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会員のアンソロジー

会員のアンソロジー20・平井孝氏~

資料・現代の詩2010

 平井 孝 ヒライ タカシ

①1929(昭和4)10・15②埼玉③一橋大学大学院法学研究科修了④「蒼玄」「高麗峠」⑤『秩父』『五合目過ぎて』『鳥の言い分』『カンディンスキー幻視行』花神社。

 リンツのブルックナー音楽堂に

アントン・ブルックナーよ
あなたの第四交響曲を聴くたびに
ドナウ河畔の美しい街リンツを想うのだ
何層もの多彩な音が組み上げてゆく
あなたの壮大なゴシック大聖堂
その中央でぼくは目を見張り耳を澄ます
左右壁面の四角いステンドグラスの聖画
青 黄 緑 赤 茶 紫の光がキラめき
ダイヤモンドダストの音が全身に降って……
ぼくの心を敬虔で爽快な微風が流れる
ブルックナーよ ぼくは忘れない
十九世紀の贈物「ロマンチーク」を
あなたの至高の魂の音楽に酔って
あなたを称えたあの日の大音楽堂を
戻らぬあの日のぼくの青春を

 平井 弘之 ヒライ ヒロユキ

①1953(昭和28)1・18②東京③高校中退 ⑤『忘れ女たち』『管(くだ)』書肆山田、『小さな顎のオンナたち』ミッドナイト・プレス。

 弱き飛行機乗り

ずっと雨が降り続いた
十二月の東京とはいえ
CD盤のうえでは暮らせない
クリスマスソングだらけでうんざり
してもいいはずなのに
冷たい水で手を洗っている最中も
飛行機乗りだったらどうしているだろうかと
水曜日にはついに雲のうえに出てしまった
わたしではないがわたしにちかい
情報解析の小さなレンズのように
雲上の太陽はひっそりと輝いていた
    *
ぼくは千切れたらつながらない
そうつぶやいて弱き飛行機乗りは
雲海をいっきに潜る
もう誰にも見つからぬ
もう誰もが探し出す
ああ めじるしは
アスファルトにきみがロウセキで描いた
おおきな毛虫の絵

 平石 三千夫 ヒライシ ミチオ

①1930(昭和5)10・17②岐阜③岐阜大学国語国文学科卒④「存在」「現代批評フォーラム黙示録」⑤『白い台地』存在社、『傾きかけた午後の日差し』宝文社、『感傷シネマ』土曜美術社出版販売。

 まっすぐに歩いていく

なにもかも脱ぎ捨てる
虚飾も脱ぎ捨てる

冬は一本の裸木になる
無言の敵意に晒される裸木だが
耳をあてると
それはもう生きていて
かすかに水を吸いあげていた

モノクロフィルムの
画像は色褪せて
ぼくの歩いてきた道も
バランスを崩している

はじけた包いの中の
明るい目覚め
波うねる命の
中を歩いていく
まっすぐに歩いていく

 平田 好輝 ヒラタ ヨシキ

①1936(昭和11)2・24②島根③早稲田大学大学院修士課程修了④「青い花」⑤『わずかなとき』思潮社、『みごとな海棠』エイト社、『智恵子と光太郎』東宣出版、『恩師からの手紙』エイト社。

 小駅小景

プラットホームの端の方まで
歩いて行くから
何をするのだろうと見ていた

彼女はただ
歩いて行っただけだった
そのあいだに
深呼吸をしたのかもしれないし
遠くに見える海を
見たのかもしれないし
あるいはそっと
溜息を吐いたのかもしれなかったが
見ていると
彼女はただまっすぐに歩いて行き
そして戻ってきただけだった

それだけのことが
なんと美しく見えたことだろう
空気の澄み方まで
よく見えた気がした

 平野 敏 ヒラノ サトシ

①1934(昭和9)12・2②青森③東北学院大学経済学部中退・慶応大学文学部中退④「圏」「首」「胴乱」「魚信旗」⑤『鎮魂歌』詩学社、『やまと』紫陽社、『残月黙詩録』(3部作)私家版、『月?』梗興社。

 (よわい)

