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会員のアンソロジー

会員のアンソロジー17・永島卓氏~

 永島 卓 ナガシマ タク

①1934(昭和9)7・20②愛知③碧南高校卒⑤『碧南偏執的複合的私言』思潮社、『暴徒甘受』構造社、『なによりも水が欲しいと叫べば』砂子屋書房、『湯島通れば』れんが書房新社。

 きょうはきのうのあしたです

あなたの朝の海をわたしに売ってください
わたしの空の星をあなたに買ってください

新しい風紋の道に迷って
これから始まる出会いや別れの切なさを
誰に告げれば良いのだろう

いつも知らないふりをしながら逢っていて
いつでも指を結び合いながら
見つめあうふたりの勇気と信頼を
愛しい土地に賭けながら
さわやかに光る旗を夢みていたいのです

樹葉から落ちる透明な雫を掌に包み
寂しさで震える川の物語を
遠い昔のように知っておりました

わたしの水の筋肉をあなたに買ってください
あなたの空の野菜をわたしに売ってください

*(二〇〇八年一月、碧南市成人式のパンフレットより)

 中島 登 ナカジマ ノボル

①1929(昭和4)10・26②埼玉③東京大学文学部仏文学科卒④「地球」⑤『人間の薔薇』国文社、『ワルシャワの雨』砂子屋書房、『遙かなる王國へ』『詩と真実』思潮社。

 その歌を止めるな

書物は引き裂かれた
ふるえる指のまえで
苦悩する指の関節のたにあいで
あえなくもページは乱れ散った


時代は燃えさかる炎とともにある
頭脳の檜の林は倒され
心の奥の杉の苗木も引き抜かれた
鳥たちの羽毛はむしられて土に埋められる


天にむかって叫ぶ声たちのこだま
愛でさえ もう問いでしかなくなった
結ばれるものさえすでに裁かれて横たわる


流れる水よ その歌を止めるな
書物よ 読まれることをためらうな
ふるえる掌のなかで 「言葉」よ
ひそかに黙してあれ

 長嶋 南子 ナガシマ ミナコ

①1943(昭和18)12・3②茨城③日本社会事業大学卒④「きょうは詩人」「すてむ」⑤『失語』青磁社、『鞍馬天狗』『あんパン日記』『ちょっと食べすぎ』『シャカシャカ』夢人館。

 春

居場所の座布団から
去勢猫が大声でなく
からだに刻まれた
記憶に呼び覚まされて


クリーニング店のビニール袋をはずす
ブラウスにたたみじわ
たたんでいた身体を伸ばし
会いにいく


なにかいいことがおこりそうで
玄関先で猫のなき声を
まねてみて


目の前にことし初めてのアイスティ
冷たいものが
男の食道を通って
のど仏がぐるんぐるん
男ってほんと突起物なんだ
のど仏にも

 長島 三芳 ナガシマ ミヨシ

①1917(大正6)9・14②神奈川③神奈川大学卒④「驅動」⑤『黒い果実』日本未来派、『走水』宝文館出版、『肖像』思潮社。

 初雪

鎌倉の初雪は
鳩サブレーの粉よりも細かく
さらさらと積った
雪を踏んで
八幡宮の太鼓橋たいこはしを渡ると
捨てられた黒い子猫が
つめたい石の上で鳴いていた
雪は捨てられた子猫の命を
秤にかけるように
生と死の混濁こんだくの中を白く
無限に積った。


八幡宮で拍手を打って帰り道
太鼓橋の石の上で鳴いていた子猫は
もういなかった
子猫の小さな命の足跡を辿っていくと
源平池の方までつづいていて
枯れたはすの雪の根元で
消えてしまっていた。

