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会員のアンソロジー

会員のアンソロジー4・伊藤 桂一氏~

伊藤 桂一 イトウ ケイイチ
①1917(大正6)8・23②三重④「花筏」⑤『ある年の年頭の所感』潮流社、『新編伊藤桂一詩集』土曜美術社出版販売。

 生成

今日もまた岩石の生成についてのみ考える

日に一度
樹の影は
しめやかに
わが思索の上を過ぎる

――すでに終っていることの始まりについて
――いまも岩盤の脳髄を滴り落ちているもの
 の意味について
遠い微震を測定しなければならない

 伊藤 啓子 イトウ ケイコ
①1956(昭和31)②山形⑤『ウコギの家』『萌野』夢人館。

 鬼子

家の 一番奥の部屋
ひとりで絵本を読んでいると
おはいり
と しゃがれた声がした
家の前を流れる川のほとり
大雨のあとのにごった水面から
おいでよ
と 笑いさざめく声がした

ひとりでえらいね
と おとなたちから頭をなでられた
ひとりじゃないよ いつだって一緒
だれにもないしょ
いつも耳をすませていた

ひとり遊びは今も得意だ
大勢でわいわい飲んでいるときも 恋人とい
 るときも
あの声がしてくると
いつだってひとりに戻れる

 伊藤 成雄 イトウ シゲオ
①1939(昭和14)4・21②神奈川③岐阜大学卒④「存在」⑤『樹異変』樹海社。

 瑠璃まつり(ア)

月日は百代の過客にして(イ)
行きかふ年も又旅人なり
私も一刻の時である
すなわち過客にして旅人である
草花も過客にして旅人である     

花の旅は年ごとに咲くお祭りである
瑠璃まつりと名付けられた花の旅人
瑠璃色の確かな旅が打ち上がる

私には旅人の旅の自覚がない
流れ行く旅の目的地を知らない
花のような年ごとのお祭りを知らない

瑠璃まつりは咲く、瑠璃色の花をつけて
私は何色、言葉色ならば
私の名は言葉まつり
手のひらを言葉色にして掲げれば
ようやく旅が打ち上がる
     (ア) 草の名、洋名ブルンバゴ
     (イ) 芭蕉、奥の細道より  

 伊藤 芳博 イトウ ヨシヒロ
①1959(昭和34)②岐阜③愛知県立大学国文学科卒④「橄欖」「CASTER」⑤『洞窟探険隊』新風舎、『家族 そのひかり』詩学社、『父からの手紙』。

 絵本

いつも
隣の庭の犬をなでてから家にもどる子どもが
文字よりも先に
絵本の中から飛び出してくる
子どもは僕の指の間をすり抜け
机の下に逃げ込み
砲弾は僕の耳をかすめて/壁にめり込む

母親は/突然のできごとに/泣き叫び
物語は/(母親が知らないうちに)
書き換えられる
次のページには
温かい食事が用意されていたというのに

温かいミルクを飲みながら/僕は
次の場面に/母親を引きずり込む

絵本を閉じる/あとは僕も知らない

子どもは/どこへ行ってしまったのだろう
砲弾の跡も消えていくようだ

 稲木 信夫 イナキ ノブオ
①1936(昭和11)3・28②福井④「詩人会議」⑤『碑は雨にぬれ』能登印刷出版部、『詩人中野鈴子の生涯』光和堂。

 足音

風景はいたずら
よみがえる日本の記憶に
空はあまりにひろく
歩道を持たない通りは
ひろびろとして
砂利道のなか
北国街道
踏みしめられた道のなか
白黒写真となって
広大な野に沈んでいる

それが町か
低い家並を下からうかがうように
空をあおぐと
はるかに巻雲
屋敷林
私の耳に
人びとの足音だけが
時をつくって
追ってくる

 猪野 睦 イノ ムツシ
①1931(昭和6)6・26②高知③高知短期大学卒④「炎樹」「花粉帯」⑤『沈黙の骨』蘇鉄社、『ノモンハン桜』ふたば工房。

 地豆

どんな荒地でも
風に吹かれて実っていく
実直な地豆をみよ
あいつは水を吸いあげ つる伸ばし
空中窒素あつめて
生きていく奴だ
そして夏の炎天下
頃合いをみて
いっぱいにはじく
アフガンの礫土の山地
アンデス チベットの高地畑
日本列島の各地でも
けなげに地産の種子を
ひろげていく奴
地豆の艶や色合いをみよ
その地に根づく強さをみよ