いずれ故郷に帰れるという(かお)していた歳月
その道程が伸縮しているよわいというやつ
幼児の(とし)がぐんぐんのびて
いつしか蓬莱山の近くまでのびきって
すでに帰れずの老いの細道にはまっている
往時の夢も老松の枝先に消えかかり
くしゃみしても高揚しないこの異界
まいにち死ぬ人の周りにいて
つとめて温かい目で見送っている
虫が鳴き花びらがしきりに散る夜は
眠らずに(つい)の人を撫でまわす
急がずにゆっくりととひとはいうけれど
あのコーナーを回ってからは霞だらけの光景
(すさ)ぶる父 ()さぶる母の声も
追い風となって()き立てるときがある
ぼんやりと絶景に打たれてきたわけではない
瞬きの間を言葉にと見えない道程を焦る
あの気色
あの虚像の誘いに
よわいというやつは(とし)も知らせずに
ひとを嗤っている

 平野 春雄 ヒラノ ハルオ

①1918(大正7)3・26②兵庫③京城帝国大学医学部卒④「潮流詩派」「さやえんどう」⑤『冬の蝶』『雪に匂いがない如く』詩学社。

 象

「象サン ドウヤッテ 寝ルノカナ?」
母親に手を引かれた少年が檻の前を通り過ぎ
て行った
此処に居る象は その名は「アーシャ」
体重四一九〇キログラム 歩行時速五―六キ
ロメートル 排便八〇キロ 妊娠二十一ヶ月
『象の時間』『鼠の時間』と謂うのがある。
すべての動物は等しく一生の間に呼吸数五億
回 心拍数二十億回で生涯を終える 一生の
間の総呼吸数 総心拍数はみんな同じである
森ヲ焼クナ ジャワ虎ノ轍ヲ踏ムナ
何処からか聞こえて来る 厳しい箴言
突如トランペットの様な長い鼻を振り上げて
「アーシャ」は後肢で屹立し 一瞬悲痛の叫
びを上げた
融解する北極の氷山 恣の森林伐採 アマゾ
ンの増水 都会の炭酸ガス 地球は病んでい

それは私の空耳だろうか

 平野 裕子 ヒラノ ユウコ

①1939(昭和14)11・13②旧満州新京③和歌山大学学芸学部卒④「ガイア」「リヴィエール」⑤『南京豆』編集工房ノア、『季節の鍵』大阪朝日カルチャーセンター。

 時のダイビング

猛スピードで限りなく垂直に落ちていく夢
暗闇のダイビングは幾晩も続いた

自分で限界を作っては駄目と父の、谷落とし
 の言
投げられた成長の芽は管を伸ばし手探りの旅
とっかかりもなく無限の深さへ落ちていく

霧中でにぎりしめていた闇の中
罪人のため自分の命を差し出した人
愛が陽炎のように燃え立っていた修道女
心地よい宇宙の遊泳

何処からかイブに囁く悪魔の声
またも落ちていく疑いの日々が
ヒマラヤの頂のように競り上がってきた

何処まで落ちたのか 私のダイビング
きっちり折り返された時間の角には
可能性の残骸の煙がくすぶっている

冷凍から溶かされた時間は いま二十五回忌
贈り物の父のネクタイが夕焼け空に棚引いて
夢は地平線の彼方を吹き渡っている

 平林 敏彦 ヒラバヤシ トシヒコ

①1924(大正13)8・3②神奈川③市立横浜商卒 ⑤『種子と破片』書肆ユリイカ、『環の光景』『磔刑の夏』『現代詩文庫・平林敏彦詩集』『舟歌』評論『戦中・戦後・詩的時代の証言』思潮社。

 冬の手紙 1

この村に住んで悔いもなく
ひそかに安穏を願ってもいない
ことしも早い冬がきて
刈り取った菜を洗う女たちの
白い手が
ひらひら水をくぐる

暮れなずむ空の下にいて
のどかな時をもてあますとき
いつかこの世の光がとどかなくなった場所が
意識の奥にひろがっている

死ぬほどのかなしみにも遭わず
身の毛がよだつほどの畏れもなく
私は何を生きてきたのか

菜の束を抱えた女たちのはなやぐ声が
夢の名残りのように聞こえてくる

 平山 貢 ヒラヤマ ミツグ

①1930(昭和5)10・25②東京③大学法科卒④「風」⑤『鳥影』現幻社、『居候詩集』『神戸移住記』風社、『演劇と詩精神』現幻社、『海人族の賦』工房TOKIWA。

