研究活動・親睦

東・西日本ゼミ、新年会

西日本ゼミ2015

西日本ゼミナールin福岡

 短歌と詩の間にあるもの 穂村弘、東直子、谷内修三、北川朱実4氏が登壇
  2015年3月21日(祝)、福岡県詩人会との共催で、西日本ゼミナールin福岡「短歌と詩、その相似と相違について」が開催された。会場となった西鉄イン福岡大ホールには、会員だけでなく一般の詩歌愛好者ら、およそ130人が詰めかけた。同大会実行委員長の脇川郁也の開会宣言の後、財部鳥子会長と福岡県詩人会の田島安江代表幹事が、主催者を代表してあいさつ。第一部の座談がスタートした。
 

■詩と短歌、越境の可能性

  短歌界から歌人の穂村弘氏、東直子氏と、当会会員の谷内修三氏、北川朱実氏の4人が登壇。自己紹介とともにそれぞれの「好きな詩・短歌」を挙げた。
  寺山修司、岡井隆、塚本邦雄などに影響を受けたという穂村氏は、好きな詩人として西脇順三郎、谷川俊太郎、吉岡実、谷川雁などを挙げたが、その理由に「厳密に書かれているに違いないと考えた」と発言、続いて「現代詩は読み手を拒んでいる。まどみちお、金子みすゞ、相田みつをといった書き手の作品が持つ特徴である大衆性・通俗性、ポエム性を拒んでいるのではないか」と持論を展開した。
  対して谷内氏は「個人として作品のジャンルを区別しない」と語り、北川氏は「平易な詩、詩情のある作品も拒んではいない」と答えた。東氏が「俵万智が登場したとき、短歌界にもすぐに彼女を認めない動きがあったが、結果、現在の口語短歌の浸透が進んだ」と変化が現れるきっかけを述べた。一般的に「分かりづらい」といわれることもある現代詩の抱える一面に近接した瞬間であった。
  その後、短歌界が持つ「結社」の存在が話題に上ったが、東氏は個人として「結社の価値観を受け入れつつアレンジして詠んでいる」と述べ、穂村氏は、近年、若い歌人たちは結社に依存していないことを紹介した。詩も短歌も、若い人たちの多くが、同人誌グループに所属することなく、ウェブサイト上を発表の場としていることなどが思い起こされた。
  東氏が「五七五七七という言葉の流れが韻文となってはじめて短歌になる」と述べると、谷内氏は「詩や短歌を読む際、吐く、出す、かみ砕くなど肉体の動きを伴う動詞をキーワードに読んでいく」とその方法論を披露した。
  北川氏が「この一首を読んで詩を書きたいと思った」と、笹井宏之の短歌一首に触発されて書き上げた詩作品「漂流するもの」を披露した。それについて、穂村氏は「短歌でいえば、反歌のようなもの。歌の世界に愛情を持っている作者が見える」と言い、東氏は「短歌の持つ儚さを受けつつ、31文字という1行で書かれた世界をよく理解されている。それから触発された詩の魅力を堪能できた」と語った。
  座談の最後には、文学の越境を今後も続けていけば、一つの言葉をきっかけに詩と短歌が接近でき、触発される中で何かしら「希望」が生まれるとまとめられたが、座談を通じて詩と短歌のふたつの世界のボーダーはそれほど高くないはず、むしろ、お互いがみえないボーダーを感じてしまっているのかもしれないとの印象を参加者に与えた。
  座談を通して、詩人は短歌を、歌人は詩を知らない部分が随分あるということが露わになった半面、詩と短歌が、詩人と歌人が、共に「越境する」ことの大いなる可能性を見いだせる会となった。
 

■「四人四様」個性ある朗読披露

  休憩を挟んで、朗読「四人四様」が実施され、登壇者全員がそれぞれ個性ある朗読を15分ずつ披露した。
  3時間を超す催しであったが、閉会の挨拶を瀬崎祐西日本ゼミナール担当理事が述べた。
  閉会後、懇親会までの間、参加者の多くは会場そばの福岡市赤瓦文化館(福岡市文学館)を訪問。同館の「福岡県詩人賞」受賞詩集の展示状況などを見学した。

 

■博多湾一望の会場で懇親交流会

  会場を移して、山崎純治、山田由紀乃(共に福岡県詩人会会員)の司会進行により、懇親交流会が開かれた。会場となった同ホテル最上階のレストラン「ブロッソ」からは福岡・博多の街並みや博多湾が一望でき、参加者も眺望を満喫した。
  開会の挨拶を北畑光男理事長が述べ、金井雄二副理事長の乾杯の音頭で懇親交流会はスタート。登壇した歌人の穂村氏、東氏も参加してあちらこちらで話が盛り上がった。和気あいあいのうちに進んだ約2時間の懇親交流会であった。北川朱実西日本ゼミナール担当理事が最後の挨拶を述べ、閉会となった。(文責・脇川郁也)
 

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