 中田 紀子 ナカタ ノリコ

①1945(昭和20)②群馬③成城大学英文学科修士課程修了④「流」「波」⑤『眠る馬』潮流出版、『一日だけのマーガレット』土曜美術社出版販売。

 夜の木

わたしは木にしがみつく
そうすることで
心の均衡をたもつ


木はわたしに一切おかまいなしに
ある摂理に従って立ち
明け方まで きちっと灯る

針が突きささっている針山に
足を踏みいれたときだった
銀色にひかる針は
ビリビリ電気をおびて迫ってきた

昼の熱を溜めた木と目が遭った
一日じゅう繋がっていた人たちが
するすると宙に浮き ぱらぱらとこぼれ
壊れ増殖を続ける細胞たちが
少しずつ修復されていく

木はそのまま
朝までわたしと生きる

 中谷 順子 ナカタニ ジュンコ

①1948(昭和23)3・10②熊本③実践女子大学国文学科卒④「撃竹」「覇気」⑤『破れ旗』『白熱』『現代詩・十人の詩人』『続・夢の海図』東京文芸館。

 茜雲

とんぼは
捨てなくちゃなりません
身を軽くしないと飛べませんから
いらないものもいるものも


身を切って 風を切る
赤とんぼは
恥ずかしい恥ずかしいと飛んでいるのです
あっちに躓きこっちで震え

そのたびに真っ赤になって逃げていくのです
捨てっちまえば
もっと上手に飛べるのに

秋の蒼空の気高さが似合うのも
たなびく茜雲の憧れが似合うのも
その羞恥心を失わないから

捨てっちまえば もっと強く飛べるのよ
でも……
羞恥心は日本人の心ですもの

 長津 功三良 ナガツ コウザブロウ

①1934(昭和9)9・2②広島③広島舟入高校卒④「火皿」「竜骨」⑥『白い壁の中で』樹木社、『影まつり』竜骨の会、『おどろどろ』セコイア社、『影たちの墓碑銘』幻棲舎。

 白の残像

背戸山の 墓地の横
僅かな梅林に 咲き始めた 白い花影の群れ
揺れながら
おまえが 佇んでいる


菱形に迫つた山あいから まだ冷たい風
墓に 花は 飾らない
一緒に生きていたことを 日に何度か
思い出してやれば いい
そして おれが死ねば 一緒に 死ぬ
それで いい

冷たい 春には末だ早い 風が吹く
そこに おまえは いない
白い 花の 匂いが
残つている

風の中に
一瞬 はぐれ螢の 飛ぶのを
見る

 中塚 鞠子 ナカツカ マリコ

①1939(昭和14)7・30②岡山③富山大学薬学部薬学科卒④「イリプスⅡnd」「区曾日」⑤『駱駝の園』『セミクジラとタンポポ』『約束の地』思潮社、エッセイ集『庭木物語』編集工房ノア。

 記憶

遠くで
かすかな呼び声
そこに立って光をお浴び
わたしは泳いで行くわ
水の中に置き去りにした
かけがえのない双子の妹よ
おまえは草になり
わたしは生き物になる
それは生まれ落ちたときからの約束
こうしてわたしたちは旅立っていく
水の中には遠い遠い記憶が漂っていて
ときどき聞えてくる
不思議なえにしの呼び合う声が

 中西 弘貴 ナカニシ ヒロキ

①1942(昭和17)1・6②京都④「反架亜」「座」⑤『消息』関西書院、『水獄』『花街』編集工房ノア、『虫の居所』思潮社、『飲食』編集工房ノア。

 二月

この岸辺の水際で
だれかがひとり
枯木を集め
火を熾し
小さな炎を
かたどったかもしれない
とおい闇にむかって
小さな小さな呼び声を
発したのかもしれない

橋のむこうから
鈴を打ち鳴らし
点々と
花のように炬火をつらねて
やってくる一群があって

それら繁華の群に
小さな小さな声で
別れを告げ
ひとり消息を絶つものが
いる

 永野 昌三 ナガノ ショウゾウ

①1940(昭和15)4・17②埼玉③東洋大学文学部国文学科卒④「埼東文學」⑤『影』『遍歴の海』『螢』花神社、『ガリラヤ湖を越えて』思潮社、『島崎藤村論――明治の青春』土曜美術社出版販売。

 石

すべるように傾斜する 石と石との間に
白骨化した 一本の木が立っている
空の光は白く 熱く 息づいている。
紅葉の山山は眼前に燃えて
どこまでも つづいている。

眼にとどくことのない距離のむこうに
雲にかくれて
紅葉が忘却となって 白い炎にそまっている。

空をわたる風 秋の残した
なにを 記憶するのだろう
やがて 重い雲が来る。

冬という語がはじけて
語が終らないうちに
山は雪になる
雪にとざされて眠る山山

傾斜する光は 消えて
人の影が闇へいそぐ。

 中浜 睦子 ナカハマ ムツコ

①1943(昭和18)3・13②大阪③帝塚山学院短期大学文芸科卒⑤『海の家から』『ちえの輪』思潮社、『揺れる椅子』葦書房、『朝の祈り』ポエトリーセンター、『聖なる木』『青豆』編集工房ノア。