 サボテン・抄

だれにもよびかけず
だれからもふりむかれず
自衛のトゲはまとっても
戦うことをしらぬもの

愛されるすべもしらず
砂にまみれてまずしく
正気の沙汰ともおもえぬ顔つきで
天をにらみ
孤独がさだめと覚悟している
でくの坊

かぎりない無視の風に
吹かれながら
ときに人知れず紅の花を
咲かせたりして
もくもく砂漠に立ちつづけるもの

 比留間 一成 ヒルマ カズナリ

①1924(大正13)3・5②東京③東京物理学校卒④「青衣」「青い花」「POCULA」⑤『閉ざされた野の唄』『博物界だより』土曜美術社出版販売、『河童の煙管』書肆青樹社。

 譚詩「化石」

 ――赤ちゃんは知っている(12)
 化石を探していた 割った土塊(つちくれ)から
 木の葉と見たのは人間の眼窩
 持ち帰って飾棚に置く
 と それは夜な夜な虫の声を奏でる
 悲しげな 淋しげな 草のさやぎに似て
 見れば目元の土の色が異なる、涙の痕か
 元の崖に戻そう 仲間の埋れる処へ

父の詩に祖母は声を呑んだ 固い表情の父
祖父は窓から夜空を仰いで言った
――あの満天の星も人の目 輝くのは涙だ
戦場で倒れた無数の兵士の目を思っての事か
父は そっと立って祖父の肩を揉み出した

母が取り込んだ洗濯物を抱えて入ってきた
明るい笑顔は 場の雰囲気を一転させた
抱き上げられた私は
――化石はそのまま棚に置いて下さい
 その声をしっかり受けとって下さい
 古人の悲しみも近人の悲しみも同じです
拳で母の胸を叩いた

 廣瀧 光 ヒロタキ ヒカル

①1937(昭和12)1・15②埼玉③浦和第一女子高校卒④「杭」⑤『寒い夕焼』紅天社、『刻の筐』『傾いた一人称』『みらいとし』大宮詩人叢書刊行会。

 彼岸花

客の居ないカウンターで
女ひとり 盃を重ねる
すでに 彼岸花の向うに
消えた女が

女は地球上を 何ミリ歩いたのだろう
日焼した女の顔から 彼岸花の花弁が
夏の日肩先に 止った?の亡骸が
盃に浮んだ

何十年も 歩き続けた地球上
だが 女の足跡など
どこにもない

一ミリ 二ミリ 歩いただけの
ひとり歩きの女
地球の片隅で
盃の底に残った花びらを
痩せ細った掌に掬う

 お酒がこぼれます

 深澤 忠孝 フカサワ タダタカ

①1934(昭和9)②福島③早稲田大学第一文学部国文科卒④「久く延え毘び古こ」「草野心平研究」⑤『熔岩台地』思潮社、『妣ははの国』地球社、『草野心平研究序説』教育出版センター、『現代の文章』有精堂。

 おたあ・ジュリア

――流人島異聞・神津(こうづ)神津島

神津島の流人墓地は明るい。港の上の一等地。
日蓮宗不受不施派僧の墓が多いのだが、中に
方形二層、窓に十字の塔がある。それがおた
あ・ジュリアの墓と確認されたのは、ジュリ
アが殉教したと伝えられる慶安4年(165
2)から300年以上たった、昭和32年のこ
とである。ようやくジュリアの魂は蘇った。
今は毎年、墓前でジュリア祭が催されている。

おたあは秀吉の朝鮮出兵の戦乱で孤児となり、
オーギスト・小西行長に庇護されて日本にき
た。王族か貴族の子と言われ、気品ある、美
しい幼女であった。長じて秀吉に愛され、秀
吉亡き後は家康に?愛されたが、その意には
添わず、切支丹も棄てなかった。故に遠島、
大島から新島、さらに神津島へと流された。

