研究活動・親睦

各地の声・各地のイベント, 講演

各地のイベントから/石川詩人会講演会、第62回中日詩祭、広島県詩人協会

各地のイベントから

石川詩人会講演会

 読者に届く現代詩を求めて
             砂川公子

石川詩人会文芸講演会 講師の山田隆昭氏


 山田隆昭氏をお迎えして「詩的風土と詩の手法」と題する文芸講演会をこの6月11日実施した。
 これは難解さと多様性のなかで混迷する現代詩を読者に届くものにするため、毎年石川詩人会が開くもので、一昨年より新型コロナウイルスの影響を受け、これまで四度にわたり中止・延期となるなか日本現代詩人会のご理解と後援を得てついに実現した。
 講演に先んじて、山田氏の六冊目となる新刊詩集『伝令』を読みあい、会報等で紹介し事前に備えた。詩人自身の詩作方法を伺うことは興味深くも稀で、ご自身と関りのある各地の詩的風土をまじえ、僧侶の温かい物言いで分かりやすく語って下さった。
 はじめに、室生犀星作品に大きな影響をうけ、ここ金沢はあこがれの地でありかなりの頻度で足を運んでおられ、当地ゆかりの五木寛之の宗教関係著書にも興味を持つ。これまでに土橋治重らを中心とした詩誌「風」や「花」で作品を発表してこられたこと。
 一方、信仰形態として東北南部にみられる「隠れ念仏」や「隠し念仏」など世俗に隠れた信仰に興味があること宮沢賢治の詩と童話の出会いが持つ「弱者への視点」と「法華経」への傾倒が、卒業論文のテーマになった背景を伺った。
 このように、地方特有の風土や地方が持つ力強さ、そこには独特の詩の磁場があること、詩の地方主義は表層の問題ではなくて、地方の固有の生存条件に根をもつ現実的表現であることなどを示された。
 表現の難解さという問題は単純ではない。雑多な形式の冒険も試みられるが、自身は散文詩で物語性を加え、詩の世界にふくらみを持たせたい。無理な表現で詩の世界をやせ細らせてはいけない。詩作の方法は多様であってよいと、彩やかに語られたことも印象的であった。
 なお、同時に会員の新刊詩集を読む第21回詩の研究会も実施でき、多くの会員や詩友は、ほぼ二年半ぶりの集会に満面の笑みで活気をとりもどしていた。


第62回中日詩祭―中日詩人会・
    中日新聞社 共催―報告
            宇佐美孝二

2022.7.3 第62回中日詩祭・時里二郎氏講演


 第62回中日詩祭は、2022年7月3日(日)午後1時より、名古屋市の電気文化会館にて開催された。
 第一部は、中日詩人会会長(宇佐美)と、中日新聞社文化芸能部部長・鵜飼哲也さんの挨拶で始まった。次いで選考委員長の大西美千代が中日詩賞の選考経過を報告。中日詩賞受賞の早矢仕典子さん―『百年の鯨の下で』(事情により欠席)、中日詩賞・奨励賞のかわいふくみさん―『風の ふふふ』に賞状と花束が贈られた。受賞者の紹介では、伊藤芳博さんが早矢仕さんの詩歴等を、岩井昭さんがかわいさんの詩歴等をそれぞれ語られた。かわいさんの、受賞挨拶と朗読で第一部は終了。
 第二部は、時里二郎さんの講演。これも二年越しで依頼してあった講演がやっと実現した。演題は「詩を書くということ」。
 阪神淡路大震災の体験とそれによって詩が書けなくなった、との告白から始まり、神戸の詩人、安水稔和さんの詩「人の声かしら」を紹介。淡々とした詩のなかにあるものが、震災のこころの傷を癒やさすこともある・・・。
自身の詩的出発や同人誌のことから、●人との出会い●詩の身体を作る●詩を書くということ●詩は書けない 思い出すように書く、等の各論を展開。
詩集『名井島』の方法として、アンドロイド、人口知能、未来の文明といった概念を入れたこと。詩は緻密に書くことが重要と指摘。「自分を超えたところでものを作る」。「言葉が私を書いている。それは誰かの記憶かもしれない」。「言葉のなかに私がいる」。「詩人の使命はは詩集を作ること」など示唆に富む内容だった。
 第三部アトラクションはチェロの下タ村祐輝さんとピアノの林めぐみさんによる二重奏。バッハの無伴奏チェロ組曲、G線上のアリアからはじまり、数々の名曲が目の前で聴ける幸福のひとときを味わった。
 最後に、中日詩人会副会長の中原秀雪から閉会の挨拶があり会が閉じた。当日は朝から雨が激しく降り、来場者も予定より少なかったのが若干こころ残りだった。


広島県詩人協会
 「県詩集」出版記念会

講演中の松尾静明氏


 広島県詩集第33集出版記念会は、令和四年七月三日(日)午後一時から広島市東区の「ホテルチューリッヒ」で開催されました。令和二年に第32集の出版記念会を催してから丸二年間、コロナ禍の為、総会等も書面総会となるなど会員参加の行事はすべて中止となっていました。ここ数年お世話になったホテルもコロナの影響を受け廃業になり、初めての会場に少々の不安を感じながらの決行となった次第です。
 例年ならば、詩の朗読などあるのですが、今回は省略して二時間短縮バージョンのプログラムとなっています。 講師は松尾静明氏。演題は【木下夕爾の「蒸留水」という芸術性~その「俳句」と「詩」の共通観念】
 木下夕爾は、昭和三十四年に広島県詩人協会の初代会長になり、その後の広島詩壇の発展に大いに寄与されている。松尾氏は十九歳ころに木下を訪れ以後師事し詩の世界に入ることになります。
 ある会合で木下は「先生の詩にはくらしのにおいというものは、あまり感じられませんね」という質問がされた時に「僕の詩は『蒸留水』のところだと思って読んで下されば・・・」と答えています。この「僕の詩はフラスコの中から生まれる。そして蒸留水を掬うんだ」この言葉は他の場所でも度々発言されており、この言葉を考察して松尾氏は「『蒸留水』とは、水を蒸発させ不純物を取り除いた純粋な水のことで、これは言葉を代えて言えば「本質だけのもの」ということで、木下先生の先ほどの言葉は「ぼくの詩は、まざり気のない、対象の本質だけを描いた詩だと思っ下されば・・・」ということになる」。と結論づけます。そしてこの「僕の詩は『蒸留水』」だということを一貫して自分の詩の技法と方法の基底に置き、そこから詩や俳句を書かれていたのを確信すると結ばれます。
 さらに、木下の詩や俳句を引用しながら、蒸留水はどの部分に当たりますか?などの質問を交えながら詩の本質そのものに迫る格調高い講演を展開。参加者も、久し振りに緊張する時間を共有する会となりました。
 参加者三十一名。懇親会十七名。

ページトップへ戻る