 雲

ながい間
流れる雲を見ていた人が
こちらを振り返った
はっとするほど
きれいな表情かおをしている

いちばんその人らしい
目差になったからだろう

 中原 緋佐子 ナカハラ ヒサコ

①1931(昭和6)11・12②兵庫③兵庫高校卒④「花筏」⑤『紅の花』花神社、『白い花びら』『水平飛行』土曜美術社出版販売。

 わたしの浮き橋

明石海峡大橋を
行き交う車の光の流れ
潮風に吹かれながら
この海で泳いだ
あの日々を思い出している

夕映えの暈を
二羽の鳥が飛んでゆく
どこへゆくのかと見守る空に
そこはかとなく
淋しさが漂いはじめる

母の年を越えた わたしがひとり
遠い日の少女のわたしと向き合っている
ここは そう、ここは
ふるさとの海辺です
わたしの密かな憩いの部屋

春が過ぎ 夏が来て
わたしのあの橋は遠く
浮き橋のように揺れている

 中原 秀雪 ナカハラ ヒデユキ

①1950(昭和25)3・14②山形③広島大学文学部哲学科卒④「地球」⑤『祝婚歌』書肆季節社、『瀬戸内海』みもざ書房、『星のいちばん新鮮な駅で』思潮社。

 退屈な木登り魚

「失われた時代」
と言われながら
失われたものがわからない
ハンバーガー店で
絵本をひろげて
空の青や雲のかたちについて
考えながら
木や海の姿が
もっともふさわしいこの星で
きみの思考は何重にも車に包囲されたまま
退屈な日常を生きている
雨粒に熟れる木々の若葉に
木登り魚のように
錯覚が
希望のように光っている
曲がりくねった道の見えなくなる明日に
落書きのように
書くなよ
伝言板に
幸せなんてことは

 中原 道夫 ナカハラ ミチオ

①1931(昭和6)6・5②埼玉③東京学芸大学国語科卒④「日本未来派」「柵」「漪」⑤『石の歌』光線書房、『わが動物記、そして人』、『人指し指』土曜美術社出版販売、詩論集『いま一度、詩の心を』詩画工房。

 空

          白鳥は湖水を泳いでいるのではない
         湖水に浮かんだ空を泳いでいるのだ

魚は体を弓のように曲げると
思いきり空へとんだ

空の青さ 空の深さの中に
魚は存在を信じていたのだ
空への飛翔
それは魚にとって生きることでもあったのだ

しかし とぶことにより
魚は何を知っただろう
ふと 見おろした小さな湖水に
大きな空を発見したのだ

湖底に深く沈んだ魚は
再び姿をあらわさなった

 中村 吾郎 ナカムラ ゴロウ

①1936(昭和11)②山梨④「花」「地平線」⑤『甲府盆地』砂子屋書房、『御坂峠』土曜美術社出版販売。

 甲斐の曲淵

長い道だった 道に沿って土塀が続いていた
だから 垣間見ることはあったとしても
人もその行く末も 見とどけられなかった
人は「短い」と言い 「一瞬だ」とも言った
しかし この道は平和の世ではなかったから
極端に曲り 急激に登り下りしていた
重ねても重ねても 曲淵の年齢が驚いた
道の左右は闇で 時々幻覚はみえたが
人の幸運など 見えるはずもなかった
それでも想像し 期待し 脳裡にえがいた
灯火のようなゆらめきがし 人声が聴こえた
それが手がかりであり それが愉しみだった
だが 戦国の激動が続いた年二月十九日
その朝に 突然の激痛が背中を走った
(何もいらない)と思う 曲淵庄左衛門
気力の全部を出しきって 走りだした
遥か 名もない男はかどを曲って去った