親も祖国も、言葉も奪われたが、オーギスト
に導かれた神の愛にすがって生きた。そして
在島40年、聖処女として、けなげに果てた。

 扶川 茂 フカワ シゲル

①1932(昭和7)1・17②徳島③徳島大学学芸学部卒④「戯(そばえ)」⑤『家族』株式会社出版、『木のぼりむすめ』かど創房、『羽づくろい』編集工房ノア。

 やがて

 やがて死ぬけしきも見えず?の声 芭蕉

ちっちゃなノオトに
――ぼくは黙る と書いてきた
――ぼくは話す と書いてきた
――ぼくはうたう と書いてきた

そうしてぼくは
きみの前で 黙り
話さなかった
うたもうたわなかった

快活な金髪のインゲボルグよ
十七年ゼミのようにぼくはきみを愛した
くらい くらい地の下で

けれどやがて
いつか ある明るい日の朝
ぼくは純白(まっしろ)のスーツを着て
きみに会いに行くつもりだ
もう 書くこともしないで――

 福井 久子 フクイ ヒサコ

①1929(昭和4)2・2②兵庫③関西学院大学大学院英米文学修了④「灌木」「たうろす」を経て「地球」「風神」⑤『海辺でみる夢』人文書院、『異界からの客人』思潮社、『形象の海』編集工房ノア。

 かげろう存在

かげろうの揺らめきは
時間と空間を超えた狭間でおこる
手にとって確かめることのできない
影絵に似た魂の屈折か
空の一部を切り取って絵本にして
棚の奥に秘めておいても
まるで虹のきらめき
色彩の濃淡を表わして
天人の形をして駈けてくる
髪を三角形にたなびかせ
しなやかな足はまるで彩雲
かげろう存在 それは
透明な空を曇らせる天人だと
ざわめく風が告げてくる
棚の闇から闇をつないで
蒼穹にかかる石橋
そこから
無意識の沼へと落下する

 福田 武人 フクダ タケヒト

①1963(昭和38)②東京③パリ第八大学大学院博士課程卒④「hote l」「ウルトラ」⑤『死亡者』『言語の子供たち』七月堂、『砂の歌』思潮社。

 神の島

木々の枝や夢、そして光の紐や斑点に絡まれ
ながら僕は歩いた。その緑の丘を登り、岩の
集まる場所で、言葉の道は終わりになる。再
び方向を変えて、暗い蔭の中を、別の道を
探って歩く。唐突に巨大な岩石の陰部が現れ
る。その裂け目を通ると、風のみが渡る道、
その内部に青い空が望まれる。そして、遠い
海、神の島。

その平坦な島で、木々の枝と葉叢で編まれた
側壁を風と鳥の出入りする神殿に光の粒を絶
えず口から零す偏在する空。

 福田 弘 フクタ ヒロム

①1931(昭和6)9・27②長野③高等専門学校、林学科卒④「文学と歴史」の会 ⑤『銹の記憶』花神社、『記憶の風』独羊社。

 豆腐を買いに

味噌汁には豆腐がなければ
あたし買いに行ってきます
そう言って 出て行ったまま
八年たっても あの人は帰ってこない

きっと 豆腐の匂う道へ
行ったに違いない
鍋は煮立ち
煮干も入れた コンブも入れた
汗の準備ができたことを ぼくは
あの人に報せに行かなければならない

傾いた陽の下 オカラが乾してある
でも豆腐工場は休業中
夕暮れを透かして見ると
ぽつん と人影
近づいて行くとあの人が屈みこんで
豆の生る木を植えていた

豆の生る木を

 福谷 昭二 フクタニ ショウジ

①1931(昭和6)7・11②広島③広島大学卒④火皿(ひざら)⑤『遡行』渓水社。

 雨がふる日の川原

堤防から緩い斜面を
この季節 雨の日何を求めてか
湿った地中を這う姿のまま這いでてくる
この小さないきものには長い迷路だ

わずかの幅の道を渡りきらないうちに
じわりとからだが乾いていく
人がとおる道は地中の生きものには
意図せずいのちを失う場所だ

雨があがり陽がてると
散乱する干からびた黒いもの
人は乾かして作った薬を「地龍」とよび
地下では土地をゆたかにする短い生きもの

いま この在り様を自然というな
幾たびか長い時の推移のなかで
飢餓 はやりのやまい 多くのいくさで
さらしてきた人の姿だ

 福中 都生子 フクナカ トモコ

①1928(昭和3)1・5②東京③日赤甲種救看養成所(現日赤看護専問学校)卒④「陽」⑤『淡海幻想』ポエトリーセンター、『女はみんな花だから』あすなろ社、『別冊関西戦後詩史年表』ポエトリーセンター。