 井上 俊夫 イノウエ トシオ
①1922(大正11)5・11②大阪③『野にかかる虹』三一書房、『従軍慰安婦だったあなたへ』かもがわ出版。

 なぜお前は姿を見せない

パソコンを操って
インターネットにアクセスしている時も
満員の京阪電車にゆられている時も
桜吹雪の淀川堤をさまよい歩いている時も
湯豆腐で酒をチビリチビリやっている時も
お前は私にぴったりとよりそっている
でも、お前の姿はからきし見えない。

私は知っているお前は私を愛していないし
憎んでもいない そのくせお前は絶対に私か
 ら離れようとはしない。
そしてお前は律儀にも知らせてよこすのだ
今年は戦争が終わってちょうど六十年目
一兵士として中国大陸に渡った往年の美青年
 も、今やはや老眠早く覚めて常に夜を(ざん)
 人。

なぜお前は姿を見せないのか、戦争で死んだ
 者の上も生き残った者の上も(おぼろ)(つき)
 のように
 やさしく照らしながら、音もなく流れ行く
 もの、おお時間よ。
                 (病床にて記す)
                 

 井上 尚美 イノウエ ナオミ
①1941(昭和16)4・1②神奈川③島田高校卒④「幻」⑤『傾く』詩学社、『骨干し』書肆青樹社。

 切る

玉葱のスライスをつくるとき 包丁を研ぐ
ジャッジャッと不協和音を発する砥石と包丁
が ねっとりと懇ろに重なり合うまで研ぐ
研ぎすまされた切っ先は切った証拠など残さ
ないほどの巧妙さで 切る
戦時下一人の敵兵の首を切った(ある男の
談)
兵は切られた首をのせたまま歩きつづけ
やがて切った男の顔をチラリと見て倒れた

外科病院の待合室 救急車で運ばれてきた男
の後を氷漬けにされた男の足が追いかける
スッパっと切断されたのでくっつくらしい
たちまち待合室にあふれる私語
  *
鋭い言葉の切っ先がとんでくる
鮮やかな切込みに返す言葉が見つからず
立ちつづけている
最早切り口も汚れて縫合などは至難のわざ
溶け出した氷にバケツの中で溺れる

玉葱のスライスが山盛り出来あがる

 井上 英明 イノウエ ヒデアキ
①1948(昭和23)11・19②群馬③東北福祉大学社会福祉学部卒④「東国」⑤『鳥山挽歌』太田詩人クラブ、『受胎告知』書肆いいだや、『サンタクロースがやって来る』紙鳶社、『一粒の麦は、』風書房。

 十一月十一日 朝の祈り

今朝 一と月前に届いたメールを読み返す
 父は癌のため余命一年と診断されました
 父は科学的な治療を拒否いたしました
諦めとは違う決意 心だけの存在となる時の
 七年前癌で弱った義父を助手席に乗せて 雨
にかすむ桜満開の工場前の道を走った これ
が生きているうちで最後の そんな思いを覚
えている だがあの時とは違う感情が私の中
にある

限られた時間であるならば 日々変わる景色
を 秋から冬へそして春へ移り行くものを 
日々新たなものとして納得していく 時を惜
しむのではなく楽しむ 体の所在ない不快感
は やがて確かな痛みに変わる未定の日を思
い 宣告の日に決意したのだろう

今朝 青森は初霜・初氷
このニュースを男はどのように聞いているか

 井上 嘉明 イノウエ ヨシアキ
①1935(昭和10)11・14②鳥取③鳥取東高校卒④「日本未来派」「菱」⑤『おりかえしの狩猟』花神社、『後方の椅子』土曜美術社出版販売、『地軸にむかって』砂子屋書房。

 ベトナムの水

水は はじめ やさしく落ちる
少量のときは 垂れるともいうが
椅子に縛りつけられて
何時間も頭から水を垂らされた人のことを
思ったことがあるだろうか

しずかな水は皮膚を破り 頭蓋骨を攻める
殴られたような衝撃が
なまなましく脳を襲うのは それからだ
水は調子づくと 止まることなく
闖入者の弾丸より速く垂れるのだ

古びた椅子は
あのころより痩せているが いまも
芯まで しみこんだ水のにおいがする

ベトナムは雨季だ
濃い水分を含んだ風景は
かなしみをひそませて
遠くへ行ったり こっちに近づいたり
いつも のびちぢみしている

 井野口 慧子 イノクチ ケイコ
①1944(昭和19)4・1②広島③早稲田大学文学部英文科卒⑤『光の錐』『浄らかな朝』『絵本と詩を抱えて』みもざ書房、『蝉の島』書肆山田、『ウジェーヌ、カリエールへの旅 ――魂の気配を描く画家』メディクス。