かどを曲ると 何も見えなくなっていた
            ―『花』より―

 中村 節子 ナカムラ セツコ

①1947(昭22)3・31②神奈川④「光芒」⑤『モンスーン地帯』『花の位置』『のっぺらぼう』『モザイクの海』『モザイクの山』。

 緑の手

千年以上の樹齢が屋久杉と呼ばれるという
岩肌のような肩の辺りに触れると温かかった
わたしは やっと逢えたね といったが
あなたは何も応えなかった

あなたに近づくために
わたしは千年の老婆になり
古代の森に住んでいる夢をみた
わたしには一瞬のことだった

森の静か過ぎる暗さがこわくて
わたしはすぐに現実に戻ったのだ
あなたは変わらず何も語らずそこにいたから
あなたの全身を写そうとカメラを構えた

風に晒された皮膚だが威風堂々の姿
小童なわたしに全容をみせない
まだ 生きるのだ という証しか
緑の手だけが頭の近くで揺れていた

 中村 信子 ナカムラ ノブコ

①1933(昭和8)8・25②広島③専門学校卒④「詩潮」「so lana」⑤『愛と死』『石の果実』『風紋』『炎える海』『女神』蒼樹社。

 携帯電話

独りの動作は
時に滑稽で 時に淋しい
弧の空間に
色鮮やかに夕日が落ちても
抱きしめられない

目も口も耳も
それぞれが独り歩きして
顔に収まらない不条理劇
届かない表情に裏切られ
言葉に繋ぎ止められる

いつか終焉の時
遠くに在る友を手探りして
割れた鏡を繋ぎ合わせるように
電池切れの携帯電話のボタンを
押すのだろうか
言葉は空を飛んで

 中村 不二夫 ナカムラ フジオ

①1950(昭和25)1・11②神奈川③神奈川大学法学部卒④「ふーず」「ERA」「柵」⑤『コラール』『使徒』土曜美術社出版販売、『山村暮鳥論』有精堂。

 狂犬

ひととき死への猶予を前に
等しい距離で丸い首を並べ
だれもが夢の長さを計っている
夢の長さはすこしも伸びない
観念の洪水に閉じ込められ
だれもが死んでいく町に
青春を殺しに行くのだ
帰らない舟を伴い
罪を洗い流しに行くのだ

 中本 道代 ナカモト ミチヨ

①1949(昭和24)11・15②広島③京都大学文学部哲学科卒④「ユルトラバルズ」「オレンジ」⑤『春の空き家』詩学社、『春分verna l equ inox 』『黄道と蛹』『花と死王』思潮社、『空き家の夢』ダニエル社。

 曲がった石段

棕櫚の樹の向こうに朝ごとにけむる空が
違う生を冷んやりと拡げている


蛞蝓なめくじが休眠する石段を降りていくと
生物の臭気が吹き抜ける
花ひらく旅上の脳髄
襞から襞へ 陽の目をみない精神は逃れてい
 く

遠い河
手を伸ばしても届かない深さに
一番はじめの欲望は泳いでいった

くりかえし石段を降りていく
忘れられたしぐさや行為は霊のように残って
 いて
治らない傷口を死の世界へと向けている

 永谷 悠紀子 ナガヤ ユキコ

①1928(昭和3)②愛知④「アルファ」⑤『歳月について』『酒の唄』『わたしはここ』『ひばりが丘の家々』不動工房、『四匹の犬と住む伯母さんは』編集工房ノア、『冬の家』ジャンクション・ハーベスト。

 堕天使(部分)

天使大学 と小さく
昨年の日記の端に書き加えてある
どこで見つけた言葉だろう
わたしたちが神の操り人形だ とは
年を重ねて 悟った
舞台も 持ち時間も定められていた

最近 爪先や頭のてっぺん 手の指など
ときどき
ツンツンと引っ張られるのは
糸が手ぐられ始めているから


地面から足が ためらいながら離れ始める
瞬く間にわたしは視界から消える
くうを越え到った天には
モスクに似た殿堂が浮かんでいて
天使大学
見覚えあるのはなぜだろう
だだっ広い構内の隅
時折掃除夫に下界へ掃き落とされるのが
堕天使

 中山 直子 ナカヤマ ナオコ

①1943(昭和18)4・5②東京③慶応義塾大学文学研究科哲学専攻博士課程修了④「嶺」「アリゼ」⑤『ロシア詩集銀の木』土曜美術社出版販売、『トゥルベツコイの庭』本多企画、『ヒュペリオンの丘』東信堂。