 秋のうた

秋は少女を娘にする
秋は少年を若者にする
あけびの実がほころぶように
栗の実がはじけるように

秋は人恋しい娘の胸に
柿の実よりも紅い灯をともす
秋は肌さみしい若者の腕に
小麦色のかたい力を宿らせる

秋は虫のすだく野に伏して
たがいの胸に?と?をうずめよう
愛されることよりも愛することに

甘いりんごが大地に落ちる
涼しい風が水色の大気にうるむ
抱きあう胸も黄金色の波にゆだねよう

 福原 恒雄 フクハラ ツネオ

①1935(昭和10)3・8②新潟③東北大学修了④「掌」⑤『忘れる』掌詩社、『少年のなんでもない日』近代文藝社、『体の時間』『おばあさんを盗む』『生きもの叙説』『跳ねる記憶』『Fノート』ワニ・プロダクション。

 においみち

晴天は逃げた まだ雨は近づいてこない
暗くなる時間に挾まれて
きのう毟られた草が 甘いように青いように
におい立つ
街から遠い畑地にすり寄って
働き蟻と名づけられるまえから蟻の腹抱え
針さえくっつけているのであるが
ほんに土で花色の変わる彩景を 盗まれても
盗まれても たくわえの衝動ひとつで
においみちひとつもぞもぞと

振替輸送多発アスファルトに霞んで 単純に
つぶされた報も合掌の耳でつぶして
晴天を追うこのもっこり生きているにおいを
腹にかっこむのはなつかしいだろうが
ううん
腹にはなあんにもないよ
まだ雨はこないけど
欲ふかい深呼吸はこのくらいで
道向こうの寡黙になった仲間を呼ばなくちゃ
八月のいち日は暮れない

 福間 明子 フクマ メイコ

①1948(昭23)9・12②長崎③純真女子短期大学国文科卒④「孔雀船」⑤『原色都市圏』石風社、『東京の気分』夢人館。

 金魚の笑い

草ぼうぼうの庭の昭和の家の縁側で
おかっぱ髪の少女が金魚の絵を描いていて
金魚鉢を透かして見える草木が
藻のように涼しげにそよいでいる

その朝に配達された知人からの絵葉書
アンリ・マティス「金魚」の絵に魅入った
庭の丸テーブルの上に置かれたガラス鉢
四匹の赤い金魚が泳いでいる
草花のピンクや紫や緑が闌ける
色使いの妙とシックな画風に心を奪われた

うたた寝で夢を見たらしい
今ではお土産を持って帰る家もなくなって
私を待ってくれる人もすでにいないのに
それは金魚の泡のような夢だったが
ゆらりゆらりと懐かしくてたよりなく
遠い向こう側で
金魚が笑っていた
目を細めて笑っていた

 房内 はるみ フサウチ ハルミ

①1956(昭和31)4・30②群馬③明治大学文学部卒④「裳」⑤『フルーツ村の夕ぐれ』詩学社、『水のように母とあるいた』思潮社。

 春の手紙

風にのって 春の手紙が 舞いこんだ
生涯一冊の詩集も出さなかった詩人
エミリー・ディキンスンの ひとひらの詩が
光の便箋に 書かれてある

沈黙の中でこそ 輝いていたあなたの世界
あきらめの中の 強い想い
受けとめてほしい と思うこころが
百年の冬の野をさまよい 届けられたとき
おさえきれない愛しさが
わたしから あなたへとながれていく

時と想いが とけあう水辺
宝石をちりばめたような 池の面
草の穂がささめく 低音域より
さらに低音域に とばされて
手紙が浮かんでいる
水の とても やわらかな部分

