「H氏賞」を賜り、光栄の至りです。多くの皆様に支えられて本日に辿り着くことができました。お礼申しあげます。喜びだけではなくこれからいかに実績を積み重ねていくのかしっかりと考えて参りたいと思っております。
私たちは私とは何かと問うことに頓着しすぎております。その私が人間にとってどのような意味を持つのかこそ問わねばならないのではないでしょうか。関心ある問題の一つであります。
様々なジャンルはすべて意味を問う学問としてあると考えれば、人文科学、社会科学さらに精神分析さえその射程にはいるのかもしれません。では人間の仕事とは何なのか。自然を統制することではなく自己を制御、自己を判断することであります。先ほど精神分析という表現を用いましたが人間の無意識を統制すること。おそらく夢、悪魔が人間の前に現れたのであればそれを統制することこそ急がねばなりません。
夢を見ることは不安であります。そしてその不安の源は夢を見させてしまう人間自身の精神活動に他なりません。人間がもっとも熱心に調査してきたことを問い返せばそれは私の歴史を直視することになります。絶えず人間を魅惑してきた領域であり、容易に変化を与えることのできた部分でもあります。
様々な伝承は人間が幼い頃自分の姿に自己陶酔することを見つけていますが伝承が作られる以前の人々は自分の姿に憧れなどしなかったに違いありません。単純に自分を道具のように扱い、自分の性質を変え他の自己を表現しようとしたのではないかと思います。他の自己を待つためには私は常に行方不明でもあったともいえるかもしれません。
私たちは自分自身を素材として扱いそれによって性質を変えていくことができるとすれば、それは自己の不在に直面することにもなります。遡行して考えれば人間が太陽、月、そして海というような存在に関わることによって自分を信じ自分を目に見えるようにしたのではないでしょうか。自分に見えるものとは呪術的な力を持つ自己に他なりません。
私は行方不明です。すでに捜索願いは出されております。詩作を通して私とは何かの答辞としての自己実現などという考え方が古来から親しいものであったのか検討して参りたいと思っております。そしてフローベールに借りていえば「髙木敏次は私だ。」などという自負もないことを根源として皆様へ言葉を届けていければと思っております。さらに詩人であり続けることの困難から逃れることもなく責務を引き受けて進んで参りたい。
作品の哲学は私の謎である働きを示唆してやみません。それこそ詩の至福であります
芸術といわれるものが語法のなかに哲学をそっと据えられるものであるとすれば……。