 野の道

黒い雲が 立ちはだかった
午後の太陽の前に
あたりは暗く さびしくなった
さあさあと
枯野に風が吹いていく

黒い雲のうしろで
太陽は燃えた
雲は黄金の縁どりをされて
そこに立っていた

それは 力強く大きな翼の
天使のかたちとなっていった
私は 細い野の道に立って
ただ 見ていた

いつのまにか 私の心も金に燃えた
そして 燃えながら 溶けていった
何か固く はてしなく
冬のようだったものが
忘れて思い出せないほどに__

 名古屋 哲夫 ナゴヤ テツオ

①1928(昭和3)12・13②京都③同志社大学大学院哲学科中退④「現代京都詩話会」「作文」⑤『名古屋 哲夫詩集』芸風書院、『異端』編集工房ノア、『呼ぶ』行路社。

 ある

石がある
そこにある

石がある
石の形をしたものが そこに

踏もうとするが
踏まないで
まだ

そこにある
石と思わねば
石でない

石の形をしているが
そうでないかもしれない

俺はいるが
俺でないものが
いるかもしれない

 夏目 典子 ナツメ ノリコ

①1946(昭和21)1・1②東京③中央大学卒④「六分儀」⑤『夜の洗礼』花神社、『バルテュスの優雅な生活』新潮社。

 満月

無口な鳥の群れを首をそらせて見送った夕べ
桃色の大麻と釣鐘草の大きな花束が届いた
「あなたの順番がきました」
添えられたカードに書かれていた
花束を床において
猫にご飯をやり植木鉢に水をやり
長い髪を洗った

濡れた体のままで部屋中の窓を開けると
満ちた月が目の前に迫っていた
月の中には私の柩が用意されていたので
急いで猫を抱き花束を持ち
裸のまま射し込む光の中に立った

気がつくと青灰色に輝く柩に横たわっていて
とても柔らかな感触が心地よい
地球の影にそって雲が流れてゆく

カフェのテラスで男は私の肩を抱き寄せ
満月を見ながら
「あれは地球だよ」といって笑った

 なべくら ますみ ナベクラ マスミ

①1939(昭和14)9・24②東京③日本大学文理学部国文学科卒④「さやえんどう」⑤『色わけ』詩学社、『人よ 人』訳詩集『時間の丸木舟』(韓国・呉世榮)土曜美術社出版販売。

 白い鳥

急行が止まらない駅
それでも絶え間なく人は乗り そして降り
噴水は大きな音を振り撒く
水を前にして スポーツ新聞に顔を埋める人
しぶきを浴びながら 缶ビールをあおる者
それぞれが自分の世界にいる 風が強い

風をはらみ汚れた水面を動く
白い鳥
あやふやと傾き 揺れても
飛び立たない不思議
一羽 二羽…… 大きかったり小さかったり
鳥たちに目を向ける人はいない

エコ エコ エコロジー と
鳴き声のように唱えられ
使用を制限されたレジ袋
こんなところで 鳥となって遊んでいる
男が立ち去ったその後に
また一羽 白い鳥が生まれ
不安気に 風に吹かれて飛んでいく__

 苗村 吉昭 ナムラ ヨシアキ

①1967(昭和42)7・29②滋賀③龍谷大学経済学部卒④「砕氷船」⑤『武器』、『バース』、『オーブの河』編集工房ノア。

 しあわせのかたち

しあわせのかたちは
いつもすこし欠けた円形をしている
なぜなら
完全な円形をしていたら
そこから崩れていくしかないから
あとは不幸になるしかないから
だから
しあわせのかたちは
いつもすこし物足りない
しあわせのかたちは
僕らがしあわせになれるように
いつもすこしだけ努力できるようになってい
 る
だけど僕らは欠けた部分だけを見つめて
いつだって
しあわせを逃がしてしまう
そして
ずっとずっと後になってから
昔しあわせであったことに
ひっそりと
気付くものである。

 奈良 暎子 ナラ エイコ

①1935(昭和10)4・26②徳島③大阪大学卒④「火牛」⑤『水炎』思潮社。

 その時

その時 私はからだの修復に夢中だった
親しい季節をいらだたせ
風雨の記憶も遠ざけていたが
風にあおられた新聞にふと目が走った
〈今あなたは何を学びたいか〉という文字
「心学」と答えているのは小学六年生の少女
そこだけが 木もれ日のように胸に落ちた