孤独な指を ひたしてみれば
指先は そっと緑色に染まるだろう

 藤 庸子 フジ ヨウコ

①1943(昭和18)3・30②栃木④「龍」「ベガ」⑤『ヘルメスの者』『ロボット異聞』『愛、倦怠(ソネット)』龍詩社。

 夜のエレジー

泡の出る浴槽で足の指先まで伸ばして
今日一日の私は何であったのかと思う
用意されている夜具は
温もっている
体を滑り込ませると
ふんわりと包みこんでくれる
それでも頭の疲れは取れない
いつまでも発光出来ない光の事を
つい思ってしまうのだ
時は何時の間にか私の中を
擦り抜け方向を見失ってしまい
夜の淵でK先生の名を呼んでみるが
応えは無い
畢竟の世界は手の裏側のようであって
やはり遠い所のようだ
眠れないまま羊を数える
頭の中で
羊がぐるぐる回り出す

 藤井 章子 フジイ アキコ

①1939(昭和14)3・20②東京③法政大学文学部日本文学科卒④「舟」「光芒」⑤『燔祭の記録』イザラ書房、『夜想曲』七月堂、『しらじらとして 白々と』草原舎。

 ぐらんぐらんになった頭

ぐらんぐらんになった頭を下げる
夜のうちに溜込んだ水分の重みに耐えかねて
草とか樹木とか 人間とか
は腑抜けになって客体になったまま
じっと身震い一つするでもなく
狙撃のごとく差し込む輝く朝日を待つ

夏から秋へ
日照りが長く続いて雨の少なかった分水嶺は
小賢しい人々の多量な口数の飽くなき垂れ流
しで
古代より引き継がれた夏の慣用語
が歪にひしゃげた形のままに
都会も地方も
同じ色彩の発語はしぶきとなって舞い上り
ついに腓返ってしまった言葉の水脈
私は西南アジアの方向へ

ぐらんぐらんになった重たい頭
水脈をたっぷり含んだそのままの姿で
革命を手に入れようと出かけた
しとどに濡れたままで

 藤井 壯次 フジイ サカジ

①1931(昭和6)4・30②広島③尾道短期大学国文科卒④「エイドス」「木靴」「SABO」「EIDOS」⑤『人間島』『藍の葉音』。

 白いカラス(Ⅱ)死の器

彼に 羽ばたきひとつなく
忽ち 模型は血の気を失い
〈死の器〉となって 波間に消え
思惟のかけらだけが 水面をただよう
ひき取り手は いない

白いカラスは、山の端をぬけ
器に向って
滑空体勢に はいる
めざす思念の扉は ひらかない

ゆるやかな螺旋状の中空を破り
石灰質の重い羽根は
ひと言も 語らず
垂直に 落下して果てる

いま 空っぽの〈死の器〉から
甘酸っぱい 香りの幕が降ろされる

 藤井 雅人 フジイ マサト

①1956(昭和31)1・25②兵庫③京都大学文学研究科ドイツ語学ドイツ文学科卒④「ERA」「RAVINE」⑤『無限遠点』土曜美術社出版販売、『鏡面の荒野』詩学社、『立ちつくす天女』土曜美術社出版販売。

 螺旋

 

螺旋の谷にのめりこみ
マルハナバチよりも小さくなり
詩人は歩く
薔薇の花びらのあいだを

芳しい中心は近づき また遠ざかる
奥まった部屋に迷いこみ
視野を失った詩人は考える
薔薇のように精妙な思想を
そして納得する 中心は存在しないと
それでも また歩きだす
不審のつむじ風に吹かれて

近づき 遠ざかりつつ
詩人は中心に吸い寄せられる
が ついに辿りつくとみえた時
かれの姿はもう消えている

宙に漂う
ほのかな香りの微塵となって

 藤倉 明 フジクラ アキラ

①1932(昭和7)9・5②埼玉③中央大学法学部法律学科卒④「第四紀」⑤『時の軌跡』第四紀の会、『街の灯の中で』大宮詩人会叢書刊行会、『リアルな日々』日経事業出版社。

