニィ        桜丘中学校二年 三浦洋人

     先生は手を出した
     先生は親指を上向きに立てた
     迷宮の出口が見えたようだ

 

    ボク            田子中学校二年 阿部穂乃香

     一人は ひとりぼっちで悲しいキモチ
     一人は 楽しくてうれしいキモチ
     一人は 怖くてビクビクしたキモチ

     みんなちがうけどみんなボク

     いろんな時にいろんなボクがいる

     たくさんのボクがいて

     ボクの心はぎゅうぎゅうづめ


     違い            福岡市博多中学校三年 本田真久

     一九四五年、八月六日
     広島に原爆が落とされた
     何万人が爆風で死に
     何十キロも先まで放射能が飛んだ

     二〇一一年、三月十一日
     東北大震災がおきた
     何万人も津波で死に
     何十キロも先まで放射能が飛んだ

     原爆は使われなくなったのに
     原発はまだ使われている

     なんだろう、この違いは。




3 横浜市・庄戸中学の生徒の感想から

 『震災 宮城・子ども詩集』を読んで、横浜市・庄戸中学の生徒からたくさんの感想をいただきましたので、以下、ご紹介いたします。本感想は、教諭の授業で震災を取り上げていただいた実践によるものです。なお、この生徒たちに関しては実名使用の許可を震災から十余年経った現在、取りようもありませんので実名は伏せてありますのでご了解ください。また、この感想は小・中・高校生の作品全体に及んでいます。

・生徒作品「消失」仙台向山高校 平井拓哉を読んで

✿『「怖かった」や「死ぬかと思った」は僕も口にしていました。でも、この詩を読んで、僕が言っていたことは「簡単に口にしてはいけないことなんだ。」と気付かせてくれました。
 この詩を読んで、これから先は、東日本大震災の表現をするときは、「言葉をよく考えてから話さないとだめだな。」と。

✿3連目の、「タカ・マサ・ノブが生きていたら「行くぞ」と真っ先に駆け出すだろう。という表現が心に残りました。
 友達が亡くなってしまって、もう2度と二人には声をかけることができない。もうにどと三人で会話はできない。という思いがつまっていると思いました。だから私は、一日一日を大切にして、人との出会いも大切にしていきたいと改めて思いました。
 東日本大震災は、「朝焼けの中で」でもやった、言葉では表現しきれない悲しみや憎しみがあると思います。

✿消失の3の「東北は本当に死ぬところだったんだから」というところが本当にリアルで自分たちが笑いながら話していることが本当に東北の人たちに申し訳なく思った。
 それに改めて震災の大きさを思い知った。

✿印象に残っている所は、テレビの所です。私はいつも普通に「死ぬ」などの言葉を簡単に言ってしまっていたのですが、この詩を読んだら、本当に簡単に言っちゃダメなんだと思いました。
 親友が永遠に消えたとか、私にとって考えられないことです。めっちゃ辛い思いをしたんだと思いました。

✿一番印象に残ったのは「3」でこの人がどれだけ怖い思いをしたのだろう。ということがよくわかりました。テレビでの「怖かった」、「死ぬかと思った」がうそに聞こえるくらい東北の人々は本当につらい思いをしてるんだと思いました。
 また、「2」の最後のところ「親友が永遠に消えた」というのも印象的で、親友が亡くなってしまったことが何より悲しくショックだったんだなあと思って「2」の最後の文にしたんだなと思いました。

✿1・2・3と3つに分けられていました。すごく現実的で少し怖いところもたくさんあった。
 3番目のテレビというところで、普段簡単に言っている言葉は「本当にそう思っている」と言われるとそう思っていない人がたくさんいると思った。軽くそんな言葉は言わない方がいいと思った。

✿震災のあと軽い気持ちでそう言っている東北に住んでない人を見て、きっとすごく嫌な気持ちになったのかなと思った。私たちは実際に経験してないから、東北の人たちの気持ちをわかってないと思った。私もまさかこんな大変なことになってると思わなかったから、揺れがおさまった後「やばー」とかそんな感じにしか受け止めていなかった。この詩を読んで改めて気づけた。どうすればいいのかまだ分からないけれど、この震災を簡単にすまさないように、できる事はやろうと思った。

✿「テレビ笑っている、本当にそう思っている」というのがゾクっときました。確かに頑張ろう東北などと言っていますが言っている言っている人は何もできないくせに、と思われていると思いました。本当の辛さを知ったのは、東北にいた人だけだと思います。 
 この四を読んで改めて東北の人たちの辛さを知りました。何もかも失った人たち、今、どんな気持ちなんだろう?
 わかってあげたいです。

✿「~が消えた」という文があるんですけどそれは「家」とかではなくて「牛乳」や「野菜」などのありきたりな言葉だったから、やはりその時はなにも考えられなくなってしまったのかなと思いました。
 テレビのことについて書いてあるんですが、私にとって震災後のテレビは、情報を知るために見たかったけれど、被災地の方たちには重いものだったと思うのに、なんでもテレビで見て「かわいそう」と思っていた自分がすごく恥ずかしく思えました。

✿あの震災は私もほんとうに怖かった。でもそんなに被害はなかったから、東北の被害の多さや現状を聞いてもどこか他人事だったり、私の身近な人が亡くなるなんて考えられませんでした。
 でもこの詩を聞いて地震が起きた時の怖さや悲しみがひしひしと伝わってきて、読んでいて涙が出てくるくらい悲しくなりました。
 この詩の中で特にぐさっときた言葉が2つありました。まず「親友が絵永遠に消えた。」です。
 もし私の友達が・・・と考えると本当に胸がぎゅっとなりました。
 つぎの言葉は「3」の部分です。
 私もどこか他人事のように考えていた分、心に刺さりました。
 ひさいを受けた人が書いた生の言葉を聞くと、自分はなんてひどいんだろう・・・と思います。
 これからは同じ日本で同い年の子やもっと小さい子にもこんな怖い体験をした子がいるという事実を忘れずに過ごしていきたいです。
 本当にみんな忘れちゃいけないと思います。

✿キャッチボールをしていて急に地震がきて、びっくりするはずなのに、近所の車いすの人や、子供たちを助けるのは、すごくかっこいいと思いました。 

✿地震があったにも関わらず、その勇者みたいな姿がすごいと思いました。そんな強い人はそういないと思います。
 これからもがんばってください。

✿この作者の人は、地震がきて、ふつうだったら戸惑って何もできないと思うけれど、近所の車いすで家から逃げられない人を助けたり、子供たちを助けている・・・
 すごく尊敬しました。
 僕もそういう震災が起こった時は助けてあげられる人になりたいです。

✿「生き延びた命なんだから、精一杯頑張らなきゃ」のところが印象に残りました。
 私は、今を精一杯生きていられるのかな?と思ったとき、すごく自信がないです。命の大切さがわかっていないからです。
 いのちのありがたさは、普段あまり感じられなくて、それが普通になっている部分があります。
 でも、そのようにこんかいの震災で犠牲になった人がたくさんいる中で普通の生活ができていることはとても幸せなことだと改めて思いました。


4 詩の力

 中学生たち声を聴きながら、本当に、「詩には秘められた大きな力がある」と実感しました。それは、全国から寄せられる支援物資や「絆」「復興」などの言葉に埋められた寄せ書きとは、また違った力です。被災し傷ついている中学生たちには、横浜から寄せられた中学生たちの心情あふれる言葉が、どんなに大きな励ましになったかは想像にかたくありません。

 『震災 宮城・子ども詩集』を、多忙な中、まっさきに授業で取り組んでくださった教諭にもあらためて感謝したいと思っています

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