やがて私はこころをもてあまし 見失う
こころって すきま風のなかの幽霊なんだ
映し合う幻は いつか闇に吹き消される
そこには にじんだ余情の美しい形骸が―
こころの病はその顔を見せないという
その身を砕いて生み出した幾多の仮面が
何に向かって闘うというのだろう
百花のような 百鬼のなかの迷い子よ

さあ行こうか あの少女を探しに
明かるい未来のような一つのことば
過ぎ去る臆病風にも挨拶をして

 なんば・みちこ ナンバ・ミチコ

①1934(昭和9)2・24②岡山③岡山大学教育学部卒④「火片」「舟」⑤『伏流水』『蜮』『おさん狐』土曜美術社出版販売、『下弦の月』書肆青樹社。

 壊れた万華鏡

空の際に うす碧い気流が流れ
木々が潤って 葉を揺すった
色とりどりの鳥たちが集まって
おいで おいで
ここには 水が 酸素が 光が
いっぱいと囀った
鳥たちは啄んだ
太陽のかけらを 星たちを

それから
世界はくるりと回って
生き物は一切いなくなった
星も 月も 太陽もなく
大地はひび割れ
枯れ葉が舞い やがて
動かなくなった

――もう一度回って と
わたしは彼に何度も語りかけ
揺さぶったが
彼は希望を連れて 去って行ったまま

 新倉 葉音 ニイクラ ハネ

①1946(昭和21)5・24②東京③立正大学文学部地理学科卒④「騒」⑤『ロタンの椅子』『傾く麒麟』。

少数派

 落羽松の幹の間から、ちらちらと見え隠れ
する動かない水。湿気を帯びた大気に押さえ
つけられとろっとして滑らかだ。雨水を集め
水嵩の増した遊水池の縁に佇み、人のいない
公園を静かな池を心地よく呼吸していると、
水面に魚の背がのぞいたのだ。目を凝らすと
一匹ではない数匹でもない尋常ではない数の
魚たちが連なり大蛇となってうねっている。
環になってはほどけ二列になったり散り散り
になったり、池いっぱいに溢れそうなゆるや
かな饗宴だ。その動きに身を委ねたゆたって
いると、魚たちの呼吸に呼応して私もまた生
きているのだと気づく。
 それにしてもこの繁殖の過剰さは、魚たち
のせいばかりではないのだろう。我に返ると
やはり雨が降ってきている。私はこれから傘
を目深に差し、過剰な街で流れのままにう
ねっている大蛇に取りこまれないよう、向
かってくる人の間をすり抜け、今日を終える
のだ。やがてやってくる渇水期の魚たちの行
く末を思い描きながら。

 新延 拳 ニイノベ ケン

①1953(昭和28)2・26②東京③東京大学経済学部経済学科卒⑤『わが祝日に』『永遠の蛇口』書肆山田、『雲を飼う』思潮社。

名づけえぬものゆえ

洗っても洗っても湯のような光の中
とびたつもの
君は誰ですか
分散和音
名づけえぬものゆえ忘れえぬもの
叫びえぬものゆえ聞かれえぬもの
五月の空は余白ではない

木漏れ日の軽快な動き
神の遊びのよう
死出の衣装より白い蝶がとびたつ
未生のわれをきっと見つけよと

言葉の海からひとつの名が打ち上げられる
誰かに拾われ読み上げられる
わが名だ
私は静かに手を上げるだろう
もうすぐ夜が明ける
私も還らなければならない
言葉にならぬ言葉を抱えながら

 西 杉夫 ニシ スギオ

①1932(昭和7)5・7②東京③早稲田大学露文科卒④「新日本詩人」「コスモス」「騒」⑤『シニア・シチズン』青娥書房、『食物記』皓星社、『プロレタリア詩の達成と崩壊』『抵抗と表現』海燕書房。

 ニュータウン夕景

団地のなかを
カバンの中年男が歩いていく、
連なる棟はどれも黒ずみ
露出部のサビが目立っている。
せまい階段が暗い口をあけ
むろんエレベーターはない。
何十年もまえにもてはやされた
典型的な2DKだ。
男は歩いていく、
男は医師だ、
診療の合間をぬって
往診に出るのは夕方になる。
団地の街に
めっきり老人がふえてきた、
きょうも待つ何人もの患者、
そのすがりつくような目。
めざす棟を男は上りはじめる、
靴音がしばらくつづく、
やがて重いドア音がひびいた、
そのまま一瞬
物音がとだえた。

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