 トンボ

肩にあてて加える手ごころ
背後から そっと

胸をはり 肩いからせ 風を切り
旗一本押し立てて 突き進んできた

肩は存在そのもの
つけられた肩書いくつ

半世紀の形も重さもまちまちの負荷
今も残る紐の跡
支えた膝も時折り 地面に崩れ落ち

一人きりの深夜
ひだり みぎと肩に手
深いところの痛みを探る
何もぶら下げていない骨に走る鈍痛

心の貼り薬を後ろから当てて 様子をみる
明日はトンボを止まらせてあげる

 藤坂 信子 フジサカ ノブコ

①1934(昭和9)8・27②熊本③熊本大学教育学部国語科卒④「アンブロシア」「地球」⑤『野分』詩学社、『リルケを辿る』燎原社。

 秋

昔Cという国では
高貴な方がみまかると
人型の金属ネットを被せて
柩に納めたのだという

万象の影が育ち始める
初秋の晴れた一日
地下展示室のガラスケース越しに
何体もの人型を見て回った
精巧に編まれた何千年も前の金や銀が
永遠からのほたるのように光っている

足音をしのばせ
順路をたどりながら
人の心が最期に向うものに
わたしは粛然となる
人型はみんな天を仰いでいた
一体として横向きはなかった

 藤田 晴央 フジタ ハルオ

①1951(昭和26)2・20②青森③日本大学ドイツ文学科卒④「孔雀船」「弘前詩塾」⑤『ひとつのりんご』鳥影社、『森の星』思潮社、『この地上で』土曜美術社出版販売、『西津軽へ』書肆山田、『毛男』麥書房。

 声

ふいにどこからか呼ぶ声がある
遠い時の彼方から追いついた旅人のように
風にまじり私に呼びかけている
これが私だと
よく見分けられたものだ
明るい草むらに暗いみどりが走ってゆく
雲の影かと振り仰いでも雲はない
太陽は見えざるものをとらえているのだが
私には見えざるままだ
私を呼ぶ者よ
思えば親しき者よ
私は今 影を失った木立ち
時の彼方から追いついた旅人は
私を強く揺さぶる
それでよいのか
このままでよいのか と
私は立ちつくす
片時も鳴りやまない
ポプラの大樹となるまで
声よ
おまえよ

 藤富 保男 フジトミ ヤスオ

①1928(昭和3)8・15②東京③東京外国語大学モンゴル科卒④「GUI」「蘭」⑤『第二の男』『誰』思潮社、『逆説祭』あざみ書房。

 暴

歩けば棒に当たる
こちら犬ではない
走れば犬に当たる
そこで棒と犬が
当たり散らして火花放つ
棒は燃えつき
犬も溶けてしまった

誰かが歩いたらしい音だけが
塀の向こうで聞こえる
ここには犬の舌だけ一枚が落ちている

 藤原 菜穂子 フジハラ ナホコ

①1933(昭和8)3・27②岡山③瀬戸高校卒④「アンブロシア」⑤『夜の唄』思潮社、『林住紀』書肆季節社、『いま私の岸辺を』『森の中の食卓』地球社。

 雀と姫りんご

初冬 光の降りそそぐ庭に
たくさんの雀たちが
姫りんごの老木の下に群がって
落ちた果実をついばんでいる
二羽 三羽 どこからともなく集まって来て
いったん まわりの枝や電線に止まり
次々に舞い降りる
これほどの雀が集まるのを見たことがない
けれど何と静か 今日の雀たちの食卓は
姫りんごはもう何も残っていない枝を
冷たくすんだ空に解き放っている
老人が顔をあげて懐しい風景を望むように

見てはいけないのだ
(木のふりをしていなければ)
姫りんごの今年最後の大盤ぶるまいを
雀たちは甘く熟れた果実を忙しく啄みながら
しのび寄ってくるものの足音に
耳をすましているのだから
足音は 私の背後にも近づいているのだから。

 藤本 敦子 フジモト アツコ

①1945(昭和20)3・25②岩手③宮古高校卒④「花筏」「パレット倶楽部」⑤『風のなかをひとり』書肆山田、『体温』『まひる』花神社。

 干鰈

いいことをしようとしないで下さい
できることをして下さい
寄り目の干鰈はそう言いました

 

もう平べったくなっていて
骨がどんどん透き通っていったのでした

 

わたしは干鰈の言葉に頷き
判を押して
回覧板を回しました

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