 水の物語

「あの水のむこう光を(たた)えている あの深く
青い水を 渡っていけば……」「会えるのね」
と 私は言った 頷いたあなたの影に立って
いる人 あの人が 水先案内人になって あ
なたを あちらに渡してくれるのだろう 
ゆっくりあなたは光になっていく 笑いさざ
めき 輝きながら 名残りの水脈を曳きなが

ここにいるわたしたち
塩辛い涙でいっぱいのわたしたち
思いがけない漂流物で いつも重い
この冥く悲しい地上で
透明な水でいることは
澄みきった遊星でいることは
とてもむつかしい
ただ いつか
あの水を渡っていくために
深く蒼い空の中
白い花が咲く場所で
今日のこころを洗う

 伊淵 大三郎 イブチ ダイザブロウ
①1932(昭和7)7・30②慶応義塾大学文学部卒③「樹氷」④『石の響き』『エスキース』『月山・風』。

 トレッキングと駒草

妻と二人 山麓の牧場を通り 雑木林に入る
明るいブナ林をすぎると
ハクサンシャクナゲが咲いている

最後の登り 腹ばいになり 木の根を摑み
二人だけの山頂に立つ
巨大な緑の波のうねり
はてしなく連なる山脈の展望

修験の霊山 あの山
麓から山頂まで行列が続き
ニッコウキスゲが群れ咲いているだろう

近々と見えるあの(いただき)には 駒草が咲いている

不毛の礫地に根をおろし
十年かけて花を咲かせ
他の植物が育つことができる土壌に変え
上へ 上へ 不毛の地を咲き登る花

千四百メートルの山頂 吹きすぎる風

 今井 ふじ子 イマイ フジコ
①1929(昭和4)4・28②山梨③京都府立女子専門学校国語科卒④現代詩神戸⑤『麦秀の歌』『黍離の歌』『塔と風鐸と』編集工房ノア。

 メタセコイヤの並木

メタセコイヤは一斉に芽吹いて
天与の色にかすむ
春いっときの並木の荘厳
あっ
白馬の王子が駆けぬける
  「天上への懸橋」か
わたしは思わず呟く
  化石に名をとどめるのみの
スギ科の落葉針葉樹
一九四五年
中国四川省で遺存種発見
アケボノスギ
いま日本の
西近江北の果てに息づく
  わたしの原風景にはなかった並木
聖域を(おか)す思いで
まず衿を正して一歩
かすむ彼方へ

 今井 文世 イマイ フミヨ
①1939(昭和14)3・23②岡山③笠岡高校卒④「詩の会・ネビューラ」⑤『夜明けまで』『林床・陽だまり』『時のすきま』詩の会・裸足、『睡蓮空間』土曜美術社出版販売。

 シジミ

私のてのひらに
五千年前のシジミの貝殻がある
白く色あせているが 欠けることなく
少しの泥をこびりつかせて
人の舌に味わわれてきた貝
てのひらの五千年という時間の果て
  二人で今日もシジミ汁を食べている
ほんの少し前だった この大きな食卓を
にぎやかに父や母 子供たちが囲み
幼児さえ 貝の美味しさを言い
おかわりをした
  ガラス越しに 静かに移ろっていく庭
二人の食べ物を咀嚼する音はつづく
今という 通過していく時を
この腕で留めたい
  まもなく殻は捨てられて
遠い未来を埋めていく

 今井 好子 イマイ ヨシコ
①1963(昭和38)7・16②愛知③愛知県立大学文学部卒④「橄欖」⑤『佐藤君に会った日は』ミッドナイトプレス。

 目が覚めたら

目が覚めたらひざすれあう飯台があり
目が覚めたら若い父と若い母と弟がいて
目が覚めたら教室で授業を受けて
目が覚めたらどうか
どうかお願いします
もっと一生懸命勉強します
後悔しないようにがんばります
少しくらい長生きできなくてもいいです
だからどうか目が覚めたら
ずっとお願いし続けて
両手と両足を繰り返し使っても
数えきれない幾つもの夜と昼が
ひとつとして同じものはなかったけれど
窓の外をびゅんびゅん流れていき
ああそうだったね
長い間お願いしていたね
と窓を開けてくれる人を
今宵も持ち続けている
目が覚めたらどうか

 今井 義行 イマイ ヨシユキ
①1963(昭和38)7・13②神奈川③中央大学法学部法律学科卒⑤『ライフ』思潮社。

 詩を、泣かせるな

腹の底から滲み やがて輝きだしていた
あれら あのことばたちが
人のたましいの樹の梯子を
駆け昇ろうと思った営みを阻んでは駄目
私たちは大切な「瑠璃の珠」です
ことばたちが うたかたのように
気楽に濫用され過ぎてはいないか
もう…… 詩を、泣かせるな!
サルビアが群がり真赤に燃える公園では
鳩が青草のサラダを夢中で食べていた
すべては無心の「詩」だったさ
北に拉致された人たちを表そうとすると
詩としては失敗する可能性が高い
だから詩に書かれにくいのだ
メッセージに終始することへの畏れ
でも 元気で生きて帰ってきてください
幸せが広がってほしいと祈れば
人々の背中を神の指先が射してつらぬく
私もそれに震撼した事がある
詩霊が帆をかかげた光りの瞬間であった

 今泉 協子 イマイズミ キョウコ
①1934(昭和9)5・30②愛知③金城大学英文学部卒④「山脈」「栅」⑤『海の見える窓辺で』『能登の月』花神社、『コンチェルトの部屋』待望社。

 草光る

 車の渋滞にまきこまれ
窓から外を眺める
コンクリートで固めた道の隙間に
揺れるひとむらの草
乾いた土をはね返し
また少し 伸びようとする
車に閉じ込められ
気がつく風景のかずかず
目に映ったものを
どれだけ見過ごしただろう
  草の葉が光り
葉の裏が透けて
風と笑っている
喉の奥まで見えている
葉に隠れていた虫が
車を飛び越えて
空の高みに見えなくなった

 今入 惇 イマイリ ジュン
①1931(昭和6)10・13②宮城③市立仙台高校④「方」⑤『路地裏の少年』『石器と梅と』方の会、『今入 惇詩集――人間詩集9』青磁社。

 浮游する森

 五月闇に包まれて
森は異郷
風が吹き抜ける
臉とじればあまたの星さんさんと
  はるか彼方 見えかくれする水平線
点滅する漁火
等間隔で回転照射する灯台の閃光
呼応し発光する森
  枝々のすきまからこぼれる灯火の周りには
輪になって踊りあかす生者死者
ともに不滅のいのちの鎮魂を祈りつつ
ひとりはぐれて苦悩する亡者
  通奏低音のハーモニー
森は天体そのものとなり
宙空を浮游する
高くさらに高く いつまでも

 今川 洋 イマガワ ヨウ
①1922(大正11)1・27②秋田③内原日本国高校卒④「竜骨」「海図」⑤『潮騒』時間社、『薔薇は知っている』『涼しい滑走路』近文社、『空』秋田文化出版、『ひたすらに――インド仏蹟巡礼紀行詩集』書肆えん。

 切株

 大地を盛り上げて 切株の太い根の広がり
傍を通ると 根達の囁く音色が胸に沁みる
 地中の痛みを訴えているのか
 地上の希薄な空気を憂えているのか
寺の境内のまわりに
地中の使者のように端座している
乾燥しているが 樹木の屍ではない
八十有余年の歴史がこもっている大樹が
松くい虫に負けて切り倒された 無念の吐息
潮風が海の嘆きをふくんで荒れる
けれど切株は まぼろしを生きている
 切株に腰かけて
 男の子と女の子が指切りをして笑ってる
 くすぐったくなる切株の慈愛

見えない大地の奥 まぼろしの松樹を支え
あの日のように呼吸して 磐石のいのち
(くう)の水を湧出し 寂の世界に沈む
切株の濃密な年輪 (のり)の導きの刻み
世を守るかのように 切株
かつての大樹だったときのように

 井元 霧彦 イモト キリヒコ
①1937(昭和12)4・5②京都③京都学芸大学英文科卒④「舟」「いのちの籠」⑤『わたしたちの夜がとうとう来ました』レアリテの会、『人間の学校』『そして人間の学校』日本文教出版。

 守宮(ヤモリ)になって

こっちの水は甘いぞ
螢狩りに行って
向こうの山まで呼びかけた

四十年は経ったか
木霊になってもどってきた声は
こっちの水は苦いぞと囁いている

いっしょに螢を追った息子と娘は
こっちの水は甘いぞと言ったのに
他所へ行って暮らしている

今夜もやって来た守宮たち
台所の窓ガラスに東に南側に一匹ずつ
うちの子供たちが帰って来ていると妻が言う

 二〇〇八年十月一日 水曜日 アリセプト
D錠(認知症薬)に抑肝散(漢方薬)を併用
する処方になり 薬づけにして私を早死にさ
せたいのかと妻が怒って拒否したので また
喧嘩になった。今朝(そと)は雨も風も止んだのに。

 井本 木綿子 イモト ユウコ
①1926(昭和1)9・28②大阪③大阪経済大学卒④「沈黙」⑤『最果』私家版。

 流離

しろじろとオフェリアのように流れてゆく
周りに一ぱいの花々を散らして
 しろじろと私 流れてゆく

 あ あれは若い修行僧 かまわずにおゆき
 なされ
 しろじろと私 流れてゆく

 伊与部 恭子 イヨベ キョウコ
①1959(昭和34)1・22②新潟③日本女子大学文学部国文学科卒④「空の引力」⑤『日はゆるやかに』『マトリョーシカ』夢人館。

 ひとひらの

 駅を出ると
道は ゆるい登り坂だ
古本屋 神社 アパート 路地
日射しは音もなく降り
石畳や古いベンチの傷
ひとの内側の 影や小さな窪みを埋めていく

読むのは どれも「わたくし」という本だ
一行から次の行までの間に
短い夢がまぎれ込む

緩やかに登り切ったところからは海が見える
惑星の輪郭を 寒そうに歩く人がいる
ここから?がしてくれるのは
ひとつの言葉 かもしれない

ひとひらの
明るい声が 空に翻る

 伊良波 盛男 イラハ モリオ
①1942(昭和17)8・14②沖縄③早稲田大学オープンカレッジで学ぶ。④谷川健一主宰「花礁」同人。⑤『眩暈』『嘔吐』国文社、『アーラヤ河紀行』砂子屋書房。

 吠える海

 忿怒の白い牙を剥いて
海が吠える
みずからを蹴散らし
白波を撒き散らし
海獣の波頭を天上高く打ち上げ
猛々しく
海が吠える
疾風怒濤の慟哭を発し
みずからのはらわたを刳り
くだくだな蛇崎を丸ごと呑み込み
毒々しい牙を磨き
ガウガウと神の崎を咬み砕き
至上最強の海獣が吠える
ガウガウとみずからを嚙み砕き
みずからを呑み込み
みずからに呑み込まれ
神の摂理を哭き
海が吠える
人類の行末に警鐘を打ち鳴らし
愛と憎しみに引き裂かれ
ガウガウと海が吠える

 岩井 礼子 イワイ アヤコ
①1936(昭和11)7・11②岡山④「あるる」⑤『山鳥のスープ』不動工房、『冬の果樹園』『果樹園の夕暮れ』書肆青樹社。

 かたちあるものは

 日は照り翳りゆるやかに過ぎ 長良川は絶え
間なく流れ岐阜城の山裾を洗う 河原で鈍く
光っている陶器の欠片 白地に藍の模様らし
きもの かつてなにかを盛られ 宴の中心に
置かれていたかも知れない
  雲と共に旅にでる ギリシャのアクロポリス
の丘 坂を登ると巨大なドーリス様式の円柱
が建っている 度重なる戦火で破壊されたパ
ルテノン神殿 遺跡で大理石の欠片を拾った
「ノン ノン マダム」 制服の女性に声をか
けられ 驚いて取り落としてしまったのだが
それは神殿の祭壇 あるいは破風の一部だっ
たかも知れなかった
  南斜面を降りるとディオニソス劇場の遺跡 
演ずる者と観客 喜劇と悲劇 涙を流し 笑
いころげ 手を拍ち 足踏み鳴らし 幾世代
ものフィルムが重なり巻き戻され 異国の静
かな喧騒の中に佇つ 空に欠片のような昼の
月が懸っていて

 岩木 誠一郎 イワキ セイイチロウ
①1959(昭和34)2・19②北海道③北海道教育大学札幌校卒④「愛虫たち」「極光」⑤『夕方の耳』『あなたが迷いこんでゆく街』ミッドナイト・プレス。

 夜のバス

 深夜の台所で水を飲みながら
通り過ぎてしまった土地の名ばかり
つぎつぎ思い出してしまうのは
のどの奥に流れこむつめたさで
消えてゆく夢の微熱まで
もう一度帰ろうとしているからなのか
こわれやすいものたちを
胸のあたりにかかえて
卵のように眠る準備は
すでにはじまっているのだが
冷蔵庫を開けたとき
やわらかな光に包まれたことも
水道管をつたって
だれかの話し声がきこえたことも
語られることのない記憶として
刻まれる場所に
ひっそりと一台のバスが停まり
乗るひとも降りるひともないまま
窓という窓を濡らしている

 岩切 正一郎 イワキリ ショウイチロウ
①1959(昭和34)1・23②宮崎③東京大学大学院博士課程満期退学⑤『秋の余白に』ふらんす堂、『木洩れ日の記憶・蛹の夜』七月堂。

 小径

 その道はおだやかにくねっている
木々と畑のあいだをとおり
花と 風にまろぶ木の葉がある
それはどこかへ至るというよりも
ただ道である道
ひととき人を包む道
    ★
  大根の首がのぞく
畑の片隅
猫が春の土を掘り
そのなかに糞をした
おしりをぷるり
むきをかえると真剣な手つきで
ひたむきに穴をうめもどした
  大きくなった子猫
そばに
二匹の猫がいて
そのうちの一匹は木の幹で爪をといだ

 岩佐 なを イワサ ナヲ
①1954(昭和29)6・18②東京③早稲田大学卒④「歴程」⑤『狐乃狸草子』七月堂、『離宮の海月』書肆山田、『霊岸』『鏡ノ場』『しましまの』思潮社、『岩佐なを銅版画蔵書票集』美術出版社。

 マッチ箱

 いまはあまり見なくなったマッチ箱の
ひきだしを注意深く指であけると
自分の小さい記憶玉がプンと出る
その匂いを嗅ぎながら
昔昔の街の表情や人人の顔の景色を
もう一度目を閉じてなぞる
他者の涙や鼻の尾根、唇の沼を自分とは
もはや関わりのないものとして夢みる
ことのありがたさとさみしさ
記憶玉は空気にふれると
たちまち消えてなくなるから
記憶玉の記憶も記憶にとどめましょう
からになったマッチ箱の
ひきだしにまず
右目つぎに左目をていねいにしまって閉じ
みずからがさらに深い夢に
沈んでゆくことは
誰しもがいつかすること
「そんなに怖くはないんだよ」

 岩﨑 豊市 イワサキ トヨイチ
①1933(昭和8)11・19②静岡③焼津水産高校卒④「漱流」⑤『L氏への別れうた』 樹海社、『ほの昏きわが港』思潮社。

 花

たいくつの日には庭の花のいろに
せめて生えていることの彩りを思い
怠惰だとか
人との心のすれちがいだとかが
だんだんと午後の遠い気配に溶けこんでいっ
 て
花は一つの色となることで
緑のなかに精彩を放っていて
主張するかしないかは別だとしても
咲き方に眼が魅きつけられる時間となった

 岩﨑 風子 イワサキ フウコ
①1953(昭和28)1・8②鳥取③駒沢大学法学部法律学科卒⑤『砂の港』書肆山田、 『弓弦の森』『イボン』思潮社。

 夜盗

 息を押しこめ
いってきの血も流さず
猛禽の爪に 兎は(つか)まれる

闇は 享けいれている
狩りの習わし
光さす前の
怜悧な一瞬にさし出される
羽のような誓いや
計られぬ 無畏の生

あした
やわらかな土を踏み
夏帽子をゆらして山を登る子らも
闇ふかく 目をとじて
ながれ星の旅
どこへか
売られていく

 岩崎 迪子 イワサキ ミチコ
①1949(昭和24)8・20②東京③東洋大学短期大学日本文学科卒⑤『花首』『陽の手』 思潮社。

 収穫

 秋になって 右の乳房が収穫された
膿盆の底をすべる美しい果実
見舞いの友よ
そんなに悲しい顔をしないでおくれ
とりあえず 死という種はとりだしたのだし
少しばかり 果肉が熟しすぎただけ

果実の不在を示す傷口には
温もりのある保冷剤がおさまり
ジェル状に実っている
種のあたりが時々痛んで
「私」の像が そこで結ばれるのがわかる

来年の秋に 友よ新しい果実を収穫に行こう
展望台から見える盆地に
美しい乳房が陽をあびて
たわわに実っているだろう
口いっぱいに果汁をあふれさせ
私を抱くだろう
それまで 時間の指よ
私を こぼさないでおくれ

 岩田 まり イワタ マリ
①1951(昭和26)5・13②青森③放送大学教養学部卒④「舟」⑤『あなたといる時間』 舷燈社、『大地より』コスモ・テン・パブリケーション、『千の水道橋』『夢・記憶の領土』 思潮社。

 白樺のダンス

 ダンスしているんだよ 僕たち
揺れているんだよ 僕たち
青い空
叫んでいるんだ
叫んでいるんだよ 僕
オーイ
僕たち 揺れているんだよ
闘争へ
いつも僕たち叫んでいるんだ
僕たち 手をつなげるね
そうして もっと空を高く青くしよう
遠くから ずんずんやって来るよ
行進が大きくなって僕たちを前に押し出して
行くよ
細やかな枝が勢いを合わせて
たくさん出ているよ
折り重なってやって来るよ僕たち めがけて
 ね
オーイ ダンスしようよ
そうして 細やかな枝がにこやかに
僕たちにくっついていることを知ろう

 岩成 達也 イワナリ タツヤ
①1933(昭和8)4・10②京都③東京大学理学部数学科卒⑤『(ひかり)、……擦過。』 書肆山田、『詩の方へ』『岩成達也詩集(現代詩文庫58)思潮社。

 指の余り

(内的な指/舌)がのろのろと闇の斑らな部
分を辿っている 名づけることのできぬ闇
(よ)だがそれは 指/また舌には何千とい
う層の間のずれ その重なりとして触れてく
るだろう ずれ 折り重なる様々な肉質の薄
い層 その恣意的な形と動き 指が辿るのは
そのようにずれてくる層の辺だが 辺もまた
動く 常にたえまなく蠢くのだ つまりそれ
は開放されてあるという迷路なのか だから
指は 辿る辺で 爛れ 腐蝕し 自失する
限りもなく折り重なり 一瞬透き通る闇の重
畳(底のない沼)  その辺に沿って 唯一つ
 自身にだけは触れ得ないということ それ
を頼りに 混迷する持続として耐え続ける
指そして舌よ

 印堂 哲郎 インドウ テツロウ
①1941(昭和16)10・26②東京③埼玉大学経済学部卒④「ネフド」⑤『時の風洞』国文社、『非在へ』潮流詩派、『イオラスの琴』ネフド社、訳詩集『レンドラその前衛の詩宇宙』大同生命国際文化基金。

 疑念を抱いて

人々は部厚い頭骸の中に疑念を抱いている
それが開かれることは滅多にないが
その疑念は年齢を重ねるとともに濃密になる
  はるかに続く砂浜の向こうから
幾重にも重なる山なみの向こうから
陽炎の立つアスファルトの路上の彼方から
さりげなく人間の皮膚を着て人々はやってく
 る
燃え立つ疑念にふらふらしながら
  そうしてますます疑念は重くなり
やがて
肩を落とし
前かがみになって
あえぎあえぎ
日だまりの坂道を去っていく
  あの何の疑念も抱かずに
無心にはねまわり 笑顔を振りまいていた
少年の日々を両の手に握りしめて

 植木 肖太郎 ウエキ ショウタロウ
①1936(昭和11)2・5②神奈川③日本大学卒④「日本未来派」「焰」⑤『港町抄』勁草書房、『銀色革命』福田正夫詩の会、ネプチューンシリーズ、『樹液』『白いカラス』『エイズ氏よ』。

 子たちよ跳べ 大人を超えろ

矢継ぎ早に疑問を口にする子ども
沢山の大人たちの心境は
どうしてこの世の仕組みを話すか
それぞれの愛や憎しみの形で語る
子どもたちは育っていく
その姿は危なっかしくても
大人たちの行動よりは純粋である

生きていく道を断面に切れれば
その先もわかるかも知れないが
子どもたちの成長は悪い風との競争だ
吹き過ぎる痛みを知り 病み 嫉み 怨み
乗り越えて 生きていかなければならない

生まれたことが幸いだったと
老いて死ぬまで思っていける人生を歩け
さあ子どもたちよ
大人の矛盾さを超えて
跳べ
跳べ
明日に向かって

 植木 信子 ウエキ ノブコ
①1949(昭和24)12・29②新潟③東北学院大学経済学部経済学科卒④「地球」「舟」「光芒」⑤『つむぐ日』沖積舎、『歌がきこえる』詩学社、『その日――光と風に』思潮社。

 ほほえむ

夏の空があまりにも青く輝いているので
ほほえんでしまう
梢をゆらす蝉の声がおかしくなるほど
耳をつくので泣くのはやめる
降りそそぐ陽光が涙を干してしまうので
ほほえむ
ほほえみの国のことを話してくれた女がいた
ほほえまれないところをほほえむほほえみは
仄かに不思議な表情をとる
幻影の花に開いた心が
波 雲の寄せるほとりに浮かぶ
夜が流れて行ったので流れて来たのか
ほかに欠乏を埋める言葉については……
眩い空の下では涙はさまにならない
蝉時雨が暑さを増し
ほほえみを求めほほえみを忘れ
徒に言葉を発しているわたしの虚無に
異界からのほほえみの
寒いほどの柔和さにわずらう
熱砂にうずくひたいがあかく

 上田 周二 ウエダ シュウジ
①1926(大正15)2・1②東京③慶応義塾大学文学部英文学科卒④「時間と空間」⑤『華甲からの出発、または……』『死霊の憂鬱』沖積舎、『詩人乾 直恵』潮流社、『私の竹久夢二』沖積舎。

 シベリアの譜

 妙なのだ
部屋じゅうが 微かに息を凝らしてるようだ
なにかを 押し隠してるようだ

垂れ幕に吊るされた 一つ一つの油彩画は
どれもが 目鼻立ちもはっきりしない
黒っぽく塗りつぶされた人物像で
なにか 磔刑にされた殉教者のように
押し黙ったままでいる

さきほどから なぜかわからぬが
わたしの足は 虜にされている
このぎゃらりーの主
あるじ
はどこへいったのだろう
画家らしい本人の姿もどこにも見当たらない
なのに 虜にされている わたしの足

どこからか こちらを見つめている眼がある
複数の眼が 光っている
厳しい眼だ
悲しい眼だ
わたしは 床に凍りつき 身動きできない

 上田 万紀子 ウエダ マキコ
①1932(昭和7)3・1②熊本③第一高校卒④「花筏」⑤『真昼』本多企画、『蝶は森の奥に棲む』土曜美術社出版販売。

 白薔薇

 どんなことばをもってしても
このふかい白と
ひきこまれるようなしずかな重さを
わたしははかることができない
花びらの奥に
さまざまな予感をただよわせていることも
  川が光るのは空を抱きつづけているからだ
あなたは遠い記憶の底に
伏流のようにかなしみを抱いてきた
そしてその朝
あふれる光りの中に花びらをひらいた
  だけどいつか時間はきっと訪れてくる
自らの重さに耐えられないその時が
川霧のようにひたひたと近づいてきて
  だからいまためらわず
すっかり咲ききってほしい
あふれる朝の光りの中に
遠い記憶も時間もふかくふかく抱きながら

 植村 秋江 ウエムラ アキエ
①1933(昭和8)11・28②高知④「海嶺」「パレット倶楽部」⑤『魚は水に』『はるにれのうた』書肆とい、『滞在許可証』書肆山田。

 海

朝もやが 家並を沈めている
十二階の窓から見る筑波山は
水平線に浮かぶ島のようだ

このあたり 昔は海だった

海老 貝 蟹 海月
海が退いていったあとの地平に
取り残されたあまたの生き物たち
いまも 地の底で
満ち潮のときを待っているのだろうか

ときおり わたしの耳が聞く潮騒
あれは 空耳ではなく
置き去られたものたちの
渇望のざわめきなのかもしれない

 上村 多恵子 ウエムラ タエコ
①1953(昭和28)7・6②京都③甲南大学文学部卒⑤『無数の苛テーション』れもん社、『鏡には映らなかった』土曜美術社出版販売、『きっとうまくいくよ』光文社、『京都物 語』山と渓谷社。

 エポック

ただ
そのようにして
ひとつのことが始まり
ひとつのことが終る
  どうしては
始まりになく
終りにない
そのようにして が
ただ
  横たわるばかり
  そのようにしてを
じっと
見つづけるとき
始まりのどうしてかが
かすかにわかってくるのかもしれない

 上村 弘子 ウエムラ ヒロコ
①1932(昭和7)1・29②大阪③豊岡高校卒⑤『ざくろ』昭森社、『出せなかった手紙』 八坂書房、『山がすきなキッコちゃん』『山の村のお話』大文社。

 親ってなんだろう

桜の花がやさしく咲く日
おだやかに散った母のいのち
親ってなんだろう
問い続け 責め続け
尖って生きた九十年の日々

親ってなぁに?
あたりの親に尋ね廻る()
報酬を求めないのが親
一度なったら辞められないのが親
うーん 答えられない
親になったことがない子は
やさしくないと母はいう

老いはむごい 子は親の丈を越え
親であったはずの母が とぼとぼと
夕暮を背にさまよっている
子に迷惑を掛けた と咳きながら

存在を産んだ親の大きさ
子の中に愛を残して母